大きな関心をよせてほめたたえ、そこへつづくことを名誉とせねばならないのだ。
なんのために竹一は勉強し、だれのために磯吉は商人になろうとしているのか。
子どものころ下士官を志望した正は、軍艦と墓場をむすびつけて考えているだろうか。
にこやかな表情の裏がわを見せてはならぬ心ゆるせぬ時世を、仁太ばかりはのんきそうに大声をあげていたが、仁太だとて、その心の奥に何もないとはいえない。
あんな小さな岬の村から出た今年、徴兵適齢の五人の男の子、おそらくみんな兵隊となってどこかの果てへやられることだけはまちがいないのだ。
無事帰ってくるものは何人いるだろう。
――もう一人人的資源をつくってこい……そういって一週間の休暇を出す軍隊というところ。
生まされる女も、子どもの将来が、たとえ白木の墓標につづこうとも、あんじてはならないのだ。
男も女も南無阿弥陀仏で暮らせということだろうか。
どうしてものがれることのできない男のたどる道。
そして女はどうなるのか。
あの組の七人の女の子の中で、ミサ子ひとりは苦労をしていなかった。
ミドリ学園から東京の花嫁学校にはいり、在学中に養子をむかえてすぐ子どもをうんだ。
苦労の多い時代に、これは別格である。
風の強い冬の日に、ひとり日光室で日向ぼっこをしているような存在である。
そこへゆくと歌のすきなマスノは、きりきり舞いをするような苦労をした。
ただ歌いたいために有頂天になり、親にそむいて幾度か家出をした。
無断で応じた地方新聞のコンクールに一等入選し、それが新聞に出たときが家出のはじめだった。
そのたびにさがしだされ、連れもどされては、また出る。
いつも歌がもとだった。
歌をうたいたい、歌のじょうずな娘が、なぜ歌をうたってはいけないのだろう。
三度目の家出のとき、彼女は芸者になって出ようとしていたという。
つれにいった母親に彼女は泣いてしがみつき、
「三味線なら、きこえるというたじゃないかあ」
彼女の音楽へのはけ口はいつの間にか三味線のほうへ流れていっていたのだ。
しかし、彼女の親たちは、そのよしあしはともかくとして、わが身は料理屋で芸者と近づきながら、娘を芸者にするわけにはゆかなかった。
マスノは今、その家出中に知りあった年とった男と結婚し、ようやく落ちつきをみせていた。
今ではもう、年とった母にかわって、料理屋をきりもりしているという。
たまに道で出あうと、なつかしがってとびついてき、
「せんせ、わたし、いつも先生のこと、あいたくてェ」
涙までためてよろこぶ子どもっぽいしぐさなのに、じみ作りな彼女は二十歳やそこらとは見えなかった。
高等科へもすすめず、嫁にもらわれることを将来の目的として女中奉公に出たコトエはどうなったであろうか。
彼女は嫁にもらい手がつくまえに、病気になって帰ってきた。
肺病であった。
骨と皮にやせて、ただひとり物置きに寝ていると聞いてから、だいぶたつ。高等科に進むことができなかったもうひとりの女の子である富士子については、とても嫌な噂がたっていました。
仁太が、富士子に会った、と言っていたのは、きっと遊び女(売春婦)としての富士子に出会った違いありません。
仁太の顔に表れた様子からそれを察して、あえて聞き返しませんでしたが、その噂はとうの昔に小ツルから聞いていたのです。
富士子は親に売られたという話でした。
家具や衣類と同じように、今日の一家の命をつなぐために、富士子は売り払われてしまったのです。
働くということを知らずに育った彼女が、たとえいやしい商売女だとしても、売られてそこで初めて人生というものを知ったのだとしたら、それは富士子のために喜んであげなければならないのかもしれません。
しかし世間の人々は富士子をさげすみ、おもしろおかしく噂をしました。
今ではもう人々の記憶から消え去ったかのように思える松江のこともそうですし、そして今また富士子のことも、どうして彼女たちは笑われなければならないのでしょうか。
しかし、大石先生の心の中だけは、彼女たちも昔どおりにいたわられ、温かく包み込まれていました。
――マッちゃんどうしてる? 富士さんどうしてる? ほんとにどうしてる?……
ときどき先生は心の中でそう呼びかけていたのです。
まっとうな人生とはどうしても思えない富士子たちに比べると、小ツルや早苗は健康そのものに見えました。
優秀な成績で師範学校を出た早苗は、母校に残るという名誉を得て、その瞳はますます輝いていました。また、大阪の産婆学校をこれまた優等で卒業した小ツルとは、大石先生を真ん中にしてすっかり仲良しになっていました。
実際に現場で勉強を重ねたうえで、小ツルはいつか郷里に帰ることを目的としていたのです。
わざとなのかうっかりなのか、手紙の宛名を「大石小石先生」と書いてきたりするのですが、人間が成長していく過程のおもしろさというのは、お母さんの予言通り、よくおしゃべりだった小ツルを少し控えめにし、無口だった早苗をてきぱき屋に育て上げていました。
二人はすくなくとも年に二度、誘い合って先生の家を訪れてきました。
たいていは夏の休暇と正月で、持ってきてくれるお土産も決まっていました。
二人とも同じものというわけではありません。
大阪の小ツルは「粟おこし」で、早苗は高松の「瓦せんべい」と決まっていたのです。
年頃になって、ますます太る一方だった小ツルの目は、まるで糸のように細くなっていました。
どちらかといえばキツい性格の彼女の性格は、この細い目でとても和らいでいて、「えへっ」と笑われると、こちらもつい一緒に声をあげて笑いたくなってしまうのでした。
「えへっ」と笑ったあとで、「ドサン(お土産)だよ」と言って品物を差し出すのが小ツルの決まった癖でした。
あるとき小ツルはこう言いました。
「いつも同じドサンばかりで芸がないなあと思うこともあるんですけどね、自分が子どものときのことを思い出すと、このドサンをもらっただけで飛び上がるほどうれしかったですから」
早苗も同じように瓦せんべいの包みを差し出しながら、
「『阿呆の一つ覚え』っていうことだってありますからね」と言いました。
大吉は、二人を「ドサンの姉ちゃんだ!」と呼んで大歓迎し、その日は一日中みんなで笑い合って過ごし、最後にお別れするのがお決まりのパターンになっていました。
そうしたお土産の品々も、戦争が長引くにつれて手に入りにくくなったようで、最近では商売物のガーゼをくれたり、早苗のほうは、まだ学校にも行っていない大吉のためにノートや鉛筆を持ってきてくれたりするようになっていました。
ようやく学校に行く年齢になった大吉のためにランドセルを買いに行った帰り、思いがけず出会った教え子たちに刺激されたせいか、さまざまな思い出が胸にあふれてきたのです。
「一本松でございます。お降りのかたは……」
車掌さんの声にはっと立ち上がり、あわてて車内を駆け抜けました。
例のお年寄りへの挨拶もそこそこに、電車のステップに足を下ろすと、いきなり大吉の声が聞こえてきました。
「母ちゃん!」
濁りのない、かん高いその声は、一瞬でまわりの雑念をすべてかなたへ追いやってしまおうとします。
初級翻訳・二十四の瞳 第33話
二十四の瞳
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