初級翻訳・末っ子 第8話

山本 周五郎

よせばいいのにさ、ろくな刀が集まるわけじゃなし、よせばいいのにおやじは喜んで連れて行ったよ」
 平五はうめいた。
「どうしたんだ」と助三郎が言った、「どうかしたのかい」
「よけいなおせっかいだ」と言いながら平五は立ちあがった、「くそうくらえ」
「なんだって」と助三郎が聞き咎めた。
「こっちのことだ」
「おい」と助三郎が前へ立ち塞がった、「いまの言葉を取り消せ」
「こっちのことだと言ったろう」
「取り消さないのか」
 助三郎は拳をにぎった。
「おせっかいと言ったのはおれ自身のことなんだ。自分に言ったことを取り消すのかって聞いてるんだよ」
「そうじゃない、『くそうくらえ』と言った、それを取消せというんだ」
 平五は助三郎を見て、そして言った、「ああそうか、じゃあそんなものはくらうな」
 助三郎がなお何か言いかけたが、平五は友人に別れを告げて、学寮をとびだした。
「これはひどい、こいつはひどい」と平五は呟いた、「多賀などという本職が来るとはあんまりだ。まるでペテンじゃないか、どうするんだ」
彼は練塀(ねりべい)の木戸門を抜け、馬場に沿って聖坂へ出た。
平河町(ひらかわちょう)の叔父が初めに「多賀だ」と紹介すればいい。
そうすれば叔父も短刀は出さないだろうが――いや、多賀だけではだめだ。
本阿弥と多賀との関係など叔父は知っていない。
おそらく紹介されても短刀を出すだろう。
――これは新庄家伝来で、貞宗の作ということです。
そんなふうに言う叔父の姿が目に浮かぶようである。
そうして、刃文や中心の説明まで得意げにするだろうと思うと、平五は全身が縮こまるように感じ、歩きながら幾たびも唸り声をあげた。
「おやじやほかの連中はごまかせるが、本職の目ををごまかすことはできない」と平五は呟いた、「叔父は恥をかくことだろう。よけいなおせっかいだった。叔父の面目を立てるどころか、満座の中で恥をかかせることになった。ひどいもんだ、ひどいことになったもんだ」
 彼は自分を罵った。
自分の軽薄さ。
猿知恵のおせっかい。
うぬぼれと高慢さを。平五は頭を垂れ、心の中でかぶとを脱いだ。
田村小路を訪ねたのは夕方であった。
叔父はまだ帰っていなかった。
妻女があがって待つようにすすめたが、彼は用をたして来ると云い、半刻ばかり歩きまわってから、また訪ねた。
主殿はちょうど帰ったところで、風呂にはいっていると云われ、平五はいつもの三帖で待った。
子供たちがうるさく騒ぎ、七つと五つの男の子は、はいって来て平五をからかった。
遊んでもらいたいのだろうが、こっちはそれどころではない、あいそを云う気も起こらないので黙っていた。
主殿が汗を拭きながらあらわれると、平五はいきなり低頭して詫びを云った。
「本阿弥、いや、多賀が来るなんて予想もしなかったものですから、そう聞いて、しまったと思ったんですが」と平五はうかがうように叔父を見た、「御迷惑をかけて済みません、やっぱり短刀は見せたのでしょう」
「見せたよ」と主殿が答えた、「多賀という人が鑑定家とは知らなかったし、平河町もなにも云わないものだからね、鑑定家だと知っていたら見せはしなかったろうが」
「こんなことになろうとは夢にも思わなかったんです、どうか堪忍して下さい」
「いやちがう、そうじゃないんだ」と主殿は手を振った、「そうじゃない、あやまる必要なんかない、あれは本物だそうだよ」
 平五は吃った、「なんですって」
「こういうわけなんだ」
 主殿は汗を拭きながら語った。
多賀勘右衛門はその短刀を二度見た。
いちどはすっと見ただけだったが、他の刀を二三見たあとで、もういちど拝見したいと云った。
二度目にはあらたまった態度で、丹念にうち返し眺め、中心もよくしらべたうえ、「ふしぎだ」と幾たびも口の中で呟いた。
それから、研ぎにかけてみなければはっきり断言はできないが、これは貞宗ではなく、新藤五か、ことによると正宗だと思う、と云った。
「無銘である点が、おそらく正宗だろうと思われる、と云われたのだ」と主殿はまた汗を拭いた、湯あがりの汗ではなく、そのときのことを思いだした汗のようである、「刃文のどこやらは新藤五にそっくりだが、すがたのざっくりとしておおらかな味、しかも高い気魄のこもっているところは正宗の作に相違ないと思う、そうくり返して云って、ともかく自分の手で研いでみたいから預かってゆくということで、一座はしんとしてしまうし、おかげで私はたいへん面目をほどこしたよ」
 平五は唾をのんで反問した、「それは事実ですか、まさか私をからかってるんじゃないでしょうね」
「うちへ帰ってみればわかるよ」と主殿が云った、「本職の鑑定家が、よもや眼ちがいをするわけもないだろう、おまえたいへんなものを掘り出したんだぞ」
「わかりませんよ、そんな筈はないと思う、もっとも私はまだ正宗を見たことはないが、しかし本当とは思えませんね、とても」と平五は昂奮を抑えきれずに云った、「仮にもし事実だとすると、あれは元の持主に返すか、相当の金を払わなければならない、仮に事実だとすればですよ」
「だってあれは平五が買ったんだろう」
「元の持主がわかってますからね」と平五は云いながら立ちあがった、「とにかく多賀という人に会ってたしかめてみます、まだ平河町にいるんでしょうか」
「そうだろうよ、ざっと下地研をしてみて、二三日うちに返辞をすると云ってたからね」
「とにかく平河町へいってみます」
 平五は叔父の家をとびだした。
聖坂の学寮からとびだしたときよりずっと勢いがよかったし、けしきばんでいた。
いつもならそんな浪費はしないのだが、辻駕籠をひろい、駄賃をはずんでいそがせた。
――平河町には多賀勘右衛門がいた。
平五は森家の者には会わず、家扶を玄関へ呼んでもらって、じかに多賀と会いたい旨を述べた。
家扶はいちど奥へゆき、すぐに戻って来て、彼を庭のほうから数寄屋へ案内した。
九

 勘右衛門は四十二三になる肥えた男で、顔も躯つきも逞しく、するどい眼をしていたが、京訛りの言葉が女性的なので、印象がひどくちぐはぐに感じられた。
話は簡単に済み、平五は短刀を受取って帰った。
勘右衛門はまだ研いではいなかったが、正宗に相違ないと云い、その理由を説明した。
平五も正直に事情を話し、もし正宗の作だとすれば代価はどれくらいかと訊いた。
勘右衛門は自分が折紙を付ければ金八十五枚だと答えた。
焼身でなければ金百五十枚以下ではないが、焼直してあるからそのくらいだろうと答えた。
そこで平五は、元の持主に割戻しをするとすれば、金額はどのくらいだろうかと訊いた。
勘右衛門は笑って、その必要はあるまいが、もし気が済まないのなら、二十金も遣ったらよかろうと答え、「しかしこれは木挽町が譲り受けることになっている筈ですよ」と云った。
平河町から帰る途中、平五はいろいろな思いに悩まされた。父が見張っているかもしれないと思ったので、短刀をそのまま持って帰ってきた。
多賀はぜひ自分で研ぎあげてみたいと言ったが、そんなことをしていて父に取り上げられてしまってはすべてがおしまいである。
父から「それを譲れ」と言われたら、気の弱い叔父にそれを断ることはできないだろう。

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