初級翻訳・フランダースの犬 第11話

フランダースの犬

誰も、粉屋のばかげた疑いや、途方もない非難を本気で信じてはいませんでした。
けれども、村人たちはみなとても貧しくて、無知でした。
そこに、一人の金持ちの男がネロを非難したのです。
ネロは無実でしたが、友だちがいませんでしたので、人々の気持ちがネロから離れていくことをせき止める力はありませんでした。
「あなたは、あの子になんてひどい仕打ちをするの」
粉屋の妻が、彼女の主人に泣いて訴えました。
「もちろんネロは無実だし、あの子は人を裏切ったりしない子ですよ。どんなに心が傷ついていたって、そんな悪いことをしようだなんて、夢にも思うはずはありません」
けれどもコゼツのだんなは、頑固な男でした。
心の奥底ではよくないことをしているのだと知っていましたが、いったん言い出したら、聞きません。
一方、ネロの方は、不満を言うのは馬鹿げていると思い、自尊心をもってがまん強く、ひどい仕打ちにじっと耐えていました。
年老いたパトラッシュと二人きりのときに、少し気が弱くなるだけでした。
それにまた、ネロはこう思いました。
「コンクールに優勝することができれば! そのときはみな、きっと済まなかったと思うに違いない」
それでも、ずっとこの村で育ってきて、子どもの頃は皆から甘やかされ、ほめられてきた、まだ十六歳にも満たない少年にとって、無実の罪のためにこの小さな村で村八分の目にあうことは、大変つらいことでした。
寒々とした、雪に閉ざされた、食べるものも十分にない冬の季節には、とりわけこたえました。
というのは、この季節には、唯一の光と暖かさといえば、村の家々の暖炉のそばと、隣近所の人と交わす優しい挨拶しかなかったからです。
冬の間は、みんな互いに身を寄せ合いました。
ネロとパトラッシュだけが別でした。
もうだれも二人にかまってくれません。
それなのに二人は、体の不自由な寝たきりの老人と一緒に暮らしていかなければなりませんでした。
そして、暖炉にくべる薪も十分にはなく、食べるパンがないこともたびたびでした。
というのは、ある買い手がアントワープからラバを引いてやってきて、いろいろな農家からミルクを買いにやってきたのです。
それで、その買い手の条件を拒んで緑の荷車を裏切らないでいてくれた家は、三、四軒くらいになってしまったのです。
パトラッシュが引く荷車はとても軽くなり、ネロの財布の中の小銭も、同じようにとても少なくなりました。
いつも通り、パトラッシュはよく知っている家の前で止まりますが、今や扉は閉ざされたままです。
パトラッシュは、物欲しそうに彼らを見上げて、無言で訴えます。
村人たちにとっても、扉を閉ざすだけでなく、心まで閉ざしてパトラッシュに荷車を空のままで引かせるのは、つらいことでした。
それにもかかわらず村人たちはそうしました。
なぜなら、村人たちは、コゼツのだんなを喜ばせたかったからです。
まもなくクリスマスでした。
天気はひどく荒れ、厳しい寒さが続きました。
雪は、二メートルほども積もりました。
そして至るところに氷が張って、牛や人間が乗っても割れないほど固く凍っていました。
この季節は、小さい村は、いつもにぎやかで楽しそうでした。一番貧しい家でも、ミルク酒やケーキを作り、冗談を言ったり踊ったりしました。
砂糖菓子の聖者像や金ぴかのキリスト像がかざられたりもしました。
陽気なフランダースの鐘が馬車の馬につけられ、あちこちで鳴っていました。
どの家の中でも、なべにはこぼれんばかりのスープが湯気をたてていて、ストーブからは煙が立ちのぼっていました。
そして、明るい色のスカーフと厚手のスカートをはいた少女たちが、ミサの行き帰りにパタパタ音を立てて走っている姿が、至るところでみられました。
ネロとパトラッシュのいる小さな小屋だけが、とても暗く、ひどく寒いままでした。
ネロとパトラッシュはまったく孤独のまま取り残されてしまいました。
というのは、クリスマスの前の週のある晩、死に神がこの小屋にやってきて、貧乏と苦労以外は何も知らなかった、年老いたジェハンじいさんの命を永久に奪っていったからでした。
ジェハンじいさんは、もう随分長い間死んだも同然の状態で、ときどきかすかな身振りをする以外は、動くこともありませんでした。
また、やさしい言葉をかけてくれたりする以外は、無力でした。
それなのに、ジェハンじいさんに死なれてみると、二人はぞっとするほど恐ろしい気がしました。
二人は、ひどく悲しみました。
ジェハンじいさんは、眠っている間に亡くなりました。
明け方に、二人はジェハンじいさんが亡くなったことを知りました。
ことばで言い表せないようなさびしさとわびしさとが、ひしひしと迫ってくるように感じました。
ジェハンじいさんは、もう長い間、貧しくて弱々しい、体が不自由な、ただの老人でした。
二人を守るために、手を上げることすらできませんでした。
けれども、ジェハンじいさんは、二人を深く愛していましたし、笑顔で帰りを迎えてくれました。
白い雪の降る冬の日に、二人は小さな灰色の教会のそばにある名もない墓地に、ジェハンじいさんの亡きがらを送っていきました。
その間中ずっと二人は、ジェハンじいさんの死を悲しみました。
どんななぐさめの言葉も耳に入らなかったことでしょう。
ジェハンじいさんの葬式の会葬者は、じいさんが死んでこの世に二人きりで取り残された、若い少年と年をとった犬だけでした。
「こうなったら、うちの人だって優しくなって、かわいそうな少年をうちに来させるようになるだろう」
暖炉のそばで煙草を吸っていた夫をちらっと見て、こう粉屋の奥さんは思いました。
コゼツのだんなは、彼女の考えを知っていました。
けれどもいっそう意固地になって、小さい、粗末な埋葬の列が通り過ぎたときも、扉を開けようとはしませんでした。
「あの子は、乞食だ。
アロアのそばには来させん」と、彼は心の中で思いました。
粉屋の奥さんは、あえて何も言いませんでした。
けれども葬式が終わり、会葬者が去った時、永久花(乾燥しても、もとの形や色が長く変わらない、ムギワラギクなどの花)でできた花輪をそっとアロアに手渡し、雪をかきわけ、黒い土がかぶせられた、印もない塚にそれを置いてくるように言いつけました。
ネロとパトラッシュは、悲しみに暮れながら家に帰りました。
けれども、この粗末な、陰気な、わびしい家でさえ、彼らを慰めてはくれませんでした。
ひと月の家賃を滞納していました。
そして、ジェハンじいさんのお葬式の費用を払い終わったとき、ネロにはもう小銭も残っていませんでした。
彼は、小屋の持ち主である靴屋のところに行って、家賃の支払いを待ってくれるよう頼みました。
この靴屋は日曜の夜になると、いつもコゼツのだんなのところに行って、一緒に酒を飲んだりたばこをふかしたりしていました。
靴屋は聞き入れようとしませんでした。
彼はきつい、ケチな男で、お金が好きでした。
彼は、家賃を支払わないのなら、小屋の中の棒や石、なべやかままで一切合切家賃の代わりに持っていくといい、ネロとパトラッシュに翌日小屋を出て行くように言いました。
小屋はとても粗末で、ある意味ではとてもみじめでした。

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