初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第25話

亡霊怪猫屋敷

やがてその場所には、日を置かずして、さらに恐ろしい第四の事件が持ち上がってきたのです。

ご隠居の変事

それは、左近将監の老いた母親が住む隠居所での、不思議な出来事でした。だが、それをくわしくお話しするためには、まず左近将監のお母さまがどこに住んでいらっしゃったかということからご説明しなければ、みなさんにはおわかりいただけないかと思います。
ずっとこの物語のはじめの方で――まだ了福寺の和尚さんのお話に入る前、お医者さまの飼い犬だった五郎丸(ごろうまる)が、何者かによって見るも無惨な最期をとげ、その死体が転がっていた場所についてお話ししたのを覚えているでしょうか?
それはこの山茶花(さざんか)屋敷の裏庭を横切り、昔の馬小屋のくずれた跡から、雑木林の陰を野草におおわれた小道を通って、うねうねと茶畑の中に下りていったあたりだったと記憶しておりますが、みなさんはおぼえていらっしゃるでしょうか?
この茶畑を越えますと、すぐそこが八重(やえ)の逃げていったお小姓街道(こしょうかいどう)になります。
このお小姓街道の向こう側は、また陽当たりがよくて一面に開けた、小高い丘になっているのです。
そして、左近将監(さこんしょうげん)のお母さまの隠居所というのは、そのころちょうどこの丘の真ん中あたりに建っていました。
そこにはこぢんまりとした茶室風の家があり、将監のお母さまが二人の女中にお世話をされながら、何不自由のないのんびりとした日々なごやかに暮らしていたのです。
かんしゃく持ちの左近将監でも、さすがに親のことですから、三日に一度、あるいは五日に一度は、
「お母さま、ご機嫌いかがでござるか? お変わりはございませぬかな?」
と、庭の木戸口(きどぐち)のところから声をかけていたのですが、前にもお話しした通り、殿さまは江戸におられ、お留守番を任されている城代家老(じょうだいかろう)の毎日はとても忙しく、ここ十日ほどというもの、つい顔を出すこともサボってしまっていました。そんな中で、この奇妙な事件がもちあがってきたのです。

というのは、つい二、三日前のこと。この隠居所で働いている「お里」というお母さま専属の老女中が、「どうしても内々で、お殿さまにお目通りして直接お話ししたいことがある」と言ってきているのですが――と、若党(わかとう)の佐平治(さへいじ)が、部屋の入り口の敷居際(しきいぎわ)にペタリとひれ伏して言いました。

「里が、わしに話だと?」
本を読んでいた左近将監は、ピクピクと毛虫のような眉を動かしました。
「母上の世話をするような者が、このわしに用事などあるわけがない。話があるなら、母上が直接の主人だ。母上に話せばよいではないか。そう言って追い返してしまえ!」
と、いつものように冷たく突っぱねた返事です。
「かしこまりました。では、本人にそう言い伝えておきます」
と、佐平治は一礼して下がっていきましたが、しばらくして、また困ったような顔で敷居際に頭をすりつけて戻ってきたのです。

「だんなさま、それが……やはりどうしても、内々でだんなさまのお耳に入れたいことがあると、本人はどうしてもお目通りをねがっておりますが……」
「めんどくさいやつだな……。左近将監をいったい何だと思っているんだ!」
と、将監は早くもかんしゃく眉をピクピクと怒らせました。
「わしは一藩の政治をつかさどる身だ。召使いごときと鼻をつきあわせているヒマはない! 佐平治、お前が話をきいて、うまく取り計らっておけ!」
将監はそれきり顔を書物の上にふせてしまい、佐平治にとっては取りつく島もありません。
「では……手前が話をききまして……なんとかうまく取り計らうことにいたします」
しかしその佐平治は、またもや三度、床に頭をすりつけて戻ってきたのです。

「やはりダメでございます。だんなさま! 本人はどうしても、だんなさま以外の人にはお話しできないことだと言っておりまして……もしだんなさまがお話を聞いてくださらないなら、何も言わずにこのまま暇をもらって国に帰る、などと申しております。手前などには、何ひとつ話してくれません。なんだかよほど、込み入った事情があるようでして……」
「たわけめが!」
と、いつもの左近将監の得意技がはじまりました。
「お前はうちにつかえて何年になるんだ! それくらいの管理もできずに、若党がつとまるか。バカ者め!」
と頭ごなしに怒鳴りつけましたが、そのかんしゃくの勢いのまま、
「呼べ! その出しゃばり女を呼べ! さっさと連れてこらんか!」
と、ついでにその女中もまとめて怒鳴りつけてやろうと思ったのでしょう。
かんしゃくの青筋が、もうこめかみあたりにミミズのようにふくれあがっていました。

「恐れいります。では、ただいまお連れいたします」
と、主人の激しいかんしゃくにはすっかり慣れっこになっている佐平治は、蚊に刺されたくらいにも感じません。
見た目はしおらしくおじぎをして下がっていきましたが、やがて、
「だんなさま、里を連れてまいりました」
と、そこへ佐平治とならんで手をついている、四十歳くらいの女中を見ると、将監はまた大声を張り上げました。
「召使いの身分でありながら、何度も押し返されてもなお食い下がるとは、うるさい女だ! 主人に対して何の密談があるというのだ。お前は相談したいことがあるかもしれないが、わしの方には、召使いごときと相談したいことなど何ひとつないわ!」
と、すでに頭ごなしのドスのきいた大声でした。「……申し上げようか、申しまいか……。お隠居さまのお身体にかかわることですので、いっそ何も言わずに、このままお暇(いとま)をいただこうかと、ずいぶん悩んだのでございますが……。ほかでもない、大恩を受けたご主人さまのご一族にかかわる一大事と思いまして……。だんなさまにお叱りを受けるのを覚悟の上で、何度も引き返してお目通りをお願いしたのです。どうかお許しくださいませ」
「前置きが長すぎる! さっさと用件を言ったらどうだ!」
と、将監は冷たく言い放ちました。
「だんなさま……じつは、お隠居さまのお身の上のことでございますが……」
いくら覚悟をしてきたとはいえ、主人の母親のことです。女中のお里も、さすがに言い淀むようにためらいの色を見せました。
「佐平治、何を間抜け面(ずら)をしてぼんやり突っ立っているんだ。
お前に用はない。
なぜさっさと下がらんか!」
「はっ!」と佐平治が退出したあと、お里はやっと決心がついたように、すっと膝を前に進めました。
「だんなさま……一大事でございます。
お隠居さまの最近のご様子が、どうしても私の目には腑に落ちないことばかりなのです。
私の目から見れば、ご主人さまの産みの親であられるとはいえ、最近のご様子は、もはや妖怪変化(ばけもの)か魔性のものが、お隠居さまのお姿を借りているとしか、どうしても思えないのでございます……!」
「な、な、なんと!」
思わず左近将監も、ぐっと膝を乗り出しました。

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