初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第21話

亡霊怪猫屋敷

「これほど言っても理不尽に、拙者に切りかかってくるというのなら、もう遠慮はせんぞ!」「斬るぞ! 本意ではないが、拙者も斬るぞ!」
 そう叫ぶと同時です! 間合いに飛び込んできた女を、将監は目にも留まらないすさまじい勢いで斜め上にすくい上げました。
 女の体はこれで真っ二つかと思いきや、ツバメのように軽やかに飛び上がり、次の瞬間には将監の頭上で身を翻し、すぐ後ろの横手に降り立つと、ふたたび懐剣を構えているではありませんか。
 そのとき、ハッと将監にも思い当たるフシがありました。
 さっきはまったく気づきませんでしたが、鳥のようにすばしっこい動きをするわりに、この二人は足音がまったくしないのです。
 こないだ桜の馬場で遭遇した曲者と、少しも変わりがありません。
「――なるほどな、親の仇というのは真っ赤なウソで、最近俺が警戒しているものだから、仲間同士の芝居で俺をおもてへ引っ張り出しやがったな!」
 と、この不思議な二人の行動が、ようやく頭の中でスッキリと理解できたのです。
 その瞬間、生まれつきの短気なカンシャクが全身に燃え上がり、もはや一刻の猶予もありません!
 飛び込んできた柳という若侍と打ち合うこと二、三合。さすがは無念流の達人、横払いの大剣が見事に決まり、相手は「ギャッ」と一声あげて、血煙を立てながらその場にバタリと倒れました。
「おのれ!」
 と懐に飛び込んでくる女の、懐剣を持つ手を払い除け、一足踏み込むと同時に「真っ二つにしてくれるわ!」とばかりに肩口へ斬りつけると、あわれ女も「ギャッ」と一声! これもまた、血煙を上げながらその場に倒れ込みました。
 人間を二人も斬り倒したことで、さすがの左近将監も喉の渇きを覚えました。
 ほっと一息ついて、
「八重! 藤! お茶を持ってまいれ! 誰かお茶を持ってくるのだ!」
 と、隅っこでブルブルと震えている召使たちにお茶を運ばせ、血の滴る太刀を持ったまま、荒い息をつきながら玄関先で茶を立て続けに飲んでいる、その隙のことでした。
「あ、旦那さま、旦那さま! あれあれあれ! あんなことをしています!」
 八重がびっくりして背伸びをしながら叫ぶ声に振り返ってみると、なんと大胆不敵なことでしょう! さっきまでそこをウロウロして、切り合いを遠巻きに眺めていた山伏姿の一人が、将監が背中を見せた隙を狙い、そこに転がっている男女二人の死体を両脇に抱え、逃げ出そうとしているところだったのです。
「うぬ、さてはお前も一味だったのか! 待て曲者、逃げる気かっ!」
 と、茶碗を投げ捨て、血刀を持ったまま大急ぎでその山伏の後を追いかけましたが、曲者は死体を両脇に抱えたまま、後ろも振り返らずに逃げていきます。
 その足の速いこと速いこと! とても追いつけるものではありません。
 左近将監も思わず呆れて、
「ふうむ、忍術使いというのは、さすが実に見事なものだな……」
 と、感心して嘆声をあげていましたが、この期に及んでもまだ将監は、これが小金吾の仇を討つための「怪猫の仕業」だとは、夢にも気づいていなかったのでした。
 こうして一度ならず二度までも襲撃は失敗に終わりましたが、そのたびに左近将監のまわりではますます警戒が厳重になっていきました。しかし、殺された旅の若い女も、仇役の柳という若侍も、それらはすべて怪猫の手下どもであり、死体を両脇に抱えて逃げ去った山伏姿の男こそが、怪猫「玉」の化身であったということは、みなさまもすでにお気づきのことでしょう。

ふたりのお藤

 さて、ちょうどそのころのある日のことです。
 奥女中の八重が納戸のタンスの前で、熱心に左近将監の着物をたたんでしまっているときでした。
 八重は、夕方に左近将監がお城から帰ってきたときにお出しする夕飯のおかずの件で、同僚のお藤に頼んでおいたことをふと思い出したのです。
「おや、私うっかり忘れていたわ。お藤さんは『魚政』に言ってくれてかしら?」
『魚政』というのは出入りの魚屋さんでしたが、「私ちょっと手が離せないから、お藤さん、魚政が来たらあなたからそう伝えて、旦那さまのお刺身を作らせておいてちょうだいね」と頼んでおいたのです。
 もう夕飯の支度にとりかからなければならない時間ですが、毎夕かならず二、三本のお酒を温める習慣のある左近将監の、お酒のつまみさえ用意していない日には、ただでさえ怒りっぽい将監からどんなお叱りを受けるかわかりません。
 そう考えると、もう着物をたたんでいる場合ではありません。
 家の中を駆け抜けるようにして、八重は表玄関へと飛んでいきました。
 もうすぐ左近将監がお城から帰ってくる頃なので、いつものように藤も玄関の式台や上がり階段のあたりを、手ぬぐいで頭を包む「姐御(あねご)かぶり」をし、たすきをかけて、せっせと一生懸命に雑巾がけをしていました。
「お藤さん、ちょっとあなた! さっき頼んでおいた件、魚政に言ってくれたかしら?」
「ええ、お刺身でしょう? さっき言っておきましたよ」「きのうは海がしけていて、旦那さまにお出しするような立派なお魚が仕入れられなかったそうです。だから『店に帰って何かいいものを見繕って、すぐにお届けします』って魚屋の主人が言っていましたよ。
 もうお台所のほうへ届いているころじゃないでしょうかねえ」
 雑巾をかけながら、お藤は振り返ってそう答えました。
「そう……どうもありがとう!
 それなら私も安心したわ。
 じゃあ、もう魚屋はきているころね。
 ……どうもありがとうね」
 すっかり安心した八重は、トントンと長い廊下を渡って、引き返してきました。
 そして、台所へいってお膳の準備をする前に、さっきはしまい切れなかった着物をタンスの中に片付けようと、もう一度納戸の中へ入っていったのですが――その瞬間、八重は全身の毛が逆立つほどの、すさまじい恐怖に襲われたのです。
 なんとそこには、たった今まさに玄関で別れてきたはずのお藤が、しょんぼりとたたずんでいるではありませんか!
「あらまあお藤さん、なんてあなたは人をびっくりさせるの? いったいどこを回って、私より先にここへ戻ってきたのよ? さっき私と喋ったばかりじゃない!」
 と、八重はびっくりして声をかけました。
しかし、お藤はなんの返事もしません。
ただそこにポツンと突っ立っているだけなのです。
もう夕方なので、すっかり日は沈んでいます。
おまけにここは、広い中廊下に遮られた薄暗い部屋で、頼りない青白い月の光が差し込んでいるばかりでした。その青白い光を浴びてしょんぼりと佇むお藤の姿は、まるで本物の幽霊のようにおどろおどろしく見えたのです。
しかも気のせいか、お藤は真っ青な顔をして、目だけ妙にギラギラと薄気味悪い光を放っています。
「まあ、そんな風におどかさないでよお藤さん、なんて怖い顔をしているの!」
 と、そばへ寄ろうとして――。
「あら、あなたってば! なんてすばしっこい人なのよ。
 いつの間にそんな格好に着替えたの! まあ驚いた! まるで手品使いみたいな人ねえ!」
 と、八重が再び驚きの声をあげたのも無理はありません。

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