いま浜田山の庭にある棗(なつめ)の木は、私にとっては人生で三本目の棗の木なんです。
子供のころに泊まりに行った埼玉県の祖父の家には、大きな棗の木がありました。
祖父の家の表門を入るとすぐ左手に、お米をしまう蔵が建っていました。それは古びているけれど美しい白壁の蔵で、その入口のすぐそばに大きな棗の木が立っていたのです。
祖父の家はとても広くて、おくの蔵につづくお座敷の前には石がたくさんある奥庭があり、家の南側に新しく建てられた「新座敷」という三間(さんじょう)ほどの客間のおくには、古風に気取った庭がありました。縁側のすぐ近くにはトクサがすっすっと生えていて、外を囲む竹やぶのやわらかな緑色と合わさって、この庭とまわりの景色がひとつの世界のように見えていたものです。
でも、お米の蔵のそばには、庭を飾るような石も木もありませんでした。そこには白粉花(おしろいばな)や萩(はぎ)の花が咲き、ニワトリたちがちょこちょこ歩き回っていて、子供だった私ものんびりとニワトリを眺めながら遊ぶことができました。そうして過ごすうちに、私は棗の実を摘んで食べることを覚えたのです。
最初は誰か大人が一緒にいて食べさせてくれましたが、「棗っておいしいな」と思った私は、そこに泊まっている間、ときどき蔵の前に出かけていっては自分でも食べました。
低い枝のなりを摘んでみたり、地面に落ちているのを拾ったりしたものです。
私の十代の毎日は、何事もなくあっけなく過ぎていきました。そして二十代で結婚し、三十代になったとき、ほかの人から借りた家ではなく、やっと自分たちの家を持つことができるようになりました。
若い田舎の大工さんが建てた、ただ家のかたちがあるだけの粗末なものではあったけれど、夫も私もその家にはいろいろなこだわりや希望がありました。
夫は「屋根つきの門がほしい」と言い、私は「棗の木を一本ほしい」と言ったのです。
川崎の田舎のほうから植木屋さんが木を探してきてくれて、それを家の東南のほうに植えました。
その木はかなり年をとった木で、毎年たくさんの実をつけたけれど、だんだん私たちの生活にもゆったりとした時間は持てなくなっていき、秋になって棗の実が赤くなっても、誰もその実を採る人はいませんでした。
実はいくつもいくつも地面に落ちて、いつの間にか、小さくてひょろひょろとした芽がそこらじゅうから生えてきました。まわりじゅうが棗の林のようになったけれど、それはまるで小人たちが遊ぶお庭の林のようで、高さは五、六寸(約15〜18cm)から一尺(約30cm)くらいの木ばかりでした。
その小さな棗の木が育って、三尺(約90cm)にも四尺(約120cm)にもなったころ、日本は大戦争の混乱に巻き込まれてしまい、私たちは家も庭も何もかもそのまますべて捨てて、いまの田舎のような土地へと引っ越すことになったのです。
戦争が終わった年の秋、軽井沢から浜田山に戻ってきた私は、すっかり荒れ果てた庭を少しずつ草を抜いて片づけていました。すると、お隣との境界線のところに、高さが二尺(約60cm)ほどの小さな棗の芽生えを見つけたのです。
「あらっ! 棗がある!」
私は思わず声を上げて、一緒に住んでいる若い人を呼びました。
「この木は大森の家から持ってきたのかしら、あなた覚えている?」と聞いてみたけれど、彼女は「お引越しのとき、たくさんの荷物をトラックに積んだので、棗を持ってきたかどうかははっきり覚えていません」と言いました。
引っ越すより少し前、四月の終わりごろにグラジオラスの球根とイチゴの株を彼女と二人でこの庭に植えに来たことがあったので、「もしかしたら、そのときに中くらいの大きさの棗の芽生えを持ってきていたのかしら?」と考えてみたけれど、どうしてもはっきりとは思い出せませんでした。
その木は、お隣の家との境目にある石のすぐそばに、一、二寸ほどお隣の敷地に入り込むようにして立っていました。
当時は防火訓練のために、お互いの家の生け垣はとりこわされてしまっていたけれど、境界の石がすぐに見えたから、「もし私が持ってきたものなら、石よりもこちら側に植えたはずだわ。やっぱりお隣の家で小さな芽生えを植えたものなのだろうか」とも思いました。
お隣の人たちは栃木県に疎開したまま帰ってこず、今は新しい持ち主が住んでいたので、それ以上は尋ねることもできませんでした。でも、その次の年にお隣の旦那さんの勤務先が変わることになり、家を売って京都へ引っ越すことになったのです。
私はこの機会にと、心ばかりのお別れの贈り物をすることにして、そのお礼の記念として、庭のしげみに隠れていたあの棗の木をいただくことにしました。
「あら、まあ、棗があったのね」
奥さんは、そんな小さな木があることさえ知らなかったようで、「それでは、私たちのことを思い出してちょうだいね」と快く言ってくれ、私の庭に植え替えてその翌日には引っ越していきました。
それからもう四年が経ち、棗の木はぐんと育ちました。
人間の年齢で言えば、十七、八歳くらいではないかしら? 一昨年から私はその実を食べるようになりました。といっても、ほんの二つか三つくらいですが。
昨年は十粒か、あるいはもう少し多く食べました。
そして今年も、白い花をたくさん咲かせています。
すっかりお年寄りになった私は、子供のころのようにもう一度木の木陰に立って、楽しく木の実を食べることができるのです。
それを食べながら、私は祖父の家の古い棗の木に思いを馳せます。
米倉の白い壁や、ニワトリたちの赤いトサカのことも。
昔を思い出すと、自分自身で暮らしていた大森の家の大きな棗の木や、そのまわりに生えていた小さな芽生えたちのことも思い出されます。
あの木には、うちの大切な赤いネコがスルスルと駆け上がって遊んだこともありました。
青空に向かって、モズがやかましく鳴いていた日でした。
古い本のページを開くように、めくってみればいろいろなできごとが出てきます。三本の棗の木と、私の人生の移り変わりも、そこにはちゃんとあるのです。
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