紫色にキラキラと光るたくさんの髪――私はまるで、絵の中、それも浮世絵の中からふわっと抜け出してきた人を見ているような気持ちでいました。
ふっと、なんとなく、軽やかな微笑みが私の頬にのぼりました。
「今日はいい日だこと。いつもより静かで――そしてだれもいなくってねえ」
「いい日や、気がボーッとするほどのびやかな日……こうやって二人きりで……」
なんだかその言葉をそのまま聞きすててしまいたくないような、最高に心地よい調子でそんなことを言いながら、彼女は私の手をとって自分の顔にそっと押し当てました。
「あら、汚くなっちゃいやしないかしら」
ひょっとそう思ったけれど、細い手でしっかりと押さえているのを見て――そのままそっとされるがままになっていました。
私の手には、こまやかですべすべした、なめらかな肌がぴったりとくっついています。
そしてそのやわらかさも、あたたかみも、すぐにじかに私の手に感じられるのです。
私はお妙ちゃんと同じ早さで息をしながら、軽く閉じた長いまつ毛を見つめました。まるで紫色の細かい粒でできているみたいに、その細かくて小さなまつ毛の一本一本がピカピカと輝いています。
「まあ、きれいだわ……何て言ったらいいんだろう。私はこんなに可愛らしくてきれいな人を好きにならなかったら、きっと死ぬほど好きな人になんて一生出会えないに違いないわ。
このまつ毛も、この髪も、この毛も、そしてまあ、このバラ色の顔の輪郭といったら……!」
そのあまりの美しさに、私はもう少しで涙がこぼれ落ちてしまいそうになるほど、まぶたが熱くなるのを感じていました。
「ようやっとようなった。
今あんまり気が高ぶっていたさかえ、こうして居たのや。どうにもこうにもしようのないほど……ナア、涙がこぼれそうやったわ」
「どうして? あんなこと、私が言ったから……? でもそんなこと考えたってしかたがないんだもの、もうやめて楽しくしましょうよ!」
「そんなことやないワナ。私たち、よそのお嬢さんたちから『ほら、芸子やまい子や』って言われてばかりいて――それなのにあんな遠いところから来たあんたに、こんなによく親切にしてもらったから、何やら妙な気持ちがしたさかえ……」
まだ十七にもならないというのに――私はスーッと目に涙がにじんで来ました。
だまってお妙ちゃんの弱々しい肩をやさしく抱いていました。
二人とも一言もしゃべらないで赤い鏡かけ(鏡台の布カバー)を見つめていると、急にはしご口が急ににぎやかになりました。
「あら……おいでやす、少しも知りませんさかえ、とんだお邪魔ね」
とんきょうな声で、顔の平らな、目の離れた子が言いました。
「あほらしい、早く来なはれ! あかんこと言わぬものや、ひといじめようとなんて……わちにはお百合ちゃんがついてまっさかえ!」
お妙ちゃんは今までとは似ても似つかない、うきうきした軽い調子で、一かたまりの花のようになって笑っている三人の女の子たちに向かってそう言いました。
私も、急に元気が出たお妙ちゃんの華やかな様子を見て笑いながら、心の中で彼女のこれからの行く末をそっと想像していました。
「そんなら――邪魔やったらすぐ出て来ますさかえ――ナア、そうやろ?」
こんなことをさっきの女の子が言って、手拭いを手すりにかけ、化粧道具を鏡台の上に置いて、丸く白い顔をそろえました。
「何やら、えらくまじめな様子やこと! 何かして遊ぼうナ、何か考えてみなはれ……」
雛勇はんがニコニコしながらそんなことを言い出しました。
「雷落しがいいわナ!」
一番ちっぽけな女の子が言いました。
それに決まって、私たちはまるで夢中になったように大はしゃぎしました。この時はじめてお妙ちゃんのうたうのをきいた。「マア、何んていい声なんだろう」私は声の余韻を追いながらうっとりとした様にこんな事を云った。
「そうやろそうやろ、それやから倍も又雛勇はんがすきに御なりやはったのやけ?」
今まであんまり口数をきかなかった中位の妓が云い出した。
「そうですとも……もとからすきだったのが御うたきいたんで倍も倍もすきになったんです、どうして心配なの? すきだって何にも悪かないでしょう……」こんな事を平気なかおして私は云いのけた。
お妙ちゃんは私の口元を見ながらかるくほほ笑んで居る――その様子が又たまらないほど可愛い様子だ。
私は頭ん中でこういってやった。
「どうしたってどうなったっても私はお妙ちゃんがすきなんだから、……いいさ、だれがなんて云ったって……」そんな事を云いあって笑ったりなんかしておひるすぎまでさわいで二時頃ビックリした様な気持で家にかえった。
家のたたみの上に畳って居ても「又ナー」云って一寸私の小指のさきをつまんだお妙ちゃんの様子やあのバラ色のお顔の輪郭を思うと又すぐ行きたい様な気がした。
夜になったら座に行って会おうこういう事をたのしみにして夕飯をしまうとすぐ髪を結いなおして縮緬しぼりの長い袖の着物に白い博多を千鳥にむすんで祖母をひっぱって出かけた。
私は幕のあくたんびに御妙ちゃんの出るのがまち遠しくてまち遠しくて自分の目の前にひっぱって来たいほどになった。
一番おしまいの幕の一時に大沢の舞子の出た中に端から二番目に花がさをもって立って居るのがお妙ちゃんだった。
私はフッと少し立ち上った。
お妙ちゃんはまだ見つけて居ない。
こっちをむくたんびに私はのび上った。
フッと思わない時にお妙ちゃんは見つけたものと見えてその次にこっちを見た事には笑って居た。
幕が下るとすぐ男が私の様子をジロジロ見ながら「雛勇はんが着変るまでまっとくれなはれとことづけと云う事でござりますから」こんな事を云って居た。
私は外に立って楽屋から出て来る一人一人を目をはなさず見て居た。
「まっとりやすの、あの人もうとうに家へかえりやしたワ」あの小っぽけなのが私のまるで知らないのと二人でこんな事を云って肩をたたいて行ってしまった。
雛勇はんはなかなか出て来ない。
「もしかするとあの妓が云ったのがほんとうなのかも知れないけど」こんな事を思いながら下駄の先で小さい石っころをけとばしながらまって居た。
どっからか、ポーッといい香りがする、階子を下りて居るらしい。
「おたえちゃんだ?」何と云う事はなしにフッと思った。
そして白い足袋につつまれた足がせまい階子を下りて来る、あやぶげな様を思って「若しおっこったら!」こんな下らない心配におそわれて居た。
ぽっくりの音をすぐそばでさせて、
「ようまってて御呉れやはった、わてキッともう御帰りやはったろうって云っとったやに――」
お妙ちゃんはこんな事を云いながら石っころの多いところを高い下駄に長い着物を着て居ながら器用に歩いて居た。
「今夜のよな時、いつまでもいつまでもおきて話して見たい様だ事」一人ごとともつかずにこんな事を云ったけれども御妙ちゃんは何とも云わないで白い足と手とかおだけ闇の中にホンノリとうき出さしてうつむき勝にあるいて居た。
私は自分の家を通り越して御妙ちゃんを送りこんでから家にかえった――。
こんな様なまるで恋中の様な日は毎日毎日つづいた。
初級翻訳・ひな勇はん 第3話
ひな勇はん
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