初級翻訳・ひな勇はん 第4話

ひな勇はん

そして千羽鶴をおって糸を通す針で小指をついたんで母はんによいんでつつんでもらったら友達が私に小指をきったんだろうって云われたなんかって云う事があった。
一日一日と立つごとに私とお妙ちゃん雛勇はんとは段々仲がよくなるばっかりであった。
お妙ちゃんに行きはじめてから二十日ほど立った日私はおひるをたべるとすぐいつもの格子の外にたった。
いつも一番さきに通るあの眉の青い女房のところから何か云ってきかせて居る様な声がひびいて居る。
「どうしたのかしら」私はきき耳をたてて居るとしばらくして云ったもう一つの声がどうしてもお妙ちゃんらしい。
何と云うわけもなくただおびやかされた様な気になって私は身ぶるいをした、そして、あけようとしたのをそのまんまぬき足に一間位あるいてあとは一散走りに走って内にかけ込んでホーッと息をついて白い眼をして後をふりっかえった。
その日一のわだかまりのある情ない一寸の事でもすぐ涙をこぼしそうな日だった。
翌日私はこらえきれなくなって早すぎると思いながらも出かけた。
お妙ちゃんはもう起きて居た、手まねぎをするのでそのまんまいつもの二階に上った。
どことなくいつもと変って陰気が目に見えて居る様な気をして私のかおを見るとだまったまんま、細いしなやかな首を私の肩にがっくりともたせかけてしまった。「どうして? 何か悲しいことでもあるの? 私にできることなら何でもするから――」私はお妙ちゃんのせまいおでこを見つめながら、そう言った。
「ううん、そんなすごく悲しいってわけでもないんだけどさ、あのね、聞いて。
おきんのお母さんが下に呼んで、こうおっしゃったのよ。あまりお百合ちゃんと仲良くしていると、変に思う人がいるといけないからって。『何が変なんだろう』って聞き返したら、お母さんが怒っちゃってさ。でも、何がなんだか全然わけが分からないから、ずっと考えてるの――」
お妙ちゃんは、いかにも心配そうに、そしてとても大切そうにそう話してくれた。
「そんなの、気にすることないよ。
あんまり気にしなくていいじゃない。私たち、どうやったって今さら仲が悪かなるなんてできないんだから!」私はそう言って、ほかの子たちと一緒に雷落としや話しっくらだといった他愛のない遊びをして、みんなでワイワイとはしゃいだ。
お妙ちゃんのタンスの上にある花瓶には、まっ白な鉄砲百合がピンと元気に活けられていた。
夕方の四時頃になると、どこそこのお茶屋さんに行かなくちゃならないと言って、着物を着替えたりしながらも、お妙ちゃんは何度も「お百合ちゃん、お百合ちゃん」と嬉しそうに繰り返していた。
私はそのお茶屋さんのすぐ手前の一町先まで、一緒に歩いて送っていった。
毎日毎日、私の頭の中は「お妙ちゃん、雛勇はん」――この名前だけでいっぱいに満たされていた。
暇さえあれば、何をするのにもいつも一緒だった。
お妙ちゃんが出演する時は、毎日のように踊りを見に出かけた。
そうして暗い夜道を二人で並んで歩くことが、この上なく楽しい時間だった。
そんなふうに過ごしているうちに、八月も中頃を過ぎた。
おばあちゃんが時々思い出したように、「そろそろ家に帰ろうかねぇ、もう十分ここにいたんだから――」と言い出すことがあったけれど、私は必死になって、もう少しここにいよう、もっといようとなだめて引き止めた。
いよいよおばあちゃんが、九月の十日頃には帰るぞとしっかり決めてしまい、私にはもうどうすることもできないと分かってから、そのことが言い渡された。
それは八月の二十九日頃のことだった。
私の顔色はきっとひどく青ざめて変になっていたに違いないけれど、私はじっとおばあちゃんの瞳を見つめたあと、急に家を飛び出してでお妙ちゃんのところへ走っていった。
この頃の私は、もうすぐどうしてもここを離れて帰らなくちゃならない時が近づいていると感じていて、どんなに忙しい日でも、一日に一度は必ずお妙ちゃんの家に行くようにしていた。
用事もなさそうでのんきな顔をしているお妙ちゃんを見るたびに、「ああよかった、まだ帰るまでにはもう少し時間がありそうだな」と、心の中でホッと安心している自分がいた。
こんなに楽しそうにしているのに――そう思うと、もうすぐ帰らなければいけないなんて、どうしても私には言い出すことができなかった。
二人はそっと手を握り合いながら、静かな真昼の空気の中にただ包まれていた。
「あのね、おたえちゃん。もし私が帰るとなったら、帰る日が前もってずっと前に決まっていた方がいい? それとも、その前の日とかに急に知らされた方がいい? どっちがいいかな?」何でもないことのように装って、私はそう尋ねてみた。
「そうだなあ……いつ聞いたって悲しいことに変わりはないけど――でも、前もってうんと早めに教えてもらった方がいいと思うな。心の準備をする時間が作れるから……」お妙ちゃんは特に深い意味もなく、素直にそう答えてくれた。
私は、自分でもどうしようもないくらい重く曇った気持ちをわざと隠すように、無理やり明るい笑顔を作ってみたり、どうでもいいような冗談を言ったりしたけれど、お妙ちゃんの家を出て一人になると、帰り道でポロポロと涙をこぼした。
たった一ヶ月前までは顔も知らなかったような舞い姫と、どうしてこんなにも涙が出るほど別れるのが嫌になってしまったんだろう。どうしてこんなに仲良くなってしまったんだろう。そんなことばかりを考えながら、私はとめどなく涙を流していた。
翌朝、目を覚ますとすぐにでも会いに行こうかとも思ったけれど、どうしてもその気力が湧かなくて、お互いに気持ちがせかせかしている時の方が却っていいかもしれないと思い直し、わざと午後三時をすぎてからお妙ちゃんの家を訪ねた。
ちょうどお化粧がすっかり終わったばかりのタイミングだった。
私とお妙ちゃんは、何も言わずにただ並んで座っている。そして、二人ともポロポロと涙を流していた。
お妙ちゃんも一言も話さず、私も黙ったままだった。
「でもまあ、悲しいけれど、ちゃんと教えてくれてよかった……」
お妙ちゃんは消えそうなほど小さな声で、そう呟いた。
私は、自分が一番触れたくない「お別れ」というはれものに触れるよりもなお恐ろしく、その結果どうなるかを想像するだけで怖かったのだけれど、お妙ちゃんがそんな風にはっきりと受け止めてくれたことは、どこか予想外というか、あてが外れたような気もした。それでも、彼女が心の中でこらえているんだと思うと、言葉であらわにされるよりもはるかに深く、私の心に鋭く染み入った。
その日、お妙ちゃんはただ「忘れないでね、忘れないでね」と何度も繰り返していた。
そして、出発の時間が近づくまで、言葉もなく二人でしっかりと手を握り合っていた。
その翌日も、さらにその翌日も、私はお妙ちゃんのところへ通いつめた。
私たちは以前のように楽しくおしゃべりをしたりふざけ合ったりすることはもうできず、ただ黙って手を握り合い、肩を寄せ合って、ときどきお互いに涙をこぼしたり、疲れ果てたような儚い微笑みを交わしたりするだけだった。
そうしているうちに、人間の力ではどうすることもできない「別れの時」が、刻一刻と私たちに迫ってきた。

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