初級翻訳・いたずら小僧日記 第2話

いたずら小僧日記

ぼくはなんだか急に申し訳なくなって、胸が痛くなった。
富田さんが門のあたりまで行った頃、「太郎さん、本当にお前ってやつは!」とお花お姉さんが突然、ぼくの首筋にガブリと噛みついた。
ぼくはさっきからすでにめちゃくちゃビビっていたから、心臓が頭のてっぺんまで飛び上がりそうなくらい驚いた。
それに、このまま話がめんどくさくなったら、またあの怖いお説教やお仕置きをされるかもしれないと思ったので、お姉さんの手をパッと振り切って、一目散に自分の部屋へと逃げ込んだ。
今日はおうちの人みんながめちゃくちゃ機嫌が悪い。
ぼくの顔を見るなり、みんなして冷たーい目で睨んでくる。
お手伝いさんのお島(おしま)の話によると、ぼくのせいでせっかくまとまりかけていた結婚のお話が、完全にダメになっちゃったんだそうだ。
言い方を変えれば、ぼくのせいでお花お姉さんは富田さんのところへお嫁に行けなくなったってわけ。
ってことはだよ? それって冷静に考えて、めちゃくちゃ願ったり叶ったりじゃないか!
お姉さんはぼくに「ありがとう!」って土下座して感謝するくらいの勢いであるべきはずだ。
なのに、これはまたいったいどういう矛盾した態度なんだろう。
お姉さんはツンツンと怒って、今にも噛みつきそうな顔でぼくを睨みつけてくる。
これじゃあ本当に、恩を仇で返すってやつだよ。
ぼくはもう二度と、あの清水さんのところへ恋の伝言使いになんて行ってあげないんだからね!
こんなときに家にいたって、ちっとも面白くない。
かといって長男である手前、家を飛び出して電車の車掌さんになるわけにもいかないし、しかたがないからぼくは釣竿を担いで川へ出かけたんだ。
でも、今になって思えば、あんなときに釣りになんて行かないほうがよかった。
ぼくはいつだって、あとになってから後悔する。
まあ、教会の牧師さんも「人間は後悔するようじゃいかん」って言ってたし、これでいいのかもしれないけどさ。
それはともかく、ぼくは川に落っこちて、あわや死にかけたんだ。
これもぜーんぶ、元をたどればお姉さんたちが意地悪したせいだ。
ぼくは本当はおうちにじっとしていたかったんだ。
だけど、お姉さんたちがまるでいじめっ子みたいに冷たい目ばかりして、「早く出ていけよ!」って追い出すから、行きたくなかったけど無理やり出かけたんだよ。
世の中に、物好き好んで川に落ちたい人なんているもんか!
川に落ちたのは確かにぼくの不注意だけどさ、その失敗の原因はぜーんぶお姉さんたちにあるんだからね。
当日はあまりにもいい天気だったから、魚がエサに全然食いつかない。
ぼくは退屈でしかたがなかったから、ワッフルを食べて、ビスケットを食べて、リンゴまでまるごと平らげて、「そろそろいい時間だし、帰るか」と引き上げようとした瞬間、ウキが激しく動き出した。
竿がしなるほど、グイグイとすごい力で引っ張る。
「やった、大物だ!」と思って竿をぐっと引き上げたその拍子に、あまりにも前へノリノリで乗り出しすぎちゃって、うっかりバランスを崩して川の中へドボンと落ちちゃったんだ。
決して、自分から好んで川に飛び込んだわけじゃないんだからね!
気がついたとき、ぼくは藁(わら)を燃やしたたき火のそばで、村の人たちにぐるりと囲まれていた。
もしかしたら、ぼくが死んだと思ってそのまま火葬にするつもりだったんじゃないかってくらい、みんなの動きが早すぎるよ。
まったく、気が早い人たちだなあ!
もしも骨になってから生き返ったら、みんな一体どうするつもりだったんだろ。
本当に危ういところだった。
油断も隙もあったもんじゃない。
水車小屋の叔父さんに背負ってもらって、おうちにたどり着いた頃には、すっかり夕方になっていた。
お母さんはぼくをぎゅっと抱きしめて、ポロポロと涙を流した。
まるで十年ぶりに生き別れの子供と再会したみたいな騒ぎだったよ。
お姉さんたちも「太郎、太郎!」って、まるで年末の「歳の市」でも始まったかのような大騒ぎの入れ込みようだ。
とくにお花お姉さんは、自分が日記のことをバラされた後ろめたさがあるからか、なんだか妙に優しくしてくれて、上等なビスケットをぼくの枕元に持ってきてくれた。
みんなの機嫌も、すっかりさっきまでとは大違いだ。
そう考えてみると、たまには川に落ちるのも、大阪の伯父さんの言葉を借りるなら、「川に陥るのも」、まんざら悪いことばかりじゃないなと思う。
それはそれとして、やたらとぼくの体に毛布をグルグル巻きにして、まるで記念写真を撮るわけでもあるまいし、「じっとしてて! じっとしてて!」と何度も言われるのには、かなり参っちゃった。
熱くて苦しくてしかたがない。
「水で冷えたんだから、とにかく上から温めれば元に戻るはずだ」って思っているらしい。
あの町のお医者さんである森川先生のくせに、なんとも単純すぎる発想だよね。
ぼくはあまりにも苦しかったから、こっそり部屋を抜け出して客間に入ったけれど、また見つかったら怒られるから、窓のカーテンの後ろに隠れていたんだ。
そうしているうちに、だんだん体がすごく重くなって、そのうち睡魔に襲われて眠ってしまった。
ふと、なんだか話し声がするなと思って目が覚めると、部屋にはすでにあかりが灯っていた。
ぼくのすぐ目の前にある長椅子に、誰か二人が腰を下ろしている。
腰を下ろしているだけじゃなくて、なんだかお互いにぴったりと寄りかかり合っているみたいだ。
一人は間違いなくお春お姉さんに違いない。
だって、あのいつも漂っている香水の香りでわかるもの。
お春お姉さんの香りは、いつだって大好きなバイオレットの香りだ。
お春お姉さんの相手なんだから、もう一人はあのハイカラな「タケノコ野郎」に決まっている。森川さんはさっきぼくにお薬を飲ませてくれて、そのまままだぐずぐずと残っていたらしい。
二階でピアノを弾いているのはお歌お姉さんだろうか。
いや、お歌お姉さんにしては少し上手すぎるな。
今夜は富田さんが来ていないから、お花お姉さんもお二階にいるのかなあなどと考えていると、
「ねえ、春子さん、たった半年のことだから、あなたも機嫌よく待っていてくださいね。
秋になれば下条さんの病院で若手が一人必要になるんだ。
もう大体の約束はできているから、そうなれば患者も今よりずっと増える。
あとほんの少し、半年、六ヶ月だ。
ねえ、待っててくれよ。
春子さん」
確かにあのドクトルの声だけど、いったい何を待つっていうんだろう?
「そりゃああなたがそのつもりでしっかりしていてくださるなら、私は何年でもお待ちしますわ」
とお春お姉さんが答えた。
そして二人はなにやらクスクスと笑い出した。
何がそんなにおかしいんだろう。
こちらの状況のほうがよっぽどおかしなことになっているのにさ。
さらに息を殺して耳を澄ませていると、
「だけどね、春子さん、これはくれぐれも秘密にしておきましょうね。
秘密は最良の政略ですから」
「もちろん私もそのつもりよ」
とお春さんが答えたか答えないかのうちに、誰かが玄関のドアをコツコツと叩いた。

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