初級翻訳・フランドン農学校の豚 第4話

フランドン農学校の豚

君は一体、なぜ僕の言った通りにしなかったんだ?」
「いいえ、窓もすっかり開けましたし、キャベツの良いところもやりました。
運動も毎日丁寧に、十五分ずつさせております」
「そうかねぇ、そんなにまでしてやって、それでもうまくいかないのかい。
じゃあこいつはもう、痩せ細っていく一方だな。
神経性の栄養失調だ。
こうなっちゃ、端から見てもどうしようもない。
あまり骨と皮だけになっちまう前に、処分を決めちまわないと、どこまで痩せ細るか分かったもんじゃないぞ。
おい、窓をみんな閉めてくれ。
そして『肥育器(ひいくき)』を使うとしよう。
飼料(エサ)をどんどん押し込むんだ。
麦のふすまを二升と、亜麻仁(あまに)を二合、それからトウモロコシの粉を五合、これを水でこねて団子にして、一日に二回か三回くらいに分けて、肥育器に放り込んでくれ給え。
肥育器はあるだろう?」
「はい、ございます」
「こいつをしっかり縛っておき給え。
いや、縛る前に早く『承諾書』を取らなくちゃいかん。
校長先生も、まったく抜けてるなぁ」
 畜産の先生は大急ぎで校舎の方へ走っていき、助手もその後を追いかけて出て行った。
 すると間もなく、農学校の校長が、とても慌てた様子でやってきた――。豚は身体の置き場もなく鼻で敷藁を掘ったのだ。
「おおい、いよいよ急がなきゃならないよ。
先頃の死亡承諾書ね、あいつへ今日はどうしても、爪判を押して貰いたい。
別に大した事じゃない。
押して呉れ」
「いやですいやです」豚は泣く。
「厭だ? おい。
あんまり勝手を云うんじゃない、その身体は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ。
これからだって毎日麦のふすま二升阿麻仁二合と玉蜀黍の、粉五合ずつやるんだぞ、さあいい加減に判をつけ、さあつかないか」
 なるほど斯う怒り出して見ると、校長なんというものは、実際恐いものなんだ。
豚はすっかりおびえて了い、
「つきます。
つきます」と、かすれた声で云ったのだ。
「よろしい、では」と校長は、やっとのことに機嫌を直し、手早くあの死亡承諾書の、黄いろな紙をとり出して、豚の眼の前にひろげたのだ。
「どこへつけばいいんですか」豚は泣きながら尋ねた。
「ここへ。
おまえの名前の下へ」校長はじっと眼鏡越しに、豚の小さな眼を見て云った。
豚は口をびくびく横に曲げ、短い前の右肢を、きくっと挙げてそれからピタリと印をおす。
「うはん。
よろしい。
これでいい」校長は紙を引っぱって、よくその判を調べてから、機嫌を直してこう云った。
戸口で待っていたらしくあの意地わるい畜産の教師がいきなりやって来た。
「いかがです。
うまく行きましたか」
「うん。
まあできた。
ではこれは、あなたにあげて置きますから。
ええ、肥育は何日ぐらいかね」
「さあいずれ模様を見まして、鶏やあひるなどですと、きっと間違いなく肥りますが、斯う云う神経過敏な豚は、或は強制肥育では甘く行かないかも知れません」
「そうか。
なるほど。
とにかくしっかりやり給え」
 そして校長は帰って行った。
今度は助手が変てこな、ねじのついたズックの管と、何かのバケツを持って来た。
畜産の教師は云いながら、そのバケツの中のものを、一寸つまんで調べて見た。
「そいじゃ豚を縛って呉れ」助手はマニラロープを持って、囲いの中に飛び込んだ。
豚はばたばた暴れたがとうとう囲いの隅にある、二つの鉄の環に右側の、足を二本共縛られた。
「よろしい、それではこの端を、咽喉へ入れてやって呉れ」畜産の教師は云いながら、ズックの管を助手に渡す。
