お母さんのお話だと、当分自転車にも乗れないということだったので、そうはからったんだがね」
もう、返す言葉がありませんでした。
すると、岬の村がいっそう恋しくなり、思わず未練がましく尋ねました。
「後任の先生は、どなたでしょう」
「後藤先生です」
「あら!」
お気のどくと口に出しそうになって、あわててやめました。
後藤先生こそ、どうやってあの遠い道を毎日通うのだろうと心配されたのです。
もうすぐ四十で、しかも晩婚の後藤先生には、まだ乳飲み子の赤ん坊がいたのですから。自分のほうが少し岬に近い村の人だとはいえ、一里半(約六キロ)もあるあの岬へ、これからどんどん寒くなるのにどうやって通うのだろうかと思うと、その気の毒な気持ちと、自分自身の心残りな気持ちがごちゃまぜになって、大石先生は思わずぐっと眉を上げました。
「では、校長先生、こうしていただけないでしょうか。
私の足がすっかり治りましたら、いつでも後藤先生と交代しますから。
それまでの間、後藤先生にお願いするということで……」
大石先生は自分でも本当にいい思いつきだと思ったのですが、校長先生の返事は思いがけないものでした。
「義理堅いことを言うだなあ、久子さん。
あんたがそんなに気をつかわなくても、ちょうどよかったんだから。
後藤先生のほうから、進んで岬の分校を希望したんだからね」
「あら、どうしてですか?」
「いろいろと事情があってね。
年はベテランで、来年は分校をやめてもらう番になっていたところなんだが、岬の分校へ行けば、あと三年くらいは定年がのびることになるからね。
そう話したら、喜んで引き受けてくれたよ」
「まあ、ベテランだからって!」
三十八や九で、もう定年前の古い人間扱いだなんて? まだ赤ちゃんを抱えているお母さんなのに、そんなふうに言われるなんて。
あきれたような顔をして言葉を飲み込んだ大石先生のところに、いつの間にか外から帰ってきたお母さんが、果物などを盛ったお盆をさし出しながら、娘の遠慮のない態度に気が気でない様子で言いました。
「久子、なんですか、せっかくの校長先生のご厚意なのに、ろくにお礼も言わないで。
黙って聞いていれば、さっきからお前は、ヘソ曲がりなことばかり言って……」
そして校長先生の前に手をついて、こう言いました。
「どうも本当にお恥ずかしい、私のしつけが行き届きませんでしたでな。
ついついひとりっ子なものですから、甘やかして育ててしまったらしく、失礼なことばかり言いまして。
これでも、学校のことだけは本当に、寝ても覚めても考えているような子でして、早く学校に出たい出たいと申しておりましたんです。
おかげさまで、本校のほうにかわらせていただけましたから、もう十日もしたら、バスに乗って通えるようになると思います。
こんなわがままな娘ですけど、どうぞこれからも、よろしくお願いいたします」
娘に言わせたいことを母親がひとりでまくしたて、何度も何度もペコペコと頭を下げました。
そして、それとなく目顔で「お礼を言いなさい」と合図をしたのですが、大石先生は知らんぷりをして、まだ後藤先生のことばかり気にスッとしていました。
「それで、もう後藤先生は、岬の分校へ通い始めているんでしょうか?」
校長先生もまた、このちょっと普通とは変わった、あまのじゃくな娘を相手にして、おもしろがっている様子で答えました。
「それは、まだこれからだがね。
なんならもう一度職員会議を開いて、今回の話をとりやめにしてもよろしいんだぞ。
後藤先生はがっかりするだろうがねえ」
母親ひとりが、気をもみつづけて、はらはらしていました。
そんなお母さんに向かって、校長先生は、
「大石くんには、お父さんに似たところがありますな。
ものすごく頑固なところが。
なにしろお父さんは、小学生のときにストライキをやったんですから、前代未聞ですよ」
そう言って、あっはっはと笑いました。
その話は、前にも聞いたことがありました。
なんでも、小学校四年生のとき、自分の担任の先生に誤解されたことに怒って、級友たちをそそのかして一日授業をボイコットしたというのです。
同級生だった校長先生もそれに同情して、みんなといっしょに村役場へ押しかけていって、「先生をとりかえてくれ」と訴えたのだということでした。
今年の春、先生の仕事を紹介してもらいに行ったとき、はじめてお父さんの少年時代のそんな話を聞いて、母と子はふたりでいっしょに笑ったのでした。
ただの思い出話として笑って語られるお父さんの昔話が、今の大石先生には、なぜかふしぎと重みのある真面目なことに響いたのでした。
校長先生が帰ったあとも、ひとりで考え込んでいる大石先生を見て、お母さんはいたわるように言いました。
「でもまあ、よかったではないか、久子」
しかし大石先生はだまりこんだままでした。
そして晩の御飯も、いつもよりあまり食べませんでした。
夜遅くまで考え続けたあげく、やっとお母さんに言いました。
「よかったのかもしれないわ。
私にとっても、後藤先生にとっても」
それは「よかったではないか、久子」とお母さんに言われてから、すでに四時間もたったあとのことでした。
お母さんはほっとした顔で、
「そうとも、そうともお前、万事すべてが都合よくいったということだよ、久子」
すると大石先生はまた、しばらく考えてから、はっきりとこう言いました。
「そんなこと、ぜったいにないわ。
何もかも都合よくなんてなってない。
少なくとも、後藤先生のためには決してよくないわ。
だって、もうすぐ定年だなんて、そんなの失礼だわ」
この娘はまた気が立っているんだなと思ったお母さんは、これ以上それに逆らおうとはせず、やさしく言いました。
「とにかく、もう寝ようではないの。
だいぶ夜もふけたようだから」
その翌朝、ふと思いついた大石先生は、岬の村へ船で出かけることにしました。
船頭は、小ツルの父親と同じように、渡し舟を漕いだり車を引いたりして暮らしている、一本松の村のチリリンヤでした。
十月末の、風のない穏やかな朝です。
空も海も青々と澄みわたり、身が引き締まるような海の空気は、思わず両袖で胸をぐっと抱きしめたくなるほどの冷たさでした。
「うわあ、寒い!
もう袷(あわせ)の着物の季節だねえ、おっさん」
「なに、太陽が昇ってくれば、そうでもなくなるさ」「今がいちばんいい季節じゃ。
暑くもなし、寒くもなし」
めずらしく絣(かすり)のセルの着物に、紫紺の袴をつけた大石先生だった。
ゴザをしいた船の胴の間に横座りした足を、袴はうまくかくして、深い紺青の海の上を、船は先生の心ひとつをのせて、櫓音(ろおと)も規則正しく、まっすぐに進んだ。
二か月前に泣きながら渡った海を、今はまた、気負い立つ心で渡っている。
「なんせ、ひどい目を見たのう」
「はあ」
「若いものは、骨がやわらかいから、折れても治りも早い」
「骨じゃないんです。
筋ともちがう。
アキレス腱、いうんですがのう。
骨よりも、むずかしいところで」
「ほう、それなら、なおいかん」
「でも、ひどい目にあわすつもりじゃなかったですからね。
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