初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第6話

亡霊怪猫屋敷

戸はしめてあっても、心張棒をかっていないその非常口は、もし曲者が手をかけたがさいご、スルスルとあいてしまうでしょう。
しかも曲者は、その非常口のまえにすいつけられたように、うごかないのです。
博士はかたずをのみました。
と、とたんにやはり曲者は、かんで戸じまりのしてないのに気づいたものか、ゴトゴトやっているなと思っているうちに、スーッと重い杉戸が開きはじめました。
もう、猶予はできません。
戸があいたがさいご、そのスグとなりの寝室には、頼子が雇人と遠くはなれて、ただひとりでふるえているのです。
どんな危険がおこるかもわかりません。
博士は、いつ、どうしてそこまでかけよっていったか、じぶんにもおぼえがありませんでした。
「き、貴様! なにをするのか!」
 と、さけんで、はげしいいきおいで樫の棒をうちおろしました。
たしかに手ごたえが……いいえ、手ごたえどころではありません。
すでに非常口に半身をのりいれた曲者の肩さきへ、火のようないきおいで棒はうちおろされたのです。
が、なんというかたいからだでしょう。
うちこんだ棒は、岩にでもブツかったように、ジーンと博士の手のほうがしびれてきました。
しかもおどろいたことには、これほどの一撃をくらいながら、あいてはべつだんうろたえたようすもなく、半身をのりいれたまま、ジロリとこちらをふりむいているのです。
「あ! き、貴様は……」
 と、博士がおどろいたのも道理!
 なんとそれは、ゆうべのあの老婆ではありませんか! いいえ、ゆうべばかりではなく、さっきは坂の途中でくるまの母衣をまくってのぞきこみ、博士のるすちゅうに家にきて、みんなをふるえあがらせた、あのおそろしい老婆だったのです。
博士はいきどおりが、胸もとまでこみあげてきました。
「なんの恨みがあって、貴様は真夜中まで、人の家へめいわくをかけるのだ! さ、そのわけをいえ!」
 あいてが強盗や泥棒でなくて、あのやせおとろえた老婆だとしっては、腹はたっても、いまさら打ちすえる気にもなれません。
しかたなく博士は棒をすてて、ことばはげしくつめよりました。
「わけをいえ! さ、早く、わけをいえったら、なぜいわんのだ! 老人だと思ってがまんしていれば、いい気になって! ふざけたまねばかりすると、しょうちせんぞ! さ、いえ! どうして、わけがいえんのだ!」
 ウヌ! と博士は老婆のえりをひっつかみました。
が、そのえりに博士の手がかかったかかからぬかに、老婆の顔がみるみるかわりました。
闇のなかで口が耳もとまでさけ、目がランランと輝いて……しかもその顔が、博士の眼前におどったとみた瞬間、あッ! と博士のからだはもんどりうって、いやというほど、大地にたたきつけられました。「おい、病人だと思ってなめやがって! てめえ、俺に手を出す気か?」
 ガバッと起きあがってとびかかってきたその瞬間! ギャオッ! とものすごい叫び声をあげて、おばあさんはあっという間に博士の手を振りほどき、逃げ出しました。
そのとき、手の甲にヒリヒリと刺すような痛みを覚えて博士が思わずひるんだすきに、ガサガサガサッと激しい音を残して、隣の屋敷とのあいだにある雑木林へ分け入っていったのです。
すぐにあとを追いかけましたが、その足の早いこと早いこと! まるで稲妻や陽炎(かげろう)のように素早く、とても人間の業とは思えません。
夜の闇は深く、その姿を博士は見失ってしまいました。
この騒ぎで、お手伝いたちも起き出して、寝室では奥さんが吉蔵たちにかこまれてワイワイと大騒ぎしていました。
「旦那様、泥棒が入ったそうでございますが、ぐっすり寝ていてすっかり気づかなくて……ほんとうに申し訳ございませんでした」
「あなた、どこまで追いかけたの? やっぱり泥棒だったの? どんな格好をしてたの?」
「暗かったからよくわからなかったよ。
追いかけたんだが、雑木林の中へ逃げ込んじゃってね」
「夜が明けたら、村の駐在所へ知らせることにいたしましょう。
またやってくるといけませんからね」
「いやあ、何も盗られたわけじゃないし、まあいいさ。
さあ、みんなも寝なさい。
……どうせコソ泥棒だ、もう気味悪がって来ないだろう」
 となんでもない様子で、博士はおばあさんのことについてはひとことも口にしませんでした。
こんな真夜中に、あんなおばあさんが忍び込んできたなどと話したら、女たちがまたどんな大騒ぎをするか、それを心配したからなのです。
「あら、あなたの寝巻に血が……まあ……手の甲から血が垂れて……どうされたんですの?」
「うむ、いまあいつを追ったときに、そこでつまずいて、茨(いばら)にでもひっかかったんだろう」
 と奥さんに心配させないよう、さりげなく言い捨てて、博士は診察室へ入っていきました。
奥さんに注意されるまでもなく、さっきおばあさんに爪でも立てられたとみえて、手の甲がヒリヒリとかなり痛んでいたのです。
手早く消毒して、さて傷口を改めて見てみると、その深さにかなり驚きました。
一本……二本……三本……鋭い爪で引き裂かれたとみえて、洗っても洗っても、ポタリポタリと血がしたたり落ちてくるのです。
しかも眺めれば眺めるほど、これが人間から受けた傷あとだろうか? と疑わずにはいられない、深くて深い傷――。
「うむ……ふしぎだな……!」
 と博士は首をかしげました。
どう考えてみても、人間には、これほどまでに相手に深い傷を負わせるような鋭い爪は生えているはずがないのです。
はてな? と思った瞬間、ふと頭に浮かんでくるものがありました。
あの犬の五郎丸の死因になった爪の傷、どうしても腑(ふ)に落ちなかったあの爪傷が、ちょうどいま自分の手の爪の傷とまったく同じだったのです。
ハッと、博士は暗い診察室に立ちすくみました。
もしそうだとすると、犬の五郎丸を殺したのもあのおばあさん……? 樫(かし)の棒で一撃をあたえたときの手ごたえといい、襟首に手をかけたときにすごい力で地面にたたきつけられたことといい、目にも留まらぬ速さで雑木林に逃げ込んだすばやさといい!……どれもこれも確かに人間業とは思えない気味の悪さです。
では、あのおばあさんの正体はいったい何なのでしょうか?
昔は、年老いて不思議な力を得たキツネやタヌキが人を化かしたという話もありますが、文明の進んだこの現代にそんなバカバカしいことがあるはずもなく、考えれば考えるほど、おばあさんの正体が博士には分からなくなっていくのでした。

山奥の村

さて、その日も明けて、顔を洗っている博士に、
「旦那様、おはようございます」
 と、吉蔵がほうきを片手に近づいてきて、言いました。
「俺にはどうも、納得いかないことがありやすだ。
ちょいと、来てみてくんねえだか」
「なんだい? 吉蔵、朝っぱらから」
「旦那様は、ゆうべ泥棒が入ったっておっしゃいましただなあ?」
「ああ、言ったとも。
だが、それがどうしたんだね?」
「泥棒なら、人間でやんしょう? ところがですね、妙なことに人間の足跡なんてものはちっともねえでやす。

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