初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第17話

亡霊怪猫屋敷

チョコーンと前足をそろえて枕もとに座っている玉は、いったいどこからくわえてきたのか、二枚の布きれを――「これを早く見てください!」と言わんばかりに、しきりにおばあちゃんの手が届くところへと前足で押し出しているのです。

「…………」

おばあちゃんは、なんだろうと不審に思いながらその二枚の布きれを手に取り、指でなでてみました。――その瞬間!
「おうっ!」と、なんとも言えない叫び声をあげ、おばあちゃんは夢中で布団をけりとって跳び起きました!

「早月(さつき)! 早月はいないのかい? 早月がいないならだれでもいい、ちょっとここへ来ておくれ!」

「早月さんの姿が見当たりませんけれど……なにかご用でございましょうか?」
と、部屋に入ってきたのは、早月の代わりにやってきた「初野(はつの)」という使用人の女の子でした。

「早く、早くこれを見ておくれ。
私には布きれのようにおもうんだけれど、いったいこれはなんだろう……?」

「これは絹の布きれでございますが……あっ、ご隠居さま、黒い血と泥が……!」
初野は気味の悪いものを見るような叫び声をあげました。

「あ……、笹竜胆(ささりんどう)の家紋がついている……ご隠居さま、もしや、もしや若さまがお召しになっていたお着物の切れ端ではございませんか……?」

竜胆寺(りんどうじ)家に代々伝わる家紋の笹竜胆がついているのであれば、まさしくそれは、あの日小金吾が着て出かけた着物にちがいありません。

「では、これを見ておくれ! こちらはなんの布きれだい?」

「麻の切れ端でございます……三蓋菱(さんがいびし)の家紋がついております……こちらには泥も血もついておりませんが」
初野は不思議そうに、布きれの表を返したり裏を返したりしながら見つめています。

三蓋菱の家紋がついているとなれば、まさしく石藤左近将監(いしとうさこんしょうげん)の家紋……しかも、左近将監の着物の切れ端には血も泥もついていないのに、小金吾の切れ端だけには泥がまみれ、どす黒い血がこびりついているのです。

もう口に出さずとも、何が起きたのかはハッキリとわかりました。
たしかに小金吾は左近将監によって斬り殺され、どこかに埋められているにちがいありません。
それを自分に知らせるために、玉は小金吾の家紋のついた場所を噛みちぎり、ついでに左近将監の着物の家紋までも噛みちぎって持ってきたのでしょう。

「ああ、ありがとう……。
それだけわかれば、もう十分だよ。
用があったらまた呼ぶからね、さあ、もう下がっていいよ、ご苦労だったね」

いぶかしげに手を突いている初野を隣の部屋へ下がらせると、
「おお、お前は……!」
おばあちゃんは我を忘れ、いきなり玉をぎゅっと抱きしめました。

「なんて利口な……なんて利口な……ご主人思いの子なんだ……」
胸がいっぱいになってしまい、あとはもう言葉が出てきません。

「よくこれだけの働きをしてくれました……!」ありがたく……ありがたく……お礼を言いますぞ! いつぞやは腹立ちまぎれに、おまえをののしりつけたのはとんでもない考えちがい! 玉や、許しておくれ、許しておくれ! おまえはなんという忠義な……忠義な猫でしょう! 小金吾が知ったら、どんなにおまえの気持ちをよろこんでくれるかしれません。
ああ、これですっかりスッキリしたよ」
 玉には、おばあちゃんが泣いてよろこんでくれているのがよくわかるようで、おばあちゃんの手で頭や背中をなでられながら、さもうれしそうにゴロゴロとのどを鳴らしているのでした。
やがておばあちゃんは、小金吾の着物の破れぎれを仏壇にそなえて、手さぐりでお灯明(とうみょう)をともし、一生けんめいにお経をあげました。
ちょうどそのころ――、城代(じょうだい)・左近将監(さこんしょうげん)のお屋敷では、「ネズミが出たぞ!」と大さわぎになっていることを、おばあちゃんも、このかしこい猫の玉さえも、夢にも気がつかなかったことでしょう。

「佐平治(さへいじ)! コラ佐平治! おまえ、大急ぎで行って左官屋さんを呼んでこい! ネズミに食い破られるような、こんな手抜きな壁の塗り方をするとは、とんでもない不届き者め! さあ、早に行って呼んでこんか! 文句を言ってきたら、しかたがないから首に縄をつけてでも引っ張ってこい! とんでもない……とんでもないやつだ!」
 と、例のはなれ座敷の中で、左近将監はゆでダコのように顔を真っ赤にして怒鳴りちらしています。
自分でもたすきをかけて、ネズミが開けた大穴を自分で直そうとしている様子です。
そしてそのころ、納戸(なんど)のたんすにもたれかかっていたお侍の奥さんのお世話をする女中・八重(やえ)は、
「どうしてたんすの中にまで、ネズミが入ったんでしょうねえ? たんすにはどこも食い破られたあとがないし……おまけに、旦那さまのご紋がついた着物が、たった一枚だけ食い破られて……」
 とお藤(ふじ)という別の女中と頭を寄せ合って、すっかり困り果てていました。
「あしたにも旦那さまがお召しになるとおっしゃったら……ねえ、お藤さん、わたしどうしたらいいんでしょうねえ!」
 と、どうしていいかわからず、頭をかかえこんでしまったのです。

が、しかし、そんなお城のえらい人たちのお屋敷のことなどはさておき、こうして左近将監が小金吾を殺したという動かぬ証拠はハッキリとそろったものの、こちらはすっかりやせ細った目の見えないおばあちゃん。
どうやってこのかたきを討つことができましょう。
たとえお役所に訴えに出たとしても、一番えらい殿さまは遠く江戸にいらっしゃってお留守です。
そして、こうした訴えを聞いて裁く「大目付(おおめつけ)」といういばった役職の人間も、相手が殿さまの次にえらい城代家老(じょうだいかろう)となれば、怖くて手も足も出ないのです。
どうしようか、こうしようかと胸の中で悩み苦しみながら、おばあちゃんはなすすべもなくくちびるを噛みしめ、ただ悔しい涙にくれ続けるのでした。

しかも、玉がくわえてきた証拠の品とぴったり合わせるように、その晩もまた、小金吾の亡霊(ぼうれい)がおばあちゃんの枕もとにあらわれたのです。
やっぱりお屋敷の中が寝しずまり、行灯(あんどん)の光がうす暗くなったころ、ぼんやりとした人の影がすーっと浮かび上がってきました。
しょんぼりと首をたれ、肩やわき腹からコンコンと血を吹き出し、その傷口を押さえた手からも血がポタポタと落ちています。
そして、ものすごく悔しそうな顔で城代屋敷の方を指さしている姿は、あのときと少しも変わりません。
変わっているのは、その着物の袖(そで)についている家紋のまわりが破れていて、たしかに玉に食いちぎられたことを示しているところでした。

「おう、おう! 小金吾、かたきを討ってほしいのか? かたきをとってほしいのか?」
 見るなり、おばあちゃんは身をのりだしました。
「おう、おう、母さんにもちゃーんとわかっているよ。
さぞ悔しかっただろう、うらめしかっただろう。
成仏(じょうぶつ)して行くところへも行けないんだろう」
 とおばあちゃんは体じゅうをふるわせました。

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