そして、こうやって一藩のまつりごとを執っている以上、いつなんどき刺客がおそうてこんともかぎらぬが、そのときの用心に、壁裏づたいに避難できるよう、しかけをしておく必要があるといって、左官屋をよんで召使をとおざけて、じぶんがつきっきりで壁をあつく塗りなおさせました。
しかし、それも、左近将監のようなまつりごとを見ている人には、けっしてめずらしいことではなく、むかしからよくためしのあることなのですから、召使たちのだれひとりそれをふしぎと思うものもありませんでした。
かくて、城代左近将監の山茶花屋敷には、まことに平穏無事な日がつづいておりましたが、ここに見えぬ目に涙をながして、ゆくえの知れぬわが子のため、心もくるわんばかりの日々を送っている、不幸な人がありました。
ここから一里あまりはなれた上久原というところにある、竜胆寺家の老いたる小金吾の母だったのです。
あの晩、九時になっても十時になってもわが子がもどってこないので、気はすすまぬながらでかけていっても、そこは年若のこと、やはり碁を打っているうちについおもしろ味が増して、夏の夜を御家老と打ち興じているのだなと思いましたから、さかしいとはいっても子どもというものはしようのないものと、ひとり笑いながら、老母は見えぬ目をしばたたきつつ床についていましたが、そこへ老母の夢をおどろかせたのは、夕方供をしていった八郎太という、若党のかえりだったのです。
一里の道をとんでかえってきたとみえて、このすずしい夜ふけに八郎太は、ビッショリと汗をかいていました。
「若さまは、もうおかえりになりましたでしょうか……?」
御城代さまごけらいのお話によれば、かくかくしかじかで……と、佐平治からきかされたとおりの、口上だったのです。
「まあ、待ちゃ! ハテ、ふしぎなことがあるもの! そなたの供していった小金吾は、まだかえってきませぬが……」
と、老母は床の上におきなおりましたが、ふだんのわが子のそぶりから考えて、老母にはなんとも解しかねるのです。
なるほど、少年にも似げなく碁の天才でしたが、しかし小金吾は人から柔弱な、碁打ちのごとくにあつかわれることを、日ごろからきらいぬいていました。
その小金吾が、たかが碁に負けたくらいのことで、家をすて親をすてて出奔してしまったとは、なんとしてもうけとれる話ではありません。「お前、その話は本当に城代さまの家来から直接聞いたのかい? それなら申し訳ないけれど、もう一度お城のほうへ引き返して、今度は石藤左近将監(いしとうさこんしょうげん)さまの口から直接、本当のわけを聞いてきてくれないだろうか? お母さんはどうにも納得がいかなくて、本当に心配でたまらないんだよ……遠い道をごめんねえ……」
「とんでもございません! わたくし、若さまのお供をしておきながら、まったくお供の役目も果たせぬようなしめくだになりまして……ご隠居さま、どうぞお許しくださいませ。このとおりでございます!」
と、若党は地面にペタッとひれ伏して、頭を地面にすりつけました。
そして若党は、もう一度左近将監の屋敷へとって返しました。しかし、何度とって返そうとも、いくら左近将監の口から直接わけを聞こうとも、あんなにずる賢くて卑怯な家老が、どうして本当のことを白状するわけがありましょうか。
老いた母の心はますます不安で暗くなりましたが、いくら家老が怒りっぽく見えても、まさか一国の城代家老ともあろう人が、黒いものを白だとうそをつくなんてことは考えられません。
納得がいかない点はいくつもありましたが、もしか万が一ということもあります。だから隣国の諫早(いさはや)、鳥栖(とす)、博多(はかた)といった大切な場所の親戚たちへ、すべて急ぎの手紙を出しました。もし小金吾が立ち寄ることがあったら、よく言い聞かせてお母さんのもとへ帰してほしいと、頼み込んだのです。
けれど、亡くなってしまった小金吾があらわれるはずもありません。ただ一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日……四日……十日……十五日と日が経っても、行方はまったくわかりません。各地の親戚からも、「立ち寄った」という知らせは一つも届きませんでした。
そのうえ最近の噂では、城代さまは残されたお母さんの体をとても心配して、あの事件以来一度も碁石を手にせず、すっかり読書ばかりしていらっしゃるとのこと――。
それならば、城代さまの言っていることに嘘はないのだと思わなければなりません。
もはやお母さんには、我が子の行方はまったく見当がつかなくなってしまいました。
そして冷たい日が一日、二日、三日と過ぎ、すっかり暑さもすぎて、このごろは秋の雨がしとしとと降る、いい知れぬほど寂しい日がつづいていきます。
もともと母一人子二人、おまけに目は見えない身の上です。頼りにしていた我が子の行方はわからず、今ではお母さんは食事ものどを通らず、人と話をするのもおっくうになり、半分病人のような哀れな姿になってしまいました。家来たちも、どう慰めてよいか分からず、胸を痛めていました。
だが、ちょうどそのころのある晩のことでした。
今日も朝からじめじめと、やむことなく時雨(しぐれ)がしょぼしょぼと降っていました。病床に伏せっていたお母さんが、ふとうとうとと眠りにおちたのは、もう夜の「子の刻(このこく)」、あるいは草木も眠る「丑三つ時(うしみつどき)」だったかもしれません。
ふと気がつくと、薄暗い枕もとの行灯(あんどん)の陰に、しょんぼりと両手をついて、苦しそうに息をしている小姓(こしょう)姿の少年が、ぼんやりとお母さんの目に映ってきたのです。
「おう! お前は小金吾……お前は小金吾ではないか……!」
見るなりお母さんは、飛び上がるように起き上がりました。
「どうしたんだい、小金吾、その変わり果てた姿は――」
「……」
しかし言葉もなく、おなかを押さえたまま、左の肩はダラリと首のつけねから垂れ下がっています。乱れた髪のあいだから見える美しい顔の半面は、真っ赤な血に染まっていました。
「おう、お前は斬られたんだね? いったい誰に斬られたんだい? さあ、早く、相手の名前をお言い!」
急き立てるように尋ねましたが、しかし小金吾はやはり、苦しそうにおなかを押さえたまま、じっと下を向いただけで何も言いません。
肩とおなかからはますます血が吹き出し、今にもパタンと前に倒れてしまいそうです。
「小金吾、小金吾! なんだい、そのくらいの傷で! 傷は浅いはずだ、さあ、早くお母さんに言いなさい! 誰に斬られたんだい? 誰に? お前だって立派な武士の子、竜胆寺(りんどうじ)家の跡取りではないか!」
もう命の終わりが迫っていたのでしょう。
目はすでに閉じていましたが、それでも目を閉じながらもお母さんの言葉が耳に入ったとみえて、小金吾は美しい顔をあげて、斬られていないほうの片手を静かに差し上げました。
そしてその手で、うらめしげに、城代家老の山茶花屋敷(さざかやしき)をじっと指さしているのです。
「城代か、城代なのか?」
気ぜわしく、お母さんは尋ねました。
小金吾は、じっとうなずきました。
初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第15話
亡霊怪猫屋敷
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