初級翻訳・ポラーノの広場 第2話

ポラーノの広場

」
「覚えてるとも! はい、返すよ。」
「あぁ、本当にありがとう。ぼくはね、顔も洗わないで探して回っていたんだよ。」
「そんなに遠くから来たの?」
「ああ、ぼくは競馬場に住んでいるからね。」
「あそこから!?」
子どもはヤギの首から革ベルトを外しながら、畑の向こうの陽炎(かげろう)の中でギラギラと揺れている、うっすらと緑色を帯びたアカシヤの並木を見つめました。
「ずいぶんと遠くからやって来たんだねえ。」
「うん。じゃあ、ぼくはこっちへ行くから。さようなら。」
「あ、ちょっと待って! ぼく、何かお礼をあげたいんだけれど、あいにく何も持っていなくてねえ。」
「いいよ、ぼくは何にもいらないんだ。ヤギを連れて歩くのは楽しかったからね。」
「だけどね、それじゃあぼくの気が済まないんだよ。そうだ、きみは鎖(チェーン)はいらないかい?」
ぼくは、懐中時計のチェーンなら無くても困らないやと思いながら、銀の鎖を取り外しました。
「いらないよ。」
「方位磁石(コンパス)もついているよ。」
すると、子どもは一瞬パッと顔を赤くさせましたが、すぐに素っ気ない態度に戻って言いました。
「ダメだよ、磁石じゃ探せないからね。」
と、ぼんやりつぶやいたのです。
「磁石じゃ探せないって?」
ぼくはビックリして問い返しました。
「うん……。」
子どもは、心の中で隠していた秘密を見破られたかのように、少し慌てた様子を見せました。
「一体、何を探すっていうんだい?」
子どもはしばらくためらっていましたが、ついに意を決したように言いました。
「ポラーノの広場さ。」
「ポラーノの広場? はてな、聞いたことがあるような気がするなあ。何だったっけ、ポラーノの広場って。」
「昔話なんだけど、このごろまたあるんだよ。」
「ああそうだ、ぼくも子どものころ、何度も聞かされたっけ。野原の真ん中にある、お祭りをする場所だろう? あのツメクサの花の番号を数えながら進んでいくという、あのお話だろう?」
「うん、それは昔話さ。だけど、どうもこの頃も本当にあるらしいんだ。」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって、ぼくたちが夜、野原に出ていると、どこからかそんな音が聞こえてくるんだもの。」
「音が聞こえる方へ行ってみたらいいんじゃないかい?」
「みんなで何度も行ってみたんだけどさ、途中でわからなくなっちゃうんだよ。」
「でも、聞こえるくらいなら、そんなに遠くにあるはずはないよねえ。」
「ううん、イーハトーヴォの野原は広いんだよ。霧が出た日なんて、あのミーロだって迷うくらいなんだから。」
「そうかあ。だけど、地図だってあるからねえ。」
「野原の地図ができているの?」
「うん。きっと4枚くらいにまたがる大きな地図があるよ。」
「その地図を見れば、道でも林でも全部わかるの?」
「いくらか景色が変わっているかもしれないけれど、まあ大体はわかると思うよ。じゃあ、お礼にその地図を買って送ってあげようか?」
「うん!」
子どもは顔を真っ赤にして言いました。
「きみはファゼーロっていうんだね。宛名(手紙のあて先)はどう書けばいいのかな?」
「ぼく、時間を見つけて、あんたの家へ行くよ。」
「時間なんて、今日だっていいんだよ。」
「ぼく、仕事があるんだ。」
「今日は日曜日じゃないか。」
「ううん、ぼくには日曜日なんてないんだ。」
「どうしてだい?」
「だって、仕事をやらなきゃ。」
「仕事って、きみ自身の仕事かい?」
「ううん、旦那さんのさ。」「みんなもうあっちへ行って、田んぼのあぜ道に入っているんだよ。小麦畑の雑草をぬいているんだ。」
