その『多少の愉快な刺激』とは何か? それは、プログラムにある異教徒および異派の諸氏による『論難』である!
これら諸氏はみな、信者諸氏と同じように、各自の主義主張のために世界各地から集まってきた『真理の友』である。
おそらく、諸氏の論難は、この上なく痛烈で辛辣なものだろう。
しかし、その批判が鋭ければ鋭いほど、私たちはあくまで公明正大にこれに答えようではないか!
これこそが、大祭開式の辞の、最後の補足部分である。
祭司次長ウィリアム・タッピング、祭司長ヘンリー・デビスに代わってこれを述べます!」
拍手はテントがひっくり返るほどのすさまじさで、その間デビス長老は、ただよろよろと感激しながら頭を振るばかりでした。その大歓声の中で、デビス長老は祭司次長に優しく手を引かれて壇から降りていきました。すると、澄み切った電鈴の音が式場いっぱいに再び鳴り響きました。
祭司次長はもう一度祭壇に上ると、壇の隅にある椅子に腰かけ、それからちょっと立ち上がって「異教徒席」の方を軽く手招きしました。
異教徒席の中から、背が高くてふくよかな体型をし、フォーマルなフロックコートを着た男性が進み出て、演壇のテーブルの前に立ちました。彼は軽く会釈をすると、きびきびとした口調で次のように述べました。
「私は、ビジテリアン(菜食主義者)の皆様の主張に対して、二つの疑問を持っています。
第一に、植物性の食べ物は、動物性の食べ物に比べて、栄養が体の中に吸収される割合(消化率)がすごく低いということです。
もちろん、動物性の食べ物には炭水化物があまり含まれていないので、それは当然植物から摂らなければなりません。
しかし、タンパク質や脂肪について考えるならば、どう考えても植物性のものは消化しにくいのです。
単に栄養の成分表を見て、『牛肉と落花生(ピーナッツ)は栄養の価値が同じだ』からといって、牛肉の代わりにそっくりそのまま豆を食べるというわけにはいきません。
人によっては、植物性のタンパク質なんてほとんど消化できないんじゃないか、と思われることだってあるのです。
ビジテリアンのみなさんは、こうした事実を十分にご存じのこととは思いますが、それでもなお、この菜食主義を多くの病気がちな人や、お年寄り、さらには赤ちゃんにまで広げようとするのは、いったいどういうわけなのでしょうか?
第二に、植物性の食べ物は、どう考えても動物性の食べ物よりも美味しくありません。
これは、どうあがいても否定することができない事実です。
もともと食事というものは、ただ栄養を摂るためのものだけでなく、一種の楽しい娯楽でもあります。
娯楽というよりも、むしろ生活に欠かすことのできない『心の栄養ドリンク』のようなものです。
仕事でクタクタに疲れて、さまざまな悩みやトラブルに囲まれてすっかり元気をなくしてしまったときには、小さな歌を口ずさんだり、楽しくおしゃべりをしたり、音楽を聴いたり、お芝居を観たり、ちょっとした遠足に出かけたりすることがとても大きな効果を持つように、食事もまた、疲れた心と体を元気にしてくれる素晴らしい回復薬なのです。
この大きな楽しみを、菜食(野菜中心の食事)にしてしまったら、ものすごく減ってしまうと私は思います。
それに、とくに『美味しいな』と楽しく食べたものほど、実際にお腹の中でも消化されやすいものなのです。
この点について、ビジテリアンのみなさんはようにお考えなのか、ぜひお伺いしたいものです」
とてもおとなしく、穏やかな質問でしたので、私たちも思わず本気になって拍手を送りました。
すると、私たちの席から三人ほどの人が祭司次長の方へ手を挙げて立ち上がりましたが、祭司次長はその中の一番前にいたおじいさんを指名して壇上に招きました。
その人は白いおヒゲをたくわえ、やはり牧師さんのような黒い服を着ていましたが、ゆっくりと壇上に上ると、重みのある落ち着いた口調でこのように答えました。
「ただいまの御質問にお答えしたいと思います。
植物性の脂肪やタンパク質の消化があまりよくないということは、確かにその通り、明らかな事実であります。
だからといって、それが『まったく消化できないほど不良である』というわけではなく、ただ動物性の食べ物に比べてほんの少し劣るというだけの話なのです。
完全に植物性のタンパク質や脂肪を一切消化できないという人はまずいないでしょうし、もしそんな人がいるとすれば、その人は動物性のタンパク質や脂肪だって同じように消化できないはずであります。
さて、ではどういうわけで植物性のものは消化がよくないのでしょうか。
タンパク質の方はおそらく、そのタンパク質分子の形(構造)に原因があるようですが、脂肪の消化率が低いのについては、脂肪の多くが固い植物の繊維(細胞壁)の中に包まれていることが関係しているようです。
どちらの栄養素も、だんだんと菜食の生活に慣れていくにつれて、体の消化能力も自然と良くなっていくのであります。
これについてはさまざまな実験データもございますので、あとでぜひご覧いただきたいと思います。
また、病気がちの人やお年寄り、赤ちゃんの中には、完全な菜食では体に合わないという人も確かにいるでしょう。私たちの派では、そうした人たちにまで無理やり菜食を押しつけようとしているわけではありません。
ただ、人間同士が『お互いに動物の命を奪って食べ合う』ということは、どう考えても本来あるべき正しい姿ではないのだから、何とかしてその状況を変えたい――というくらいの意味であります。
もちろん、お年寄りや病気がちの人であっても、もしお肉を食べるのを嫌がる人がいれば、その人にぴったりな、すごく消化のいい食べ物を作ることについて、私たちはいま全力で研究し、努力を重ねているところであります。
例えば、タンパク質をあらかじめ少し分解しておいて、もっとシンプルで消化しやすい形のものを作る、といった工夫などであります。
第二の『食事は一つの楽しみであり、菜食にするとその大部分が奪われてしまう』という点についてですが、これはやはりお肉を食べる人たち(肉食者)ならではの発想と言わざるを得ません。
なるほど、普段はいろいろなものを混ぜて食べているときには、野菜はお肉類よりも美味しく感じられないかもしれません。けれども、もしお肉を食べるときに、その動物が殺されるときの苦しみを想像するならば、到底『美味しい』と感じて食べることはできなくなるはずです。
したがって、無理やり食べたところで、お腹の中でもうまく消化されないのです。
もちろん、菜食を一年以上も続けてみますと、お肉類というのは独特の不快な臭いや何やらを感じるようになり、かえって食べたくない、好ましくないものになっていくのです。
もともと、食べ物の『味』というものは、他の感覚と同じように、目の前にある食べ物そのものよりも、それを味わう人間自身の『感覚の鋭さや濁り(精粗)』によって決まるものであります。
『精粗』というよりは、むしろ『心の善悪』によるものと言った方がいいかもしれません。
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