そして将監が死んだなら、その息子の新之丞(しんのじょう)に、新之丞が死んだならその子に、その孫に……そして代々、将監に血のつながる者がいるかぎり、石藤家に恐ろしい祟りをしておくれ。
これが、この老いた母の一生最後のお願いです。
お前は賢い、本当によく分かっている猫だから、どうかお母さんの最後の頼みを聞き届けておくれ」
それが分かったのか分からなかったのか、玉はじっと頭をたれておばあちゃんの膝の上で、この恐ろしい呪いの言葉を聞いているようでした。
ただでさえ物寂しい竜胆寺家には、秋の夜がいよいよ音もなくふけわたり、屋敷のまわりの枯れすすきを揺らす風の音だけが、わびしい人間の世の悲しみを伝えていましたが、その翌日の朝――。
「ご隠居さま、お目覚めでいらっしゃいますか?」
戸や障子をあけ放とうとして、召使いの早月(さつき)が部屋に入っていったと思うと、その次の瞬間、座敷の中からけたたましい叫び声をあげてころげ出てきました。
「八郎太(はちろうた)さん、萩江(はぎえ)さん、初野(はつの)さん、早く来てください! ご隠居さまが大変です! ご隠居さまが……!」
その声に驚いてみんなが駆けつけてきたときには、昨夜のうちに、おばあちゃんは小金吾の後を追って旅立っていたとみえて、白装束に着替えた体は左の胸とのどを突き、みごとな自害を遂げていたのです。
ひっそりとしていた屋敷の中は、急にわきたつような大騒ぎになりましたが、この大混乱にとりまぎれて、そのときから猫の玉の姿が消えていたことに気づいた者は、だれひとりいませんでした。
桜の馬場
こうして老いた母は無念の自害を遂げてしまいましたが、ただでさえ跡取りの小金吾は行方知れずになり、残されたおばあちゃんまで自害してしまった今となっては、あとに家を継ぐ者はもう誰もいません。
ついにここに、名門として知られた竜胆寺家も、むなしく断絶してしまうのでした……。
召使いたちは泣く泣く主家に別れを告げて、ちりぢりばらばらに立ち去り、上久原(かみくばら)の屋敷は、今では住む人もなく、草木が生い茂るにまかせて、すっかり狐や狸の隠れ家へと変わり果て、見る影もない姿になってしまいました。
しかし、ちょうどこの頃から、家老である石藤左近将監の身に、さまざまな異変が起こり始めたのです。
ある日の夕暮れどき、将監が藩の御殿から帰ろうとしていたのは「六つ半(むつはん)」の頃――いまの午後六時ごろだったかもしれません。
お城から退出するには、城の大手門から両側に桜の並木がずらりと続く馬場を下ってこなければなりませんが、道の両側は広いお濠になっていて、そこには一面の蓮(はす)が生い茂り、昼間でもどこか不気味で寂しい場所でした。
ちょうどその並木の真ん中あたり――中でも特に枝葉が生い茂ってこんもりと薄暗くなっている桜の木の影を、いま、左近将監の乗った馬が通りかかったときのことでした。
高さが一丈(約3メートル)もある桜の枝から、黒装束を着た謎の曲者がひとりとびおりると同時に、いきなり抜き打ちに左近将監めがけて切りかかってきました。
「えぇい!」
と、鋭い気合とともに、将監がわずかに鞍(くら)の上で体をひねったため、刀の切先はそれて馬の鞍壺(くらつぼ)を切りつけました。しかし、さすがは間庭無念流(まにわむねんりゅう)の達人、左近将監はたちまち馬上で刀を抜き合わせました。
「曲者め! 名を名乗れ! ここは城代の石藤左近将監さまだぞ! 人違いをするな!」
刀をしっかりと構えて周囲を睨みつけ、大声を張り上げましたが、もう人間の顔も見分けられないたそがれの闇の中、黒装束の曲者はひとこともしゃべりません。
かと思うと、またサッと手元へ飛び込んできた刃先は恐ろしいほど鋭く、それを将監がパッと横へ払い、見事にいなしたかと思った瞬間、早くも曲者は木の上へととびあがり、枝の上で次の攻撃の機会をうかがっている様子でした。
その身のこなしの軽さは、目にも止まらぬ速さです。
「こ、卑怯者め! 名を名乗れ! 石藤左近将監であるぞ! 城代さまだぞ!」
その声が耳に入ったのか入らなかったのか、無言の曲者はビューッと風を切りながら、こんどは頭上からおがみ打ちにするように後ろから切り下ろしてきました。
やっとの思いで受け止めましたが、将監が心の底から舌を巻いたのは、どう表現していいか分からないほど、この曲者の身のこなしがあまりにも軽やかですさまじいことでした。いま後ろにいたかと思えば、たちまち右へまわり、右へまわったかと思えば、つぎの瞬間には高い木の上におどりあがり、木の上にいるかと思えば、前から切りおろす。ヒラリヒラリと足音ひとつたてず、しかもおどろいたことには、この闇の中でも曲者は目がよく見えるらしく、その狙いの正確さといったら、とんでもない強敵でした。
「よし……わしが石藤左近将監と知って斬りかかってくるからには、もう容赦はせんぞ! さあ来い、相手をしてやる!」
と、左近将監も覚悟を決めました。
「来い! かかってこい! いざきたれ!」
その声と同時に、桜の木の根元から飛びあがってきたとみえて、曲者は馬の上の将監めがけて、頭の上からまっこうから切りつけました。
チャリンと自分の刀で受け止めた瞬間、曲者は将監の頭上を飛び越えて、反対側へと降り立ったようです。
もはやそこからは、休むまもありません。
縦、横、十文字、前後左右、そして始終無言のままヒラリヒラリと切りかかってくる曲者を相手に、将監は汗だくになりながら馬を縦横無尽に走り回らせ、必死に刀を交えましたが、相手の電光石火のようなすばやさの前に、いくら気を張り詰めても、もはや馬から降りるひまさえありませんでした。
こうして無言の曲者を相手に、小半刻(約1時間)ほども戦っていたでしょうか?
お供の者が一大事をお城に知らせたのか、さきほど出てきた城の大手門のほうから、「ワッ、ワッ」という叫び声とともに、おびただしい数の提灯(ちょうちん)の火がちらちらと近づいてきて、先頭をゆく若侍たちが三、四人、すでにあわてて刀を抜いたまま、バラバラッと駆けつけてきました。
「ご家老さま! 梶平三郎、お手伝いに参上いたしました!」
「門馬光春、まいりました!」
「豪太夫、ご助力申しあげまする!」
つづいて、「ワッ、ワッ」と大勢の提灯の火が次々に寄ってまいります。
「もうこれまでだ」と曲者もあきらめたのでしょう。
ひどく怒った様子で、最後の強烈な切り込みと同時に、ドスンと馬に体当たりをひとつ食らわせると、そのまま闇にまぎれて、どこかへ姿を消してしまいました。
「ご城代さま、おけがはございませんか?」
「ご無事でございましたか?」
口々にそう言いながら、提灯の火を囲んだその時でした。
ドサッ! という重い音と同時に、「ヒヒィーン!」と悲しげな鳴き声をあげて、左近将監を乗せたまま、馬はその場に横倒しにバタリと倒れてしまいました。
あぶみを踏ん張って、なんとか落馬だけは免れた将監が、
「お前たち、あかりを照らせい!」
と命じ、差し出された提灯の光で照らしてみると、あまりの光景にみんなはびっくり仰天しました。
コメント