初級翻訳・ビジテリアン大祭 第7話

ビジテリアン大祭

シカゴの技師は、ハンカチで口の周りを丁寧に拭いてから、再び話し始めました。
「なるほど、確かにビジテリアンのみなさんの、動物に対する同情心というものは大変なものですねぇ。
では、もう少し言葉の表現に気ををつけてお話しすることにしましょう。
ええ、犬はそれを食べるんです。
ぐんぐん食べるんです。お分かりですか?
さらに、私たちは家畜の去勢も行います。
つまり、子どもを作りたいという欲求(生殖への焦燥感)などのために無駄に使われてしまうエネルギーをしっかりと保存するようにするわけです。
さあ、こうすれば家畜はどんどん太りますよ。
まったく、動物というのは一つの『機械』にすぎないのです。その足を速く走らせたいなら走らせる、太らせたいならたくさんエサを食べさせる、卵が欲しいなら交尾(つる)させる、ミルク(乳汁)が欲しいなら子どもの牛を近くに置いてお乳は絶対に飲ませないようにする――どう扱うのも人間の勝手気ままというわけです。
決して心配するようなことは何もありませんよ。
まだまだお話ししたいことは山ほどありますが、またみなさんが気を失って倒れられては困りますから、今日はこのあたりにしておきましょう。」

その男は、そう言い残して壇から降りていきました。拍手が起こると同時に、私たちの側から6、7人の人が立ち上がりましたが、祭司次長は割合と手前に座っていたモーニング姿の若い男性を指名しました。
その人は落ち着いた様子で少し微笑みながら、このように演説を始めました。

「たった今のご質問は、いかにももっともなご意見であります。
さまざまな実験についても色々とお話しされていましたが、実は残念ながら、それらはどれもまともな実験にはなっておりません。
動物たちは衝動と本能ばかりだとおっしゃいましたが、まあ、仮にそうだと置いておきましょう。
しかし、その本能や衝動の根っこは、『生きたい』という強い願いでいっぱいに満ちているのです。
それを殺してしまうのはいけない――これだけで、ご質問に対する答えとしては十分でございます。
とはいえ、さらに詳しい理由を知りたいというのであれば、動物心理学の数多くの実験が、それをしっかりと証明してくれることでしょう。
それに、実際のところ、動物たちは本能や衝動だけで生きているわけではありません。
今朝お配りしたパンフレットにも書いてありました通り、生物というものは一つの大きな連続したつながりであります。
人間の心持ちにだんだん近いものから、少し遠いものへと広がっていっています。
人間にとっての苦しいことが感覚のある生き物にとって苦しくないわけがなく、人間が悲しいと感じるとき、強い弱いの違いはあっても、やっぱりどの動物だって同じように悲しいのです。
あのパンフレットに書かれていた豚のように、人間が殺されるわけにはいかないのと同じように、動物たちもあんなふうに気楽に割り切ることはできないのであります。
飼い犬が、可愛がってくれた主人の少年の病死のときにお墓から離れず、食べ物も口にせず、とうとう餓死してしまったという有名な話や、鹿や猿の子どもが殺されたとき、それを深く慕って親までもがわざわざ後を追って殺されるような事件は、誰もが知っていることではありませんか。
馬が何年も前の主人のことをちゃんと覚えていて、たまに偶然出会ったときには大粒の涙を流したりすることもあります。
先ほどの発言者は、『ビジテリアンは人間の勝手な感情を無理やり動物にあてはめて考えようとしている』と批判されましたが、私は逆に、その反対者たちこそが、動物の姿が人間とほんの少し形が違うというだけの理由で目にフタをされ、動物たちの本当の心から湧き出てくる哀れみや痛みの感情を見落としているのだと、強くご忠告申し上げたいのであります。

誰だって自分に都合のいいように物事を考えたいものですが、いつまでもそれで世の中が通るわけではありません。
もともと私たちの感情というのは、そんなに無茶苦茶に間違っているものではなく、心の底から自然に湧き出てくる気持ちこそが、完全に客観的な真実そのものなのであります。
動物たちは本当にかわいそうな存在です。
そして、人間もまた、本当に哀れな生き物であります。
私は、先ほどの論士の皆さんにも、もう少し物事を深く、上っ面だけではない広い視野で世界を見つめ直して下さることを強く希望いたします。」

会場に、力強い拍手が沸き起こりました。
その拍手の輪の中から、髪を長く伸ばした背の低い男がいきなり異教徒席を立って壇上に駆け上がりました。

「私は、同じくシカゴ畜産組合の技師であります!
諸君、今朝お配りした『マルサスの人口論』をベースにした議論は、当然読んで下さったことでしょう。
どうですか、あの議論に間違いなどありはしないはずです!
地球上の人類の食べ物の半分は動物であり、もう半分は植物であります。
そのうち『動物を食べない』となれば、私たちの食べ物は一気に半分に減ってしまう。
ただでさえ世の中では食べ物が足りなくて戦争だの様々な騒動が起きているというのに、そこからさらに食べ物を半分にまで縮減しようなどというのは、どんなに立派な理屈を並べ立てたところで、とても正気の沙汰とは思われません。
人間の半分である十億人もの人々が食べ物を得られずに死んでしまう、そして死ぬ前には国中で大混乱が起きる――そのとき、ビジテリアンのみなさんはどう責任を取るのですか?
自分たちが引き起こした恐ろしい戦争のなかにわざわざ飛び込んで、『我々の敵国を打ち滅ぼせ!』と叫びながら鉄砲や剣を持って突撃するのですか?
それとも、『ああ、こんなはずじゃなかった、神よ!』と泣き叫びながら、みんな揃ってナイアガラの滝にでも飛び込みますどんと?
そんなことをしたって、手遅れでどうにも追いつきませんよ!
いや、それよりも、こんな危険なことになると気づいたどこの国の政治家であっても、すぐさま『これは危ない』と判断して、お気の毒ながら諸君を全員『終身懲役』にしてしまうでしょうね!
まさか死刑にはならないでしょうが、終身懲役だって決して楽でいいもんじゃありませんよ。
どうです?
いまのうちに自分の過ちを心から懺悔して、こんなバカげた運動はやめてしまってはどうかね!」

会場からは、大きな拍手とともに、冷笑するような笑い声が起こりました。
すると、私たちの側から、背広を着た若い青年がスルスルと立ち上がって歩き出しました。

「あの男のこと、私はよく知っていますよ。
ニューヨークで2、3回ほどお話ししたことがあります。
あの人は大学生です。」

その青年は、少し怒りで熱くなった様子で、壇上の者に向かって話し始めました。

「ただいまのご質問に対して、できるだけ簡単にお答えしようと思います。
人類の食料は動物と植物で約半々である。
そのうち動物を食べないとなると、食料が半分に減ってしまう――。
いかにももっともらしいお考えではありますが、だいぶ乱暴な計算も混じっているようであります。
まず、『動物と植物が半々だ』という前提そのものが間違っています。

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