初級翻訳・ビジテリアン大祭 第10話

ビジテリアン大祭

バクテリアというものは、次から次へとものすごいスピードで分裂し、死滅し、あっという間にどんどん姿を変えていっています。それを『殺した』と言ったところで、大きなウマをドスンと殺すのとは、わけがまったく違います。
それに、バクテリアに意識があるのかどうか私たちにはよくわかりませんが、とにかく人間は生まれつき、バクテリアについては『殺してしまった、かわいそうだ』などと、そこまでひどく深刻に考えたりはしないのです。
それでいいのです。だって、仕方のないことなんですから。
もっとも――これも、将来もっと人類の文化が進み、人間たちの感情がさらに発達したときには、どう変わっていくのか、それは誰にもわかりませんがね。」インドの聖者たちは、ちゃんとろ過していない水は絶対に飲みません。
普通の布の水こしでは、目に見えない小さな生きものは通り抜けないかもしれませんが、バクテリアはすり抜けてしまうでしょう。
まあ、これらについては、理論上でどんなに説明されたとしても、私たちにはどうにも納得できないとお答えするほかありません。
きっと、いつの日か理論的にもその通りだと証明されるに違いありません。
私の国の孟子(もうし)という偉い人は、「徳の高い人は、家畜が殺されるところや料理されるところを見ないものだ」と言いました。
それはとてもおだやかで、思いやりのある考え方です。
自然というものは、私たちを陥れるような意地悪なわななんてしかけていませんからね。
私たちは、自分たちに備わった感覚の状態や、自分たちを取り巻く環境に合わせて、菜食をしたい――そう主張しているのです。
だからこそ、私はあえて山奥の隠れ家へ逃げ込んだりしないのです!」
陳さんは、嵐のような拍手に包まれながら、私の席へと戻って来ました。
私が立ち上がって陳さんに敬意を示している間に、演壇にはもう次の話し手が立っていました。
「みなさん、静かにしなさい。
まだそんなに喜ぶのは早すぎる。
なぜなら、ビジテリアンのみなさんの主張は、比較解剖学(ひかくかいぼうがく)の視点から見ると、根本からひっくり返ってしまうからだ。
見たまえ、みなさんの歯は何枚あるかね?
三十二枚、そうだね。
そしてそのうち四枚が門歯(前歯)、四枚が犬歯、そして残りが臼歯(奥歯)と智歯(親知らず)だ。
じゃあ、門歯は何のためか? 門歯は食べ物を噛み取るため。臼歯は何のためか? 植物をすりつぶすため。そして犬歯は何のためか? これは肉を裂くためだ!
これでわかるだろう。
奥歯は草食動物にあり、犬歯は肉食動物にある。
人間にとって、肉も野菜も両方食べる『混食(こんしょく)』が一番ぴったりだということは、これを見ても明らかなんだ。
つまり、人間は混食しているのが一番自然な状態なのだ。
だから、我々は肉を食べるのをやめるなどと考えてはいけない!」

みんな必笑こらえていましたが、その人の身振りががあまりにもおかしいうえに、まるで小学校の二年生にでも言い聞かせるような口ぶりだったものですから、ついに会場中のみんながどっと吹き出してしまいました。
すると、私たちの席から一人の男性がすぐに立ち上がりました。
「たった今の比較解剖学からのお話は、どうも腑(ふ)に落ちないのであります。
まず第一に、人間の歯には混食がちょうどぴったりだという点についてはいろいろ議論もあるでしょうが、まあこれは大体その通りだとして進めましょう。その次に、『人間に混食が一番自然だから、菜食をしてはいけない』というのはどうでしょう。
『自然だからそのままでいいんだ』ということはよく言われますが、これは実際には良い結果を生むこともあれば、悪い結果を生むこともあるのです。
たとえば、私たちは畑を作りますよね。
そして、自分たちが育てたい目的の作物を育てるわけですが、このとき一番自然な状態をほうっておけばどうなるか――畑一面に雑草が生い茂り、大切な作物が負けて枯れてしまいます。
これが一番自然なあり方です。
先ほどの論士がもしご自分で農場を経営された際には、ぜひその自然な畑を見学させていただきたいものです。
また、人間には『ものを盗む』というような欲求もあります。
これも人間にとっては極めて自然なことです。
じゃあ、盗みもそのままでいいではないか、ということになってしまいますよね。
あるいは、ほかの宗派の方々も、いろいろな方面から鉄道に乗ってこの会場にお越しになったことかと思いますが、鉄道において『一番自然なこと』――つまり、人間がなるべく手出しをせず、そのままほうっておくことだとしたら、列車同士の衝突や脱線、人をひき殺してしまう事故などが『自然なこと』として起きてしまいます。
じゃあそれでいいじゃないか、ポイント切り替え係も、タブレット(閉塞機)も、面倒くさい安全確認なんて全部やめてしまえ!――ということになってしまいますが、どなたかこの意見に異議はありませんか?」
そう言うと、その人はさっさと自分の席に戻っていきました。
すると、今度は「異教席」からすぐにもう一人が立ち上がりました。
「私は実は、配った宣伝書にも書いておいた通り、もっと十分に詳しく論じようと思っていたのですが、さっきからのごちゃごちゃしたつまらない議論ですっかり頭が痛くなってしまいましたので、本当に一言だけ申し上げます。
魚などは、諸君が食べなくたってどうせ死ぬのです。
イワシなら、人間に食べられるか、クジラに丸飲みされるか、どちらかしかありません。
ツグミなら、人に食べられるか、タカにとられるか、どちらかです。
そのとき、イワシやツグミが、まっ黒なクジラや、くちばしが尖っていて慈悲の心などかけらもないタカに食べられるよりも、慈悲深いビジテリアンのみなさんに涙をハラハラと流されながら食べられた方が、『まだましだ』と思わないでしょうか?
それから、今度は『菜食だから安心だ』と言っても、そうはいきません。
農業の世界には害虫についての学問があって、農薬をかけたり、火で焼いたり、すりつぶしたりして、虫を殺すことを真剣に考えています。
農家の人たちはみんなそれをやっているのです。
クジラを食べるなら、一頭の大きなクジラを一万人でも分け合って食べることができ、その結果として百万匹のイワシを助けることにもなる。けれども、キャベツを一個食べると、そのために青虫を百匹も殺していることになるのです。
まるで、諸君の考えていることとは真反対の現実が、あちこちで行われているではありませんか。
いかがですか?」

すると、すぐにまた別の人が立ち上がりました。
「私はたった一分でお答えします。
第一に、魚がどうせ死ぬ運命にあるからといって、それが私たちが魚を必ず食べていい理由にはなりません。
また、私たちが魚を食べたからって、魚がそれを喜ぶかどうかなんて私たちにはわかりません。
『どうせほかの何かに殺されるんだから、こっちが先に殺してやろう』などという理屈は絶対に通用しません。
『人間が魚を取らなければ、海が魚で埋め尽くされてしまう』というような計算さえ言う人がいますが、そんな行き当たりばったりのめのご勘定で物事を進めていいわけがありません。

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