次から次へと起こるむごい出来事に、「ム、ウムッ」とくちびるをかんで飛びおりた勝手口の土間にも、外から投げこんだらしい女の死体がふたつ。
いつぞやおびきだされた途中で、不意に飛びかかられて襲われたのでしょう。どちらもおなじように肩、胴、顔などかまわず食い荒らされた、お八重と飯炊きのお稲の屍骸(しがい)が、こちらの死体はすでに血もすっかり乾ききっており、どこか別の場所に埋められていたのをわざわざ掘り起こしてきてほうり投げたかのように、おびただしい土ぼこりにまみれたまま折り重なっています。
そしてなるほど、台所へと下ろされた大戸には大きな穴がぽっかりと開いており、曲者はまさにその戸の外からお屋敷へと乱入してきたに違いありません。
あまりのことに防ぎきれなかったとみえて、そのすぐそばには、これまた目、鼻、口、喉の区別もつかないほどバラバラに食い殺された下男の嘉蔵と三四松のふたりの死骸が転がっています……。
どうりで、いくら戸をたたいても叫んでも、玄関の戸が開かなかったわけです! 隠居所に出かけていて留守にしている間に、このお屋敷の中はことごとく全滅させられていたのです。
現場全体の様子から推測するに、御殿での勤めから帰ってきた新之丞と、待ちぶせしていた怪猫との間で、坂の途中からお屋敷の入り口にかけて激しい戦いがおこなわれました。そのもの音に驚いたお藤やお里、下男たちが大急ぎで戸を閉めて震え上がっているところへ、新之丞を食い殺した怪猫が勝手口を破って侵入したのでしょう。
そして、逃げ惑う女たちに次々と飛びかかり、お屋敷の中を一面血の海に変えて死人の山を築いたあげく、左近将監をあざ笑うかのように、お八重とお稲の死骸までどこからか引きずってきてほうりこんだのに違いありません。
しかも、いまや屋敷の中はしんとして静まりかえり、どこにも怪猫の潜んでいる気配すらありません。いくら歯ぎしりしたところで、いくら怒り狂ったところで、もはや一切合切は後の祭りでした。
「……ム、ウム……ム、ウム」
と深い吐息をもらしながら台所の土間に腰を下ろしたまま、もはや立ち上がる気力すらない様子で、左近将監は刀を杖がわりに、じっとうなだれていました。
血刀を抜いて土足のまま駆け込んできたあの時の気力もすっかり失せ果て、もはや顔を上げる力すら残っていません。
左近将監の最期
なんと不思議なことでしょうか。
しばらくして、うなだれていた顔をムクリと持ち上げた左近将監は、きょとんとした怪訝(けげん)そうな面持ちで、あたりをキョロキョロと不思議そうに見回しはじめたではありませんか。
まるで急に夢から覚めたように、あるいは深い眠りからパッと目を覚ましたかのように――しかも、その顔をよく見てごらんなさい、もはや完全に表情が変わりきっているのです。
両目がキリキリとつり上がり、恐ろしく血走っています。
しかし、それは決して怒りや癇癪(かんしゃく)の顔ではありません。
癇癪とはまったく違い、どこか落ち着きがなく、ただあたりをキョロキョロと見回しているその顔は……。
あっ! それはもう完全に、いままでの左近将監の顔ではありませんでした。
ごらんなさい、ごらんなさい! 左近将監はついに気が狂ってしまったのです。
母親を怪猫に殺されて煮えくり返るような心の痛みの中、頼みの綱である最愛の息子・新之丞までもが、こんなにも無残な殺され方をしている――しかも怪猫は相変わらず姿かたちも見せず、どこかでこの左近将監の惨めな姿をせせら笑っているに違いありません。
刀を杖にしてぼうぜんと立ちすくみ、うなだれている間に、ついにこの鬼のような城代家老は、精神のバランスを完全に崩してしまったのです。
そして、さっきまで血相を変えて飛び込んできた姿とはまったく反対に、刀をだらしなく引きずりながら、ノソリノソリと血みどろのお屋敷の中を、玄関の方へと引き返していくのでした。
目だけは絶えずキョロキョロと落ち着きがなく、しかも何かにおびえるように、体から中心の軸がすっかり抜けてしまったかのようにヒョロヒョロと歩いています……。
納戸の前には、お里が板戸にもたれかかるようにして倒れています。
しかし将監は、それを振り返ることもありません。
表座敷には、手燭をぎゅっと握りしめたままお藤がうつぶせに倒れています。
しかしそれさえも、振り返ることはありません。
玄関の敷台には、お藤どころか、お里どころか、自分にとって一番大切だった息子の新之丞が倒れています。
しかしそれさえも、もはや左近将監の目には入っていません。
まるで物の怪(け)に取りつかれたようなギラギラとした目で闇の中を見据えながら、足元の砂利を踏みしめて、門の方へと出ていこうとしているのです。
玄関の前では、妻を殺されて途方に暮れる仲八を取り囲むように、権六や定吉や佐平治が、ぼうぜんと言葉もなく立ちすくんでいました。
「旦那さま、どちらへおいでなされるのですか?」
と、あまりの異変にあっけにとられながら追いすがってきた権六と仲八を、左近将監がふっと振り返ったその瞬間、あのギラギラとした目がさらに異様な光を放ちました。
狂ってしまったその目には、目の前の人間たちが憎い曲者の姿にでも映ってしまったのかもしれません。
「曲者(くせもの)め!」
とひと声叫ぶやいなや、権六めがけてまっこうから唐竹割(からたけわ)りに振り下ろし、返り刀ですぐさま仲八の脇腹をグサリと突き刺しました!
「うわァっ!」
と後ろへのけぞった権六と仲八の陰から、横飛びに逃げ出そうとした定吉に向かって、
「曲者め、逃げる気か!」
と、これまた背後から一太刀――たとえ気が狂っていても剣の腕は確かなだけに、どうしようもなく容赦がありませんでした。「ウワーッ!」
と血のけむりを立てて、二人もまた重なり合うようにして倒れてしまいました。
「旦那さま、どうして仲八や権六をお斬りになったのですか? 権六や仲八に、いったいどんな落ち度があるというのです?」
さすがに血相を変えて、若党の佐平治が詰め寄りましたが、将監にはもうそんな言葉は届きません。答えもせず、
「ええいっ!」
と真夜中の闇をつんざいてピカリと一閃、今度は佐平治めがけて刀が斬り下ろされてきました。
「ヒヤーッ!」となんとか身をかわしましたが、狂った将監はあぶなくて、とても近づけたものではありません。
まっくらな闇の中で刀の刃先ばかりがピカリピカリと光り、将監の顔まではもはや、手燭(てしょく)の明かりも行灯(あんどん)の光も届きません。
「旦那さま、どうぞお待ちくださいまし!
だ、旦那さまは、この手前のことまでもお斬りなされるのですか?」
それにもやはり言葉はなく、ただ刀をしっかりと構えたまま、ジリジリと左近将監の黒い影がせまってきます。
「おのれ、曲者め! この期に及んで、まだ逃げる気か?」
「え……な、なにが曲者だ!」
ハハァッ! これで佐平治にもようやく分かりました。権六や仲八が殺され、いままた自分にまでも刀を向けている、左近将監の頭の中がいったどうなってしまっているのかが。
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