初級翻訳・ゆだん大敵 第5話

ゆだん大敵

必ず相手を倒さなければならないし、自分自身の死も免れない覚悟が必要だ。
つまり、日々の稽古の目的はそこにある。一生に一度、刀を抜いたなら必ず敵を討ち取る――それこそが剣術の極意なのだと、心得てほしい」

そう言って、久之助はただひたすら「一撃の重み」だけを厳しく稽古させたのでした。

そして、それ以上に厳しかったのが、毎日の日課である雑事の数々でした。
火桶の炭のつぎ方、拭き掃除、薪割り、畑仕事、さらには寝るときの寝具の上げ下ろしに至るまで、「なぜここまで厳しくされなければならないのか」と不審に思うほど、一切の妥協なくびしびしと指導されたのでした。百日ほどが過ぎたとき、ついにがまんの限界を超えたのか、横堀賢七が道場を出ていきたいと言い出しました。
「……少し自分なりの考えもございますので、失礼とは存じますが、道場から出させていただきます」
 怒りと不満をどうしても抑えきれない様子でそんなことを言う賢七の目を、久之助は見すえるように冷たく見返してから、こう言いました。
「ならぬ」
「そなたたち五人はお殿様から預かった身だ。自分が十分に成長したと認めるまでは、どんな事情があろうとも道場から出すわけにはいかない。二度とそのような口を利けば……」
 そこで久之助は言葉をピタリと切りましたが、そのあとにどんな恐ろしい言葉が続くのかが十分に察せられる、あまりにも力強い断固とした響きが、賢七の心を強く打ちつけました。

 そして一年が経ったころ、和田藤吉郎という者がついに免許皆伝(めんきょ)を受けました。
 彼は五人の中でも一番パッとせず、身のこなしや動きもどこか鈍く、道場での稽古を見ていても不器用で、これといった取り柄のない男に見られていました。
 そんな彼が一番最初に免許を与えられたのです。他の四人にとってもそれは予想外のことで驚きでしたが、当の本人である藤吉郎の驚きは、誰のそれよりもはるかに大きなものでした。
「……そなたにはもう教えるべきことは何もない。しかし、これからの生き方が一番大切だからな。道場での厳しい修業を忘れず、立派にお役目を果たしなさい。これは免許の許し書きである」
 そう言って久之郎から一通の封筒を渡されましたが、藤吉郎は顔をまっ赤に染め、なんとも居心地の悪そうな、恥ずかしそうな様子をしていました。

……道場を出て自分の家へと帰った彼が、なによりも先にと封筒の中身を見たのは、言うまでもない当然のことでしょう。
――いったい、どんなすごい奥義や秘伝が書かれているのだろうか。
心臓をドキドキと早鐘のように打たせながら、彼は許し書きの封をそっと開きました。
しかし、改まった奉書の真ん中に、力強い美しい墨色ではっきりと書かれていたのは、ただ「ゆだん大敵」という、たった五つの文字だけでした。
柳生流のすさまじい極意や秘伝がずらりと書き並べてあるものとばかり思い込み、興奮していた藤吉郎は、あまりのことにポカンと口を開けたまま唖然としてしまいました。彼は紙の裏側までひっくり返して眺め、封筒の中にまだ何か紙片が残ってはいないかと必死になって探しました。
しかし、許し書きはその一枚きり。「ゆだん大敵」という五つの文字のほかには、「秘伝」らしきものはどこにも書かれていなかったのです。

 藤吉郎が道場を出てから五十日ほど遅れて、今度は田口求馬(たぐちきゅうま)が免許を取り、それに続いて早川駿五郎(はやかわしゅんごろう)、大槻甚右衛門(おおつきじんえもん)の二人も許し書きをもらって道場を巣立っていきました。
 彼らと入れ替わるようにして、また新しい仲間が次々と道場に入門してきましたが、横堀賢七のひとりだけは、相変わらずそのまま道場に居座り続けていました。
 一刀流の腕前だって相当なものだし、日々の稽古の様子を見ても誰よりも抜きん出て優れているというのに、彼だけが二期生(後から入ってきた者たち)の中にぽつんと残されてしまったのです。
――こんなばかげた話があるものか。
賢七は強い屈辱さえ感じていました。
そしてある日、お城からいつもより早めに仕事を引き上げると、ものすごく気合を入れ直した様子で、大槻甚右衛門の家を訪ねました。しかし、あいにく甚右衛門は留守でした。
そこで次に早川の家を訪ねてみると、
「……大槻様も田口様もご一緒で、いまは和田様のお宅へおいでになられておりますよ」という返事でした。
――もしや、四人そろって免許のお祝いでもしているのか。
賢七はそう思い込み、さらに我慢ならない怒りと悔しさを募らせながら、和田藤吉郎の家へと急いで向かったのでした。

七

 四人がただの免許祝いに集まっていたわけではないということは、確かに確かなことでした。では、彼らはいったい何のために集まっていたのでしょうか。それがひと口にはなかなか説明できないような、複雑な空気があったのです。
 四人はいま、お互いに向き合って行儀よく座っています。話はどういうわけか免許のことから例の「許し書き」の話題へと及び、四人ともなぜか妙に、奥歯に物が挟まったような歯切れの悪い話し方になっていました。
「いったいさ、和田氏のあの……」
 と、早川駿五郎が恐る恐るその核心に触れました。
「……その、和田氏の許し書きには、いったいどういう秘伝が記してあったのかね? それをさ、今日はひとつ俺たちにも拝見させてくれないだろうか」
「いや、それは、その……」藤吉郎はまた顔を真っ赤にしました。
「……そんなこと言われてもねぇ、なにしろ伝授書というものは他人に見せてはならないすごく大切なものだからさ」
「しかし、俺たちもみんな同じ免許を受けているんだぞ」
 甚右衛門が身を乗り出しました。
「……たしかに他の連中に見せるわけにはいかないだろうが、同じ道場で同じように免許を授かった俺たち同士なら、見せ合ったって何の問題もないはずだ。お前だけとは言わない、俺たちの許し書きだってちゃんとここに披露するからさ」
「それはぜひとも見てみたいけれど、自分のものなんて大した奇抜なことも書いてないし、実際問題としてありがたい神仏の教えのような厳かなものというわけでもないからさ……いや、本当にそれは困るんだ」
「そんなこと言わずに見せてくれよ」と互いに言い合ってモジモジと揉めているところへ、まさにそのタイミングで賢七がやって来たのでした。

……「横堀が来たぞ」と聞いた瞬間、四人はピタリと口を閉ざし、お互いに顔を見合わせました。そこへ、賢七がドカドカと遠慮なく踏み込んできました。
「四人そろっているとは、ちょうど好都合だ」
 彼はその場にドスンと座り込むと、まるで今にも襲いかかろうとするかのような鋭い目で言い放ちました。
「……俺にも少しばかり思うところがあってここへ来た。有無を言わせはしないぞ、四人とも自分の免許の許し書きを俺に拝見させてもらう!」
 四人はもう一度、顔を見合わせました。
しかし、結果的に賢七がこうして乗り込んできたことで、むしろダラダラと続いていた話がすぐに片付くことになりました。

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