零下三十七度というような低い温度まで、過冷却の状態を保つことはできません。
この場合、氷はほとんど例外なく、試験管の壁からでき始めます。
そのため、壁についている目に見えないような小さなホコリが芯となって最初の氷の粒ができ、それができると「氷と接触した」という条件が満たされるため、残りのすべての水にも凍結が伝わっていくのだと説明されてきました。
それならば、過冷却した水滴に、わざとホコリのようなものをくっつけてやれば、その刺激で氷の結晶に変わるはずです。
この方法でも過冷却であることは必要ですが、零下三十七度のような極端な低温は必要なく、例えば零下十五度や十度くらいの寒さで十分なはずです。
試験管の中では、零下三度くらいでも凍るのですから。
この考え方に沿って、いろいろな種類のホコリを過冷却の雲の粒にくっつけて、氷の結晶を作る実験が行われました。
これを「種蒔き(たねまき)」と呼んでいます。水滴は直径百分の一ミリという小さなものなので、種となるホコリも、またその百分の一ミリという、ごくごく微細なものである必要があります。
冷蔵箱の中をいろいろな温度に冷やしておき、その中に息を吹き込んで、湯気の中にさまざまな種類の細かい粉をまいてみました。
そして、零下十度くらいで氷の結晶ができるような粉がないかと探したのです。
タバコの煙、いろいろな土のホコリ、さまざまな薬品の粉末など、ありとあらゆる粉を合計何十種類も試してみましたが、なかなか条件に合う粉は見つかりませんでした。
ところが、実験を続けるうちに一つのことに気がつきました。「氷とそっくりの形をした物質を使ったらどうだろうか」という点です。
結晶の形や、結晶を作る網目(格子)の大きさが氷とよく似ていれば、水の分子はそれを氷の結晶だと勘違いして、凍りついてくれるかもしれないと考えたのです。
そのような視点で探してみると、「沃化銀(ようかぎん)」という物質が、氷と同じ六方晶系というグループに属しており、しかも結晶の網目の大きさも、わずか一パーセントほどしか違わないことがわかりました。
この粉は非常に細かく、電子顕微鏡を使ってようやく六角形をしていることが確認できるほどの小ささです。
この沃化銀の粉を使ってみたところ、果たして非常に効果的でした。
零下五度くらいの過冷却の水滴にこの粉を種蒔きすると、その大部分が氷の結晶に変わることが確かめられたのです。
零下十度であれば、完全にすべてが氷の結晶になってしまいました。
零下五度や十度くらいの低温ならば、自然界でも少し上空に行けばいつでも存在しています。
ですから、沃化銀をまけばドライアイスのように冷やす必要はなく、自然の温度のままで十分だということになります。
さらに素晴らしい点は、粉がとても細かいので、たった一ポンド(約四百五十グラム)まくだけで、何百平方マイルもの広い範囲に散らばらせることが可能なことです。
実際にやるには、特別な噴霧器を使って飛行機からまくのが一番良いのですが、地上で噴霧して、上昇気流に乗せることで、簡単に空へ送り上げることもできます。
そのための噴霧器も、性能の良いものが考案されました。
ドライアイスを使った実験も、沃化銀を使った実験も、その後何度もくり返されました。
しかし、実際に雨を降らせるという結果は、あまり芳しいものではありませんでした。
まれに雨が降ることがあっても、たいていは量が足りず、またそれが本当にこの実験のおかげで降ったのかどうかも分からないのです。
百発百中というわけではないので、たまたまうまく雨が降っても、「それはもともと雨が降るタイミングだったのだ」と言われてしまえば、反論のしようもありません。
昨年の夏、スケネクタディという町でシェファー博士を訪ねた時、この人工降雨術はまだあまり評判が良くない時期でした。
いくらアメリカでも、飛行機を使う実験をそう頻繁に行うことはできませんから、博士の方でもその後、研究があまり進んでいないようでした。
ワシントンの中央気象台からは、同じ実験を何度もくり返した結果、「否定的な結果が出た」、少なくとも「経済的には成り立たない」という分厚い報告書が出ていました。
新聞は面白がって、この状況をはやし立てました。
一昔前の日本で、大学と気象台が「地震の震源地」をめぐって争っていたことが、新聞の格好のネタになっていたのと少し似ていました。
もっとも、気象学者のなかにも味方はいました。
パサデナにあるアメリカ気象研究所を訪ねた時、所長のクリック博士は、肯定的な実験結果を教えてくれました。
この研究所は、昨年の初めごろにできた新しい組織で、加州工科大学が終戦後に気象学科を廃止したため、そのメンバーが集まって作った研究所だということです。
国立ではなく、商業的な研究所であるという話でした。
局地的な天気予報を出したり、工場を建てる際に気象条件を調べてあげたりして、それを商売にして成り立っている所だそうです。
クリック博士の研究は、そういった事情もあり、飛行機などはもちろん使えないので、地上から沃化銀をまくという、極めてお金のかからない実験なのでした。痩せ尾根とまでは言えませんが、なるべく道幅の狭い山脈を選んで、その風上側の八合目あたりに噴霧器を設置し、沃化銀の粉を風に乗せて吹き出してみるのです。
粉は山を越える風に乗ってかなり高いところまで上がり、傘のようにかかった雲の中にある粒たちに「種」として蒔かれます。
山脈を越えた風下側の平地に、山脈と並行するようにたくさんの雨量計を並べて調べてみると、沃化銀を運ぶ風が通ったと予想される場所のあたりで、雨の量が一番多いという結果が出ました。
このやり方は、飛行機を使う場合ほど直接的ではありませんが、お金があまりかからないので、何十回でも繰り返し試すことができます。
ですから、どのような天気の時に人工降雨が一番うまくいくのか、その条件を探すには、さまざまな気象状況でこの方法を試すのが、賢いやり方の一つなのです。
氷の結晶ができることは確かなのですが、それが雪の結晶へと成長するために一番いい気象条件を知ることが、まだ残された課題でした。
私たちの人工雪の研究がまさにそれにあたるわけですが、自然界へ応用するためには、まだまだ実験しなければならないことがたくさんあります。
むしろ、低温実験室の中で実験的にわかった条件をガイドラインにして、クリック博士流の野外実験をやってみるのが、一番賢いやり方でしょう。
人工降雨の実験は、昨年の夏ごろが一番人気のない時期だったようです。
しかしその後も、あちらこちらで実際に役立てるための試験が続けられました。
アメリカの西半分を占める広大な地域は、砂漠や、それに近い乾燥地帯です。
一年中、特に春から秋にかけては、ほとんど雨が降らないカラカラに乾いた土地なのです。
そういった場所で、もし人工的に雨を降らすことができれば、文字通り人間の手で自然を征服することができます。
それはすごいことですよね。
そのため、実際に役立てるための試験は、主にこの砂漠地帯で行われました。
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