「じゃあ、きみはご主人様のところで働いているんだね。」
「うん。」
「お父さんやお母さんは?」
「いないんだ。」
「お兄さんか誰かはいるかい?」
「お姉さんがいるよ。」
「どこにいるの?」
「やっぱり旦那さんのところにいるんだ。」
「そうなんだねえ。」
「だけどね、お姉さんは『山猫博士』のところへ行くかもしれないんだ。」
「なんだい、その山猫博士っていうのは?」
「あだ名なんだよ。本当はデストゥパーゴっていう名前なんだ。」
「デストゥパーゴ? ボーガント・デストゥパーゴかい? 県の議員(ぎいん)のあの男かい?」
「うん。」
「あいつはひどい悪とうだよ。あいつの家がこっちの方にあるのかい?」
「うん、ぼくの旦那さんの家から見え……」
「おい、こら! 何をぐずぐずやってるんだ!」うしろで大きな声がしました。
振り返ってみると、赤い帽子をかぶった年とりの、がっしりした体つきの農夫が、革(かわ)のむちを手に持って、おこり顔で立っていました。
「仕事のひと区切りが終わったかと思って来てみれば、まだこんなところで立ち話をしてやがるのか! さっさと仕事へ行け!」
「はい! じゃあ、お兄さん、さようなら。」
「うん、さようなら。ぼくは役所からいつでも夕方五時半には帰っているからね!」
「うん!」
ファゼーロは水つぼとホー(くわ)を持って、急いで向こうの小道へ走っていきました。
農夫は今度はぼくに向かって言いました。
「あんたがどこのどいつだか知らんがね、余計なお世話でうちの仕事のジャマをしないでほしいもんですな!」
「いやあ、ぼくはね、ヤギに逃げられて探していたら、あの子が連れてきてくれたものだから、お礼を言っていたんですよ。」
「ふん、結構なことですな! ヤギなんて生きものは、勝手に足で歩いていくもんでしてね! こら、ファゼーロ! 走っていけ、このバカ、走っていけってんだろ!」
農夫は顔を真っ赤にして腕を振り上げ、革のむちをパチーン!と鳴らしました。
「人を使うのに革のむちを鳴らすなんて、乱暴すぎるんじゃないですか!」
農夫はわざと顔をぼくの前にぐっと突き出して言いました。
「このむちのことかい? あんたはこのむちのことを言っているのかね? このむちはねえ、人をおどすむちじゃありませんよ! 馬を追うためのむちですよ! あっちに馬が4頭も歩いているでしょうが。ほらね、こんな風にね!」
農夫はぼくの顔のすぐ目の前で、パチーン!パチーン!とはげしくむちを鳴らしました。
ぼくはカッとなって、頭に血がのぼっていくのを感じました。
けれど、いま言いがかりをつけてけんかをする場面ではないと思い直し、ヤギの方を見ました。
ヤギはあっちこっちの草をむしゃむしゃ食べながら、向こうへ歩いていっていました。
農夫はファゼーロの行った方へ歩きだし、ぼくもヤギの方へ歩きはじめました。
ヤギに追いついてから振り返ってみると、畑一面から深い青色の地平線まで、ゆらゆら揺れる陽炎(かげろう)がギラギラと広がり、農夫の赤い帽子もみんなごちゃ混ぜになってゆらゆら揺れていました。
その向こうのいっそう激しい陽炎の中で、ピカッと白く光る農具や、黒い影法師(かげぼうし)のように歩いている馬、そしてファゼーロかそれとも別の子供か、夢中で手を振って馬を動かしている姿をぼくは見つめていました。

二、ツメクサのあかり

それからちょうど十日ほどたった夕方のことです。ぼくが役所から帰ってきて、両手で袖(そで)のカフスボタンを外していると、いきなりあのファゼーロが入口からひょっこり顔を出しました。

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