初級翻訳・いたずら小僧日記 第21話

いたずら小僧日記

ただ、ざわざわと話し声だけが聞こえてくる。
そのうちにオルガンが鳴り響き、牧師様が現れて、いよいよ結婚式が始まった。
その時、ぼくの足はすっかりしびれて、もう動かなくなっていた。讃美歌が終わり、祈りが終わり、牧師さんが例の誓いの言葉を読み上げ始めたときには、本当に嬉しかった。
その言葉が何というものなのかはよく分からないけれど、その言葉のために、ぼくは三時間以上も椅子の下にうずくまっていたのだから。
「ご参集の皆様、私たちがここに集まったのは、神の聖前において、この男性と女性に神聖なる結婚の式を挙げさせるためであります。
そもそも婚姻というものは、太古に人間がまだ罪を犯さなかった時より神が定められたものであり、主イエスはガリラヤのカナで催された婚礼に参加し、最初の奇跡をもってこれを祝福され、パウロはこれをキリストとその教会の一体であることに例え、また『あなた方は婚姻の事をすべて尊びなさい』と教えられました。
いま、この二人は神聖なる誓約を立て、婚姻の式を挙げようとしています。
皆様の中で、この結婚に関してもし何か不都合な点を知っている方がおられるならば、この場において直ちに明言しなさい……」
身体中を耳にして話を聞いていたぼくは、まさにこの瞬間に椅子を跳ね飛ばして飛び出した。
そして、こう叫んだのだ。
「不都合です!
ぼくがはっきり言います。
この結婚には反対です!」

集まった人たちは大騒ぎをした。
女性の中には泣き声を上げる人さえいた。
おそらく、ぼくを白熊か何かと勘違いしたのだろう。
お春さんは森川さんの手をぎゅっと握りしめて青くなっている。
よっぽど、森川さんがびっくりして逃げ出してしまうのではないかと心配したらしい。
お父さんもお母さんもお花さんも、そして伯母さんも、ただぼくの顔をじっと睨んだまま黙り込んでいる。
牧師さんはぼくとう森川さんを見比べながら、呆気にとられていた。
「弟が病気でもないのに薬を飲ませようとする。
そして結婚式に出席させまいとする。
そんな意地悪をするお医者さんは、ぼくの兄さんにはなれません。
ぼくはこの結婚はいけないと思います。
どうか中止にしてください。
ぼくがはっきりそう言います!」

みんなはくすくす笑った。
家族の人たちだけは、相変わらず石のように黙りこくっている。
お父さんが立ち上がりかけた時、森川さんが一歩前へ進み出て、こう言った。
小さな声で、ぼくに頼むように言った。
「太郎くん、そこから下りてくれ。
謝るよ。
謝るから、こっちに来てくれ。
君にはまったく敵わない。
謝るよ。
もう二度と言いつけたりしないからさ、さあ、太郎くん、こっちに来ておくれ」
「それならいいや。
牧師さん、結婚式を続けてください。
ぼくは寝巻き姿だから、ここで大人しく待っています」
そう言うと、ぼくは再び椅子の下のほうへと潜り込んだ。
残りの儀式はとても立派なものだったけれど、時々あちこちから参列者たちのくすくす笑う声が聞こえてきた。
まったく馬鹿な人たちだ。
教会というのは笑う場所じゃない。
ぼくはいつも「悪い子だ、悪い子だ」と言われるけれど、今まで教会で笑ったり、ひそひそとおしゃべりしたりしたことなんかないぞ。

式が終わってから、ぼくはみんなと一緒に家へ帰った。
お父さんもお母さんも、特に何も文句を言わなかった。
今日ばかりはぼくの方に正義があるからだろう。
清水さんとお花さんはぼくを自分たちの真ん中に座らせて、美味しいものを何でもかんでも食べさせてくれた。
「太郎さんは相変わらずだことねえ」
お花さんがげらげらと笑った。
お春さんもにやにやしながら笑っている。
自分たちがいつまでも昔のまま変わらないから、人までずっと子供のままだと思い込んでいるらしい。
伯母さんは先日はあんなに怒っていたのに、すっかりご機嫌が直ったとみえて、ちゃんとお春さんの結婚式にやってきた。
お年寄りというのは、まるで子供みたいにコロコロと機嫌が変わるものだそうだ。
ただやってきただけじゃない。
お春さんに、とっても上等な指輪をくれたのだ。
伯母さんの名前も「お春」で、お春さんの名前も「お春」なのだ。
姉さんは伯母さんの名前をもらって「春」という字をつけた。
だから姉さんは、結婚のお祝いに「春」という字が刻まれた指輪をもらったというわけだ。
世の中、何がどうなって幸福につながるかなんて分からないものだ。
ぼくも「春之助」なんて名前にしてもらえばよかった。
八幡太郎も安藤太郎も、ぼくには何もくれやしないんだから。
太郎なんて名前は、まったく損ばかりで割に合わない名前だ。

伯母さんは色々なことを質問してくる人だ。
すっかり年を取って、子供のように物忘れが激しくなっているのだろう。
「大阪の伯父さんは、いったいどうしてあんなに腹を立てていたの?」と聞かれたときには、本当に困ってしまった。
詳しいことはよく知らないけれど、「ロバがラッパを井戸の中に落としたり、ポチが眼鏡を食べてしまったりしたんですよ」と適当に誤魔化しておいた。
「姉さんはどうだい、あの指輪を気に入ったようかい?」
「それがですね、こう言っていましたよ。
『どうせ伯母さんが作ったものだから、今の流行りからは遅れているわ』って。
だけど、宝石も地金もすごく良質なものだから、新しくデザインし直してもらうんだって言っていました」
「そうかい、あの子はそんな生意気なことを言うのかい。
最近の若い娘は、気が強くて困ったもんだねえ」
でも、伯母さんは別に怒ったりしなかった。
大阪の伯父さんに比べたら、よっぽど扱いやすくて優しい人だ。
「伯母さんは、これからもあと十年くらいはがんばって生きるんですか?」
「なんだい、太郎さんはいったい何を言うんだい」
「姉さんたちが言っていましたよ。
『あの調子じゃ、伯母さんはまだまだ当分ぽっくり逝ったりしないわ、あと十年くらいはしっかり元気で居座るだろうね』って。
本当なんですか?
お年寄りのくせに、今でも沢庵漬けなんかをボリボリと音を立てて硬いまま噛んでいるんですか?」
ちょうどそこへお母さんが部屋に入ってきたので、ぼくはその話をやめて出て行った。

しばらくすると、牧師さんがやってきた。
あの牧師さんというのは、本当に変わった変な奴だなあ。
この歳になるまで、あの教会で結婚式を挙げたのは清水さんと森川さんだけじゃない。
ほかにも二人か三人あったと覚えているけれど、自分は結婚しないで他人の結婚ばかりお世話するなんて、すごく奇妙で変な奴だと思わないか?
「どうして自分は結婚しないんですか?」と尋ねてみたところ、牧師さんは「牧師は独身に限る、独身でなければ牧師としての天職を完全に果たすことはできないのだ」と答えた。
まったく、馬鹿みたいにむずかしい理屈を言う男だ。けれど、ぼくは「なるほど、そうですね」と相槌を打っておいた。
たしかにその通りだろう。
もしあの牧師さんが結婚したりしたら、結婚式を取り仕切る人がいなくなってしまう。
神隠しでもない限り、一人の人間が同時に新郎と牧師を両方やるなんてできっこない。
だからあの人は独身でいるんだな。

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