初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第16話

亡霊怪猫屋敷

「おう、やっぱりそうだったのか! 石藤左近将監(いしとうさこんしょうげん)に斬られたのかい? もしかしたらそうではないかと、お母さんも考えていたんだよ……」おのれ、にっくい左近将監(さこんしょうげん)め! よくもよくも、口からでまかせの嘘を吐きやがって! おお、無念じゃろう、無念じゃろう、小金吾! さぞ、無念じゃろうに! あの子は気が進まないと言っていたのに、お母さんが無理にすすめて送り出してしまった……みんな、お母さんの罪なのじゃ! お母さんが悪かった、悪かったよ! さあ、それではもう疲れたろう、ゆっくりとお行き、小金吾、ゆっくりとそなたの行くところへ行って、お休みよ!」
それを聞いて安心したのか、小金吾はガックリとそこに崩れおちてしまいました。
そしてその姿は、まるでかき消すようにスーッと消え去ってしまったのです。
とたんに老いた母親は、ハッと夢から覚めました。
薄暗い行灯(あんどん)の光だけが寂しそうにまたたいていて、もはやそこには誰もいる気配はありません。
そして老母は、びっしょりと冷や汗をかいていました。
「早月(さつき)はおりませぬか? 早月は……?」
「ご隠居さま、お呼びでいらっしゃいますか?」
と、隣の間から小間使の早月が、寝間着姿で入ってきました。
「早月、眠っているところを起こして申しわけないけれど、ちょっとその行灯の後ろのほうを見てくれないか」
と老母は、見えない目をしばたたかせました。
「そこに、だれかおりませぬかえ?」
「え、いいえ、どなたもべつだんに……」
「そのへんに、血でも垂れてはおりませぬかえ?」
「え、血が?」
と、早月はびっくりしたような声をあげました。
「いいえ、ご隠居さま、すこしも……」
と、気味悪そうに、畳に目を落としているのです。
「では、それでいいのだよ、ご苦労でした。
わたしは目が見えないから、それをあなたに確かめてほしかったのです。
それでわかりました。
さ、もういいから、行ってよくお休み!」
「ご隠居さま、ほかに何か、ご用でも?」
「いいえ、もうそれでいいのです。
さあさ、行って早くおやすみおくれ!」
もちろん老母は、早月にはなにひとつ本当のことを言いませんでした。
そして早月が去ったあと、見えない目からポロリポロリと涙をこぼしながら、床の上に起きなおってくちびるを噛みしめていましたが、このときどこからともなくあらわれた真っ黒な影が、音もなく近づいてくると、行儀よく老母の膝に身をすりよせてきました。
「玉」という名の、この竜胆寺(りんどうじ)の屋敷にもう八、九年も飼われている、歳をとって全身の毛も銀色に輝いた老猫でした。
まことに賢い性質で、やってくる人がみんな「こんな利口な猫は見たことがない」と口をそろえてほめそやすほどでした。
小金吾は生前、どれほどこの猫をかわいがっていたかしれません。
玉や玉やと、片時もそばを離さないくらい目をかけていましたから、その主人が急に見えなくなって、玉もどんなにがっかりしていることか。
老母の泣いているのがわかるのか、ニャーとも鳴かず、ただ「お察し申し上げます」と言わんばかりに身をすりよせてくるのが、かえってなんともいえず、健気でいじらしく思われます。
「玉や、おまえも寂しいのかえ?」
と泣きながら老母は、玉の頭に手をやりました。
「……あんなにかわいがっていた小金吾がいなくなって、おまえもさぞ寂しかろう。
おうおう、わたしの言うことがわかるのかえ? そうかそうか、寂しいか……もうおまえも小金吾にはかわいがってもらえないんだよ。
おまえをかわいがった小金吾は、いまもわたしの夢枕に立って、もう死んだか生きたか、生きているのかさえわからないんだよ」
と玉の頭をなでて泣きながら、まるで人に話しかけるように言い聞かせていましたが、やがてその涙はしだいに愚痴へと変わっていきました。
「利口だ利口だとおまえは来る人ごとにほめられていたけれど、やっぱり所詮はケダモノの浅ましさ! 主人がこんなに悲しんでいることも、わからないのだろうねえ? 同じ猫でも、歳をとって不思議な力を得た猫は、大変な恩を受けた主人の仇を討ったという話も聞くというのに、おまえにそんな気持ちの万分の一でもあれば、どこで小金吾が殺されたか、せめてそれだけでもわたしに知らせてくれそうなものを! 何年飼ってもおまえはバカ猫だから、それだけの恩も感じてくれないのだろうねえ……さあ、あっちへ行って、もうすこしあいだ、わたしをひとりにしておくれ……」
しまいには玉を邪険に押しやって、老母は両手で顔をおおって、床の上に突っ伏してしまいました。
まるで老母の言うことがわかるかのように、玉は申し訳なさそうにうなだれていましたが、またどこへともなくノソリノソリと、足音も立てずに消えていってしまいました。
しかし、それから一刻(約二時間)ほどたったのち、雨にうたれて濡れそぼった松の枝から枝へと伝って、身軽にピョコンと、この屋敷の外へ飛び降りたものがあったのです。さっきさんざんおばあちゃんからグチを言われていた猫の「玉(たま)」でしたが、おそらくそのことに気づいていた人は、だれひとりいなかったことでしょう。

真っ暗な夜はすっかりとふけわたり、雨はシトシトと降り続き、風まで吹き荒れて森の木々のてっぺんはごうごうと音を立てていました。
そのうえ、塀の外へひらりと降り立つと、玉はランランと目を輝かせ、キッと暗闇の中をにらみつけながら、ブルブルッと二度三度体をふるわせました。――次の瞬間、玉は見るもおそろしく恐ろしい、大怪猫のすがたへと変身してしまったのです!

そして、いつの間に集まったのか、うしろには五、六匹もの子分(こぶん)の猫たちを引き連れて、なにやら命令しているようすは、さっきまでおばあちゃんの目の前で、行儀よくチョコーンと座っていたあの飼い猫の玉だとはとても信じられない、おそるべき姿でした。

小金吾の亡霊

もちろん、おばあちゃんは深い悲しみに沈んでいますし、お屋敷の使用人たちもおばあちゃんをなぐさめるのに必死で胸を痛めていたので、この二、三日、猫の玉が姿を消していることになど、だれも気づくはずがありませんでした。

けれど、それから三日ほどたったころのことです。
おばあちゃんの枕もとへ、またそーっと忍び込んできたのは、あの玉でした。

おばあちゃんはなにか深い物思いにふけっているのでしょうか? じゃまに思ったのか、顔も上げようとしません。
そんなおばあちゃんを急かすように、玉はめずらしく「ニャーオ、ニャーオ」と、甘えるような声を二声三声鳴かせました。
それでもおばあちゃんは顔を上げません。
今度は少し大きな声で、「ニャーオ!」と玉が鳴きました。

「うるさいね、向こうへ行きなさい! いまはお前にかまってあげられないんだよ……」
おばあちゃんは冷たい声を出すと、ふと顔を上げました。

ですがその瞬間、玉のようすから、目の見えない人ならではの鋭い勘がピシリと働いたのでしょう。
「おやっ……?」と言わんばかりに不思議そうな顔をして、やせた腕をそっと伸ばしました。

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