そして否も応もなくそこで師範の役に就いたが、かれは門人を五人と限ってお受けをした――五人とは少な過ぎるではないか、忠辰がそういうと、
「しんじつ道を伝えるためには、一時に多くをお預り申しても致し方がありません」
久之助はそう答えた。
「……また、入門した者はわたくしと共に道場に住み、そして勤役には道場から通って貰います、そして免許を取ったうえ出る者があれば、それに代って新しく入門させる、そういう規則を定めて頂きます」
かれの希望はそのまま容れられ、五人の門人もきまって、稽古町の道場は開かれた。
五人はまず揃いの道場着というものを渡された。
殆んど肱までしかない筒袖の木綿の単衣に、膝下二寸あるかなしの葛布の短袴である。
それが夏冬とおしての着衣だった。それから、食事のときに使う箱膳と、洗面器のような盥(たらい)、そして裁縫箱が一人ずつに配られました。箱膳の意味はわかりますが、盥と裁縫箱までが支給されたことには、五人とも「一体どういうことだろう?」とびっくりしてしまいました。
あとになって分かったことですが、毎日の着物は必ず自分で洗濯し、ほころびがあれば自分で縫い直すためだったのです。
……しかし、「めんくらった」といえば、むしろその日からの毎日の生活こそが驚きの連続でした。
朝は朝の三時に起きます。そこはちょうど真冬の、あらゆるものがカチコチに凍りつく時間です。五人は井戸端へ出て、久之助に続いて真っ裸になり、冷たい水をざぶんと浴びます。
それが終わると、今度は道場の内外の掃除が始まります。もともと大人数である三十人を収容する予定で建てられた大きな建物だったので、どれだけ一生懸命に手を動かしても、掃除には三時間もかかりました。
しかも、天井の板から柱や長押(なげし)の隅々にいたるまで、ゴミやホコリが残らないように徹底的に磨き上げます。ちょっとでも手を抜こうものなら、何度でもやり直しを命じられます。
とくに大変だったのが、道場の板の間を雑巾がけすることでした。広さが五間(ごけん)に八間(はちけん)もあるうえに、新しい木で作られた板なので、ムラなくきれいに拭き上げるのは至難の業でした。
掃除の次は、毎日一人ずつ当番を決めて火桶(ひおけ)に炭を入れます。やり方はこうです。三寸ほどの長さに切った硬い楢(なら)の丸炭を三つ立て、それを灰で囲んで、一番上に小さな火種をのせて火をおこします。そして、その三本の炭を一日中もたせるのが決まりでした。
その当番以外の四人は、薪を割ったり炭を切ったりする作業をします。薪を割るときには、木くずをまき散らしてはいけません。炭を切るときも、絶対に欠け目を作ってはならないというルールがありました。
「いいか、世の中に『伽羅(きゃら)』という高価な香木があるだろう。一匁(いちもんめ)いくらという非常に高価なものだ。薪も炭も、その貴重な伽羅を削るつもりで、一心不乱に丁寧に扱わなければならない」
久之助はいつもそう言い聞かせていました。
それが終わるとようやく朝食の時間になります。炊事はすべて久之助が一人でこなしていました。
メニューは、朝は麦だけの粥(おかゆ)にお味噌汁、昼は九割の麦と玄米を混ぜたご飯にお漬物、夜はまた麦の粥に焼き味噌とお漬物、という質素なものでした。
野菜は新鮮なものをたっぷり使いますが、魚や肉の姿は一切見当たりません。
……食事を済ませると、たいていはもうお城へ出勤(登城)する時間です。仕事を終えて帰宅したあと、夕方にもう一度道場の雑巾がけをし、それからようやく剣術の稽古が始まります。
しかし、この稽古は意外にもあっさりとしていて、一刻(約二時間)足らずで終わってしまいます。それが終わると、今度は日が暮れるまで畑仕事の時間です。
道場の裏にある五反歩(ごたんぶ:約五百坪)ほどの空き地を、立派な野菜畑にしようというのです。そして実際、あとで見事な畑が完成することになります。
……夕食のあとの一刻は、習字の時間でした。といっても、ただ「一」という漢数字の横線をひたすら書くだけの練習で、これも相当に根気のいる仕事でした。
そのあとも半刻ほど道場で稽古があり、最後にもう一度水を浴びてから就寝するというのが一日のスケジュールでした。
ずいぶんと細々したことを書き並べましたが、なぜこんなことをするかといえば、道場では剣術の技を磨くことよりも、こうした日々の雑事のほうがはるかに重んじられていたからです。
入門した門人たちが戸惑い、面食らってしまったのも無理はありませんでした。
その中でも、横堀賢七(よこぼりけんしち)という男は、一刀流の腕前がかなりなところまで進んでおり、自分の剣の腕に強い自信を持っていたため真っ先に不平を言い始めました。
「一体全体、これはちょっとどうもワケがわからないぞ。俺たちは剣術を学ぶつもりでこの道場に入門したっていうのに、これじゃまるでどこかの禅寺にでも迷い込んだみたいじゃないか」
「まったくその通りだよ。柳生流ってやつが、こんなにまわりくどくて堅苦しいものだとは思わなかったな」
「『まわりくどくて堅苦しい』って、お前、なんて言うんだ?」
「よくは知らないけどさ、なんとなくそういう感じがするだろ? これじゃあ雑巾がけや火おこしばかりが上手になって、俺たち、なんだかヘンな人間になっちゃうんじゃないかと思うんだよね」
しかし、「そのうちやり方も変わるだろう」と彼らは考えていました。ところが、どれだけ日数が経っても、毎日の厳しい日課は一向に変わる気配がありませんでした。
……そんなある日、江戸から父親の郷田権之助(ごうだごんのすけ)がやって来ました。権之助は長男に家督を譲って隠居の身となり、久之助を頼って身を寄せにきたのです。
三人の子供の中で一番かわいがっていた久之助と、別れてから十年ぶりの再会です。彼はここで、穏やかな老後を久之助のそばで過ごすつもりでやって来たのでした。
六
我が子の人柄や実力について、権之助は誰よりもよく知っているつもりでした。だから彼は、朝と晩の二回ずつ道場へ足を運び、久之助の稽古の様子をじっくりと観察しました。
……しかし、どうにも納得がいかないのです。
久之助は門人と木剣を持って向き合います。もちろん二人とも、面も小手もつけない素面(すめん)・素籠手(すごて)の状態です。
お互いに向き合って呼吸がぴったり合った瞬間、門人が一撃を打ち込む。それで稽古はおしまいです。
久之助は、「気合が足りない」だとか、「目が違う」だとか、「心がよそ見をしている」だとか、ほんの簡単な注意をぽつりと告げるだけで、すぐに次の門人と交代させます。
何回順番が回ってきても、やることはただ一度の打撃を打ち込むだけ。要するに、見ていてじれったくなるようなもどかしい稽古でした。
「武士が本物の刀を抜く状況というのは、人生で二つしかない」
久之助はよく門人たちにこう言っていました。
「……その一つは、お上のための重大なご奉公のとき。もう一つは、自分自身の武道家としての誇りが傷つけられ、武士としてどうしても引き下がれない恥辱を受けたときだ。
どちらの場合であっても、一度刀を抜くからには絶対に負けられない。
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