初級翻訳・人造人間事件 第5話

人造人間事件

それとも、まったく別の外部の人物なのでしょうか。
お留守番のばあやに話を聞いてみたところ、博士はいつも夜の七時から七時半までを夕食の時間にしていて、それが終わると睡眠薬を一口飲んで、今博士の死体が横たわっているベッドにもぐりこみ、九時半までのちょうど二時間しっかり熟睡して、そのあとの深夜の研究に備えるためのスタミナを蓄えるのが習慣だったそうです。
となると今夜も、博士が夕食後に眠っているすきを狙って、何者かがこの部屋に忍び込み、人造人間の前で死の呪文(命令)を唱えたに違いありません。
博士を殺害した手口も、ようやくぼんやりと見当がついてきました。
「さあ、いったい誰が命令の声を飛ばしたのだろう」
 警察の偉い人たちは、頭を突き合わせて話し合いました。
「こうなったら、関係者を全員つかまえて、それぞれのアリバイ(事件のときにどこにいたか)を徹底的に調べるよりほかありませんネ」
 と、大江山課長は言いました。
そのとき、帆村探偵は部屋の片隅にちょこんと腰を下ろし、例の暗号表を何度も何度も熱心に読み返していました。
5

 その翌日の午後、帆村探偵は雁金検事のところへ電話をかけました。
「いやあ、昨日はどうもお疲れ様です。いかがですか、博士殺しの犯人はもう決まりましたか?」
「うーん、決まったとまでは言えないんだがね、重大な容疑者を引っ張ってきて、今、大江山君がものすごい勢いで取り調べているところだよ」
「それは誰ですか?」
「ウララ夫人さ」
「えッ、ウララ夫人ですか! 夫人はついに捕まったのですか。いったいどこにいたんです?」
「なに、サンタマリア病院に入院していたのさ。たいした病気ってわけでもないんだがね」
「それじゃあ、あの怪しいジョン・マクレオは疑わしくないのですか?」
「マクレオは、午後二時から午後九時半までずっと病院にいたことがはっきり分かったんだ。あの外国人のアリバイは完璧だよ」
「そうですか……。じゃあ、馬詰丈太郎も完璧なんですね」
「そうだ。あいつはテレビ局(※当時はラジオ等の放送関連)にいたことがちゃんと証明された。
結局残るのは、ウララ夫人と、耳の聞こえないばあやの二人だけだ。
ばあやは、ウララ夫人がお出かけから帰ってきたあとで、お使いに山の手まで行かされたんだが、その足で警察に駆け込んできた。
ばあやは、博士が殺されたときにあの家にいたことは疑いようがない。
しかし、ばあやは言葉が話せない。
もし犯人が人造人間に声をかけて命令したのだとしたら、ばあやが犯人であるはずがないんだ」
「なるほど! それじゃあついにお待ちかねのウララ夫人の番というわけですかネ。
夫人が家に帰ってきたのと、博士が殺されたのとでは、どちらが早かったんですか?」
「うーん、それがはっきりしないんだ。
君も知っている通り、ご遺体を調べて死亡した時間を割り出すんだけど、二十分や三十分のズレはどうしてもはっきりしなくてねえ……。
とにかく大江山君も、ウララ夫人の頑固さにはすっかり参ったって頭を抱えているよ」
「どうも僕には、夫人が博士を殺したような気はしないんですよねえ。
夫人はあの外国人男性と秘密の恋に夢中になっていたでしょうけれど、今のところ博士は夫人の自由をまったく邪魔していなくて、妻が何をしていようと自分の研究に没頭できればそれで満足していたはずなんです。
そんな夫人が、急に博士を殺すなんて考えにくいですね」
「おや、君も反対意見を唱えるのかね」
「ほう、するとほかにも反対する人がいるんですか?」
「そうなんだよ。実は私もその仲間の一人なのさ。
私はむしろ、ジョンの行動に疑いを持っているんだ。
何かこう、近代科学をうまく