初級翻訳・かもめ 第11話

かもめ

人がたとえば月なんかについて、夜も昼も四六時中考えていると、そのことばかりになってしまうように、私にもそういう月があるんだ。夜も昼も、一つの考えにしつこくまとわりつかれて離れない。それは、「書かなくちゃならない、書かなくちゃ、書かなくちゃ……」というやつです。やっと一つの小説を書き上げたかと思うと、なぜだかすぐ次の作品に取りかからなければならなくて、その次は三つ目、三つ目の次には四つ目……といった具合。まるで郵便馬車みたいに、休む間もなく書き続けて、ほかにどうしようもないんだ。そのどこがすばらしいんだか、明るいんだか、一つ教えてほしいものだな。いやはや、野蛮きわまる生活ですよ! 今こうしてあなたとおしゃべりをして興奮しているだろ。ところがその一方で、書きかけの小説が向こうで待っていることを、一瞬たりとも忘れてはいないんです。ほら、あそこにグランドピアノみたいな形の雲が見えるだろう。すると私は、「これは小説のどこかで使ってやらなくちゃな」と考える。「グランドピアノのような雲が浮かんでいた」ってね。ヘリオトロープの甘い匂いがする。するとまた大急ぎで頭の中に書き込む。「甘ったるい匂い、後家さんの香り、これは夏の夕方の描写に使おう」とね。こうしてあなたと話をしていながらも、自分やあなたの一言一句を片っ端から捕まえて、急いで自分の頭の中の引き出しへ放り込んでいる。「これは使えるかもしれないぞ!」というわけさ。それでやっと一仕事すますと、今度は芝居だの釣りだのに逃げ出す。そこでやっと一息ついて、夢心地に浸れるかと思いきや、とんでもない、そうは問屋が卸さない。頭の中には、すでに新しい題材という重たい鉄の玉がゴロゴロと転げ回っていて、早く机に戻れと呼んでいるんだ。そこでまたぞろ、大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんな調子で、自分で自分をせき立てて、心の休まる暇なんて一日もないんですよ。自分の命を、まるでポリポリとお菓子でも食べるみたいに、自分で食べてしまっているような気持がするんだ。
何かはっきりしない相手に甘い蜜を分けようとして、僕は自分が持っているいちばん綺麗な花から花粉をかき集めたり、肝心のお花を引きちぎったり、その根っこを踏みつけたりしているようなものなのさ。
それで自分はまともだなんて言えるだろうか? 周りの友達や知り合いは、いったいぼくをちゃんとした人間として扱ってくれているだろうか? 「いま何を書いているんですか? こんどはどんなお話なんです?」って、みんな聞いてくることと言ったら同じことばかり。
だからぼくは、知り合いが向けてくれるそんな注目も、褒めてくれる言葉も、感動して流してくれる涙も、みんな嘘っぱちで、みんなで寄ってたかってぼくを病人扱いして、適当な気休めを言っているだけなんじゃないかって気がしてしまうんだ。
気を抜いていると、誰かうしろから忍び寄ってきて、ぼくをとっつかまえて、あのポプリーシチンみたいに、お医者さんの病院へ閉じ込めちゃうんじゃないかって、怖くなることだってあるんだよ。
それじゃあ、ぼくがやっと物を書きはじめたころ、まだ若くて、元気いっぱいだった時代はどうだったかというと、これまたぼくの作家としての生活は、ただもう苦しみの連続だったんだ。
書き始めたばかりの作家なんていうものは、とくに売れない時代にはなおさら、なんだか自分が間抜けで、不格好で、いらない余計者みたいに感じられるものなんだよ。神経ばかりやたらに尖らせて、ただもう文学や芸術をやっている人たちのまわりを、ふらふらと落ち着きなくうろつき回らずにはいられない。
誰にも認めてもらえず、誰の目にも留まらず、おまけにこっちから相手の目をじっとまともに見る勇気さえない――まあ例えるなら、一文無しのギャンブル狂いみたいな惨めなありさまさ。
ぼくは自分の読者に会ったことは一度もなかったけど、なぜか頭の中のイメージでは、みんな気難しくて疑り深い人たちなんじゃないかと思っていたよ。
ぼくは世間の人たちが怖かった。
世の中のすべてが、ものすごい怪物みたいに思えたんだ。
自分の新しい本が本屋さんに出るような時になると、決まって、黒髪の人はぼくに敵意を抱いていて、明るい髪の人は冷たくてまったく関心がないんだって、そんなふうに思い込んでいたものさ。
思い出してもぞっとする! 本当に何とも言えない苦しみだったよ!
ニーナ ちょっとお待ちになって。
でも、ワクワクするような気持ちが湧いてきた時や、すらすらと文章が書けている時は、ものすごく素晴らしい幸せな瞬間を味わえるんじゃないんですか?
トリゴーリン それはその通りだよ。
書いているうちは楽しいんだ。
出来上がった文章の校正をするのも愉快だな。
だけど……いざ本として刷りあがってしまうと、もう見ていられないくらい嫌になってしまうんだ。
こりゃあ見当違いだった、大失敗だ、いっそ書かないほうがよかったんだって、むしゃくしゃして、ものすごく気が滅入ってくるんだよ。
……(笑いながら)ところが、世間の人たちは読んでくれて、「なるほど、うまいなあ、さすが才能があるね」とか、「うまいにはうまいけど、あのトルストイには遠く及ばないね」とか、「よく書けてる、だけどツルゲーネフの『父と子』のほうが上だな」とか、いろいろ仰る。
そんなわけで、結局のところ、お墓に入るまでは、明けても暮れても「うまい、才筆だ」「うまい、才筆だ」の繰り返しで、ほには何もありゃしないんだ。
それでいざ死んでしまうと、知り合いの連中が墓のそばを通りかかって、きっとこう言うのさ。
「ここにトリゴーリンが眠っている。
なかなかいい作家だったけど、ツルゲーネフには敵わなかったね」ってね。
ニーナ でもちょっと待ってください。
わたし、そんなお話は信じられませんわ。
あなたは、自分の大成功にすっかり甘えているんだわ。
トリゴーリン いったい何の成功だって? ぼくはこれまでに一度だって、自分で書いたものをいいと思ったことなんかないんだよ。
ぼくは、作家としての自分が好きじゃないんだ。
何がいちばん悪いって、ぼくは頭の中がいつももやもやしていて、自分でいったい何を書いているのかよく分かっていないことなのさ。
……ぼくはね、この水辺が好きなんだ。
木立や空がとても好きだ。
ぼくは自然の美しさをしみじみと感じている。
それがぼくの情熱を呼び起こして、何かを書かずにいられなくするんだ。
ところがぼくは、ただの風景の画家だけじゃなくて、そのうえ社会の一員でもあるわけだろ。
ぼくは祖国を愛しているし、この国の人々を愛している。
ぼくは、もし自分が作家であるならば、世の中の人々や、その苦しみ、その未来について語る義務があるし、科学や、人間の権利や、その他いろんなことについても語る義務があるんだ、と感じるわけなんだよ。
だからぼくは、何もかも一度にしゃべろうと焦ってしまう。
ぼくは四方八方から追い立てられ、叱りとばされ、まるで猟犬に追いつめられたキツネみたいに、あっちへすっ飛び、こっちへすっ飛びしているうちに、みるみる人生や科学は前へ前へと進んでいってしまう。

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