そんなことすら考えもしないで、自分一人がまるで国を愛しているみたいに思い込んでいるなんて、そんなのまるで頭の悪い豚と同じだ!
次郎 豚の頭だろうが犬の頭だろうが、そんなの大きなお世話だ!
へっ、お前が生意気な口をきいていられるのは、お前の家には十分な田んぼがあって、お前はその跡取り息子で、そのうえ会社でちゃんとお給料をもらっている、つまりは大金持ちだからだろ!
へっ、俺みたいなどこにだもいる貧乏な農家の、冷や飯食らいの次男坊や、喜十のおじさんみたいな人間は、お前みたいにのんきな御託を並べてなんかいられないんだよ!
新一 御託だと? この野郎! (ビシッと一発殴る)
いい気に言わせておけば……!
次郎 おい、殴ったな!
サダ (ガタガタと慌てて二人の間に割って入る)ちょっと! 一体なにをしてるの、あんたたちは! もうやめなさいよ!
せん (これも必死に止めながら)なんてことするんだね、まったく! いとこ同士のくせに、お前たちはまあ! 新ちゃん、人を殴るなんて良くないよ!
新一 この野郎が!
おりき (大きな声で)そのままやらせておきな! 取っ組み合いでもなんでも、とことんやってみろい!(その一喝で、その場の騒ぎがピタリと収まり、静まり返る)
……よく見な、新一。
兵隊はダメだ、戦争は反対だって自分で言っていたその口のすぐ下から手を出して、お前は次郎を殴ったじゃないか。
新一 だって、あいつがまり人をナメたようなことばかり言うから……
おりき 同じことさね。
どれだけりっぱらしい理屈を並べたって、お前も次郎もどっちも同じことだよ。
どっちもあたしの孫だけに、どうしようもないバカ者だねえ。
森山 だけど、そうは言ってもですよ。
こんな若い連中にしてみりゃあ、今度また戦争でも始まったら、自分たちが直接戦場に引っ張り出されるわけですから、軍備の問題にはどうしてもムキになってしまうのも無理はない道理でしてねえ。
おりき そうさねえ、まったく困ったもんだよ。
……(寂しそうな、しゃがれた声で)次郎、それで、お前があたしに相談しにきたっていうのは、今言ったようなそんな気持ちで、東京へ行きたいっていうのかい?
次郎 ……うん。
この家にいたって、この先もうどうしようもないからさ……
おりき そうか……。
(長い沈黙。
……シーンと静まり返った部屋の中に、火鉢の炭がパチパチと爆ぜる音と、柱時計がカツ、カツ、カツと刻む音だけが響く)
おりき ……喜十や、お前が村八分にされかかっている件についてだが、お前から金五郎に対しても、村の人たちに対しても、何か悪いことをした覚えは本当に一切ないんだね?
喜十 金輪際、俺の方から村の人たちに悪いことをしたなんて覚えは微塵もありません!
おりき お前は筋金入りの、お人好しで馬鹿正直な善い人間だ。
そんなことくらい、あたしにはよーく分かっているよ。
だけど、どんなに善い人間だって、自分じゃまったく気がつかないところで、他人の気分を害するようなことをしてしまうこともあるもんだよ。
森山 ですがね、わしなんかもあちこち方々に問い合わせて調べてみたんですがね、喜十さんの方にはそんな落ち度は一切なかったんでさあ。
その、一昨年の選挙の時に須山さんが票を買収したことをリークしたのが喜十さんだったなんて話も、まったく身に覚えのない濡れ衣でしてね。
第一、こんなお人柄の人がそんな出過ぎた真似をするかしないかなんて、誰がどう考えたってすぐに分かるはずなのに、なんだか芹沢の口車にうまく乗せられて、いつの間にかそういう話に仕立て上げられちまってるんでやす。
おりき ……たしかにねえ、喜十や、悪いことはしなかったっていうのは嘘じゃないんだね?
喜十 俺ぁねえ、たとえ神様の前で嘘をつくことがあったとしても、ばさまの前でだけは絶対に嘘なんてつきやしません!
おりき よし、そうかい。
それならもういい、十分だよ。
だったらお前は、これからも喜んでいなさい。
そしてね、自分は本当に幸せ者なんだって心から思い込んで喜んでいればいいんだ。
それで全部うまくいくのさ。
喜十 へい?
おりき 村八分にされようが七分にされようが、そんなくだらないことなんて全部きれいさっぱり放り捨てて、一生懸命に農作業に励むんだよ。
そうじゃないかい?
今時、世間の人に対して悪いことを一つだてしないで真っ当に生きていけるなんて、そりゃあ大したもんだよ、すごいことじゃないか。
自分がそれをちゃーんと分かっているなら、それで十分いいじゃないかさ。
こんなに満ち足りたありがたいことなんてほかに無いんだからさ、自分で勝手に満足していればそれでいいんだよ。
第一、村の連中が今どんなに意地になってお前をいじめにかかっていたって、人間、理由もないようなことをいつまでもいつまでも続けられるもんじゃないのさ。
そのうちみんな飽きてきて、勝手に忘れちまうもんさね。
喜十 いえ、そこが違うんでやすよ。
あいつらはあまりにもシツコクて、いつまで経っても俺のことを忘れないで執拗にいじめてくるもんですから……
おりき 違うね!
アベコベだよ。
いつまでも忘れずに覚えているのは、ほかならぬお前の方じゃないか。
お前が、「うらめしい、うらめしい」って心の底で恨み続けて忘れずにいるから、向こうの連中も忘れずにいじめてくるのさ。
次郎 だけど、そう言ったってさあ、おじさんの方はどんなにひどい目に遭わされていたって、いじめられっぱなしのままでじっと耐えてなきゃいけないっていうのかい!?
おりき まあまあ、そこはあたしに任せておきな!
新一 村八分だなんて、そんな前近代的な封建主義のやり方は、どう考えたって間違っているよ!
おりき はは、そんな小難しい理屈を並べ立てたって、あたしにそんなの分かるもんかよ。
ただねえ、人間、絶対に早まって失敗しちゃいけないんだよ。おりき 喜十は「いじめられてる、いじめられてる」って言うし、その喜十や森山さんが言っていることがウソだとはあたしも思わないよ。だけどね、話をよーく聞いてみると、その中で本当にあったはっきりした出来事といえば、田んぼの水の引き込み口を削り取られたっていう、その一つだけなんだよね。
だろ? 配給を飛ばされたことも、お祭りの寄付のことも、仲間外れにされたことも、そのほかのことも全部、その時その時のすれ違いかもしれないし、こっちの思い込みかもしれないじゃないかい。
どれもこれも、はっきりしないあやふやなことばかりさ。
物事がこじれてうまくいかなくなるときは、そういう嫌なことが次から次へと重なって起きるものなんだよ。
それをこっちが「年中いじめられてる、いじめられてる」って思い込んでいるから、何でもかんでも悪い方へとひねくれて受け取ってしまうんだね。
人間っていうのはね、自分ではウソをつくつもりがなくても、結果的にウソをついちゃうことだってあるんだよ。
ははは! うちのおじいさんがね、昔一度キツネにだまされたことがあってさ。小諸の親戚のお祝いごとに行って帰ってくる途中、このすぐ上まで帰ってきているのに、「どうしても家に入れないんだ!」って大声を張り上げたんだ。
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