とはいえ、彼の持つ同情心や正義感も、まだまだとっても荒削りなものです。
心の勉強をして立派に磨き上げられた道徳なんかじゃなく、子どもの体が持っているエネルギーのままに、衝動の赴くままに行動しているだけなのです。
だから、ついさっきまで弱い子の味方をして、たくさんの意地悪っこたちを相手に竹槍(たけやり)ごっこで戦っていたかと思えば、その竹槍をポイと投げ出し、今度はこっそりよその畑へ忍び込んで果物に登ったりするのです。
本人にとっては、そこに何の矛盾(むじゅん)も感じられません。
そして、今でもその味が忘れられないある「ずる賢い作戦」によって、貧乏な百姓の子である彼は、時々びっくりするほど美味しいごちそうにありつくことができました。
それは次のようなやり方でした。
なにしろ、そのころは人間よりも狐の方がずっとたくさんいたのです。
そのため、どうしても畑や田んぼが狐たちに荒らされてしまいます。
春から穴にこもっている狐たちは、ちょうど作物が実る収穫の時期になると、やりたい放題に暴れ回るのです。
そこで、彼の村ではこんな習慣がありました。子どもを育てている狐の穴を見つけたら、そこに「お赤飯(強飯)」や「煮たジャガイモ」を持って行ってあげるのです。
そのお赤飯やジャガイモで、狐の機嫌を取って仲良くなろうというわけですね。
ところが、三郎はそのことにちゃっかり気がつき、友だちを誘っては野原じゅうに子育て中の狐を探しにいくようになりました。
いくら昔だとはいえ、人間に真正面から出会えば狐だって逃げてしまいます。だから、子育て中の狐、それもお赤飯やジャガイモをごちそうする資格のある、生まれたての子狐を連れた親狐になんて、そう簡単に出会えるものではありません。
それでも、四日も五日も休まずにあちこち歩き回っていれば、一つくらいは見つけることができます。
そんなふうに見つけると、三郎はすぐにおとなたちに「ここにあったよ!」と知らせに行きます。
知らせるだけじゃなく、必要があれば現場まで案内するのです。
そうして村の人たちから「お礼にもらったお供え物」を受け取ると、穴のそばにはほんの十分の一くらいの少しだけお裾分けを置いて、残りのほとんどは自分たちのお腹の中にぜーんぶ入れてしまうのでした。
そんなことをしながら、三郎はだんだんと大きくなっていきました。
そして、たぶん十一歳か十二歳くらいのころ、隣村の何というお寺へ、小僧さんとして住み込みで預けられることになったのです。
「隣村」といっても、そのころの隣村ですからね。それはもう、狐や狸の穴だらけの野原を越え、提灯のロウソクをくすねるカワウソがいる川を越えた、二〜三里(十キロメートル以上)も先の村なのでした。
毎日そこまで字を習いに通うわけにもいかず、かといって「お寺への謝礼(お札や贈り物)」をたっぷり包んでやれるほどお金持ちでもなかった彼の両親は、お寺の庭掃除や台所のお手伝い、雑用を頑張るのと引き換えに、「お手紙が書けるくらい」の読み書きを教えてもらう約束にしたのです。
ワラで作った小さなチョンマゲを結い、つぎはぎだらけのズボン(股引)にワラジを履き、大きな大きなおにぎりを三つも背中に背負った三郎。
そして、お米三升、ソバ粉五升、それに真っ黒な干し柿(串柿)を持ったお父さんに連れられて、ポクポクポクポクと歩いていきました。マゲには似合わない立派で幅広な肩の上には、歩くたびに黄色っぽい砂ぼこりが積もっていきます。
どこまでだったか、見送りに来てくれた遊び仲間たちと別れるとき、みんなが急にすまし顔になって、
「行ってらっしゃい……」
と、そろっておじぎをしてくれました。そのとき、三郎は生まれて初めて、「胸のあたりがキュンとするような、変な気持ち」がしたそうです。
もっとも、それが「寂しさ」というものだったのかどうか――。作者である私からは何の説明もしませんが、きっと当時の三郎も、それが何なのかなんて知ろうとも考えようともしなかったに違いありません。
彼はただ、お寺の門のそばにどんなに美味しそうな柿が実っていたか、そしてお寺に着いてすぐ、どうやってそれを盗み、どれほど「やったぞ!」という大満足と勝利の気分に浸りながら、和尚さんとお父さんのそばでそれを食べたか――そのことだけを、はっきりと覚えているのです。
それくらい、あのヘタの方から少し腐りかけていた一つの柿が、当時の彼にとってはものすごく重大な出来事だったのでした。
三
それほどまでに、あの柿が彼にとって重大だったのには、ちゃっかりとした訳がありました。
彼は、「親父も和尚さんも、自分が盗んだことなんて気づくまい」と思って食べたのですが、意外なことに、和尚さんはちゃーんと知っていたのです。
しかも、知っていただけではありません。「今、親元を離れて、よその家で寝泊まりしなきゃならなくなった子どもとは思えないほど、肝がすわっとるな!」と言って、和尚さんは三郎をほめてくれたのだそうです。
お父さんは「うちの息子はいい子だとほめられたぞ」と大いに鼻が高くなり、村へ帰るときの一番のお土産にして、そのほめ言葉を持ち帰ったのでした。私には、三郎が本当に肝が据わっているとか、図太いとか、あの干し柿をそんなに堂々と盗んだのかどうかはよく分かりませんが、ともかく彼は和尚さんのお気に入りになりました。
お寺の小僧になった三郎は、「三郎坊主、三郎坊主」と呼ばれ、お呼ばれの席に付いていくお伴はいつも彼が言いつけられました。
「この小僧はな……」
と、必ずこの言葉を前置きにして、和尚さんはあの日の一件をあちこちで行く先々で面白おかしく話し広めました。
するとまた、その話を聞く人たちはみんな「はぁ、大したものだなあ」と感心するのです。
そうして、普段なら絶対にくれそうもないようなお菓子を、よけいにおまけして持たせてくれたりするものでした。
そうなっては、彼がちょっと得意な気持ちになってしまうのも、無理のないことでした。
夜になると、和尚さんと囲炉裏のそばに座って、一休和尚(いっきゅうおしゃん)の面白いお話を聞き、ひそかに自分の境遇と比べてみたり、あれこれ夢想したりもしました。
でも、不運なことに、三郎はもともと「文字」とお勉強がどうしても体に合わないらしく、たった一文字覚えるのにも途方もない苦労をしなければなりませんでした。それが、彼のせっかくの愛すべき得意顔に、いつもちょっぴり暗い影を落としていたのです。
村の子ども仲間たちに自慢したいから、「立派な手紙が書けるようになりたい! 立派な手紙を書くんだ!」という強い思いに駆られて、お勉強(手習い)自体は頑張るのですが……。
いざ「文章を読む」となると、もうさっぱりダメでした。
はじめの五、六文字こそ、気合を込めて大きな目をカッと見張り、四苦八苦しながらなんとか読み下していきます。
同じ五、六文字を二度も三度も行ったり来たりして、やっとこさ意味が腑に落ちると、ようやく次の五、六文字へと進むことができるのです。
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