初級翻訳・かねも 戦地へ いきました 第1話

かねも 戦地へ いきました

一

 お寺の境内(けいだい)に、大きなさくらの木がありました。
 今年もたくさんのつぼみがついて、もうふくらみかけていました。
 神さまは、いろんな木たちに、こうして一年に一度、花を咲かせて、この世の中のありさまを見せてくださるのでした。
 さくらの木のそばに、古い鐘つき堂がありました。
 そこには、大昔からの青いサビがついた大きな鐘が、ぶら下がっていました。
 花は、だれよりも一番にその鐘へあいさつをして、それからかわいいハトに、また少し離れて立っているスギの木に、声をかけようと思いました。
 風はあたたかく、日はうららかに照って、とても良いお天気でした。
 ちょうどそのとき、
「まあ、花さん、いいタイミングでお花が開きましたね。
 きのうまで雨が降り続いていましたが、きょうはこんなによく晴れて、あなたは本当にしあわせですね」
と声をかけたものがありました。
 声のするほうを見ると、屋根の上の瓦(かわら)でした。
「瓦さんも、お元気そうで何よりです」
と、花はにっこり笑いました。
 ところが、どうしたことでしょう、いつもぶら下がっているはずの鐘の姿が見えないのです。
 花はびっくりして、自分の目を疑いました。
「これは、ふしぎなことだ」
 さくらの木がまだ小さくて花も咲かなかったころ、そのまたずっと前から、鐘はここに引っかかっていたのでした。
 そして、昔から面白いこと、悲しいこと、めずらしいこと、いろいろな見て知ってきた出来事を、花に話して聞かせてくれたものだったのです。
 その鐘は、いつもおだやかな声で、
「なにしろ私は、このお寺ができたはじめの頃からここにいるのですから、ここのことは一つだって知らないことはありません。
 これからまた何百年とたって、あなたが枯れてしまって、あなたの子どもやお孫さんの時代になっても、おそらく私だけはここにいると思いますよ。
 そうしたら私は、あなたが美しかったこと、枝ぶりが良くてきれいな花であったこと、お寺にお参りに来る人たちがみんなあなたをほめたたえたことを、子どもやお孫さんたちに語って聞かせてあげましょう」
と言っていたのでした。
 そのとき花は、鐘の言うとおりだなあと思ったのです。
 なのにいま、その鐘はどこへ行ってしまったのでしょう。
 しばらくの間、花はからっぽになった鐘つき堂の中をのぞいていましたが、ついに屋根の瓦に向かって、
「鐘さんの姿が見えませんが、どうしたのですか?」
と尋ねました。
すっかり年をとっていた屋根の瓦も、ここで長いあいだ雨にさらされ、風に吹かれて、若いころの元気はなかったものの、まだまだ気はしっかりしていました。
 瓦は花をじっと見つめて、こう言いました。
「あなたがご存じないのも無理はありません。
 去年の秋のこと、鐘さんはお上のめしをいただいて、戦争へ行きました」
「まあ、どちらのほうへ行かれたのですか?」
「それはわかりませんね。
 ただ、国のためにお国のために奉公にあがるのだから、二度と帰らないつもりだと言っていましたよ」
と、瓦は語りました。
「そうでしたか……」
 花は、あのゆったりとしていて懐かしかった鐘の姿を思い出して、じっと考え込んでいました。
 すると、過ぎ去った春のことが、目の前にふわっと浮かんできました。
たしかお彼岸のころで、お寺がとてもにぎやかな日でした。
「あれ、ご覧なさい。
 紙芝居のまわりに、あんなに子どもたちが集まっていますこと」
と花が言うと、
「花さん、大昔には『のぞき』といってね、一人が箱のレンズをのぞいて、戦争や昔話の絵を見ながら物語を聞いたものですよ」
と、鐘が教えてくれました。
「からくり人形なら、私の子供のときにもありましたよ」
「それはそうと、戦争が始まってからというもの、風船を売るおじいさんを見かけませんね」
「ゴムが大切(たいせつ)なものになって、おもちゃを作らなくなったからなのですよ」
と、鐘は教えてくれたっけ。
「あなたは、なんでもよくご存じですね。だけど私は、春のほんの十日かんばかりしか、この世の中を見ることができません」
と、花はそんな鐘をちょっとうらやましく思ったのでした。

二

 また、そのとき、鐘はこうも言っていました。
 毎日、朝、昼、晩と、正しく時を知らせるのが私のつとめです、と。二

 また、そのとき、鐘はこうも言っていました。
 毎日、朝、昼、晩と、正しく時を知らせるのが私のつとめです、と。
 わたしは、自分のつとめをとても大切なものだと思い、できるだけ大きな音で響かせるから、ずっと遠くまで聞こえるのです。
 田んぼや畑で働く人はもちろん、仕事場で汗を流す人たちも、みんな私の鐘の音が聞こえると、耳をすませます。
「お寺の鐘が鳴っているなあ」
と、心の中で思うことでしょう。
 お寺の屋根で遊んでいるハトも、スズメも、また私の音をうれしそうに聞いてくれます。
 こうした平和な日が、これまでどれほど長くつづいたかわかりません。
 私の目の下で遊んでいた町の子供たちは、いつしか大きくなって、立派な大人になりました。
 女の子はお嫁さんになって、お店で働きはじめました。
 そしてその人たちは、いつの間にかすっかり年をとって、おじいさんやおばあさんとなりました。
「ほら、あそこをごらんなさい。
 つえをついて歩いているおばあさんがいるでしょう。
 あの人も、髪を三つ編みにしていた子供のころ、この鐘つき堂にやって来て、お友達といっしょに遊んだものなんですよ」
 さくらの花がそのほうを見ると、石畳の道を歩いていくおばあさんの姿がありました。
 おばあさんは昔のことを思い出したのか、つえを止めて、鐘つき堂をしみじみと眺めていました。
 これは去年の秋に、花が鐘から聞いたお話でしたが、いまその鐘はどこへ行ってしまったのか、姿かたちはまったく見当たりません。
 さくらの花が屋根の瓦に向かって、
「鐘さんの行った先がわからないのでしたら、せめてお国のために出征された日のようすを、お聞かせくださいませんか?」
とお願いしました。
「ああ、そのときのようすですか」
と、屋根の瓦はお話を続けました。
「いよいよ鐘さんが、この鐘つき堂から下ろされて、戦地へ出発される日には、在郷軍人や婦人会の人たちがやって来ましたし、国民学校の生徒たちもたくさん集まりました。
 お寺は、まるでお祭りのようにとてもにぎやかでしたよ。
 おひげの白いおじいさんが鐘の前に進み出て、
『長いあいだ、私たちは毎日あなたのお世話になりまして、本当にありがとうございました。
 どうか今度は鉄砲の弾となって、悪い敵の陣地に飛び込み、お国のためにしっかりと働いてきてください』
と、深々と頭を下げました。
 すると、集まったみんなもいっしょになって頭を下げました。
そして『武運長久(ぶうんちょうきゅう)』と書かれた赤いたすきを鐘さんにかけてあげて、まるで本当の出征兵士のように、それはそれはうやうやしく大切に扱いました。
 さらに、鐘さんを乗せた荷車にも、赤や白いたくさんの旗が立てられ、そこには『大日本ばんざい!』『にくき敵・米英をうちほろぼせ!』などと書かれていました。

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