「さあ口をお開きなさい。
さあ口を」助手はしずかに云ったのだが、豚は堅く歯を食いしばり、どうしても口をあかなかった。
「仕方ない。
こいつを噛ましてやって呉れ」短い鋼の管を出す。
助手はぎしぎしその管を豚の歯の間にねじ込んだ。
豚はもうあらんかぎり、怒鳴ったり泣いたりしたが、とうとう管をはめられて、咽喉の底だけで泣いていた。
助手はその鋼の管の間から、ズックの管を豚の咽喉まで押し込んだ。
「それでよろしい。
ではやろう」教師はバケツの中のものを、ズック管の端の漏斗に移して、それから変な螺旋を使い食物を豚の胃に送る。
豚はいくら呑むまいとしても、どうしても咽喉で負けてしまい、その練ったものが胃の中に、入ってだんだん腹が重くなる。
これが強制肥育だった。
豚の気持ちの悪いこと、まるで夢中で一日泣いた。
次の日教師が又来て見た。
「うまい、肥った。
効果がある。
これから毎日小使と、二人で二度ずつやって呉れ」
 こんな工合でそれから七日というものは、豚はまるきり外で日が照っているやら、風が吹いてるやら見当もつかず、ただ胃が無暗に重苦しくそれからいやに頬や肩が、ふくらんで来ておしまいは息をするのもつらいくらい、生徒も代る代る来て、何かいろいろ云っていた。
あるときは生徒が十人ほどやって来てがやがや斯う云った。
「ずいぶん大きくなったなあ、何貫ぐらいあるだろう」
「さあ先生なら一目見て、何百目まで云うんだが、おれたちじゃちょっとわからない」
「比重がわからないからなあ」
「比重はわかるさ比重なら、大抵水と同じだろう」
「どうしてそれがわかるんだい」
「だって大抵そうだろう。
もしもこいつを水に入れたら、きっと沈みも浮びもしない」
「いいやたしかに沈まない、きっと浮ぶにきまってる」
「それは脂肪のためだろう、けれど豚にも骨はある。
それから肉もあるんだから、たぶん比重は一ぐらいだ」
「比重をそんなら一として、こいつは何斗あるだろう」
「五斗五升はあるだろう」
「いいや五斗五升などじゃない。
少く見ても八斗ある」
「八斗なんかじゃきかないよ。
たしかに九斗はあるだろう」
「まあ、七斗としよう。
七斗なら水一斗が五貫だから、こいつは丁度三十五貫」
「三十五貫はあるな」
 こんなはなしを聞きながら、どんなに豚は泣いたろう。なんでもこれは、あまりにもひどすぎる。
人間の体を、まるで穀物を測る枡(ます)みたいに測るなんて。
「七斗だ」「八斗だ」って勝手なことを言っている。
そして、ちょうど七日目のこと。またあの教師が助手と二人並んで、豚の前にやって来た。
「もういいようだね。ちょうどいい。このくらいまで肥えれば、まあ最高潮だろう。この辺が潮時だ。これ以上あまり無理にエサを詰め込みすぎても、万が一病気になってしまったら、かえって出荷が後回しになるだけだ。
ちょうど明日が一番いいだろう。今日はもうエサをやらないでくれ。それから、用務員と二人で、体をきれいにすっかり洗ってやってくれ。
敷き藁も新しくするんだぞ。いいな?」
「かしこまりました」
 豚は、これらのやり取りを、全身全霊の力を振り絞って耳をすませて聞いていた。
(いよいよ明日なんだ……あれが、あの承諾書に書かれていた「死亡」っていうことなんだ。いよいよ明日だ、明日なんだ。一体どんなことが起きるんだろう。つらい、本当につらいよ……)
あまりにもショックでつらくて、豚は自分の頭をゴツゴツと板の壁にぶつけました。
その日の昼過ぎ、今度は助手が用務員と二人やって来た。
そして、あの二つの鉄の輪から豚の足をほどきながら、助手が言った。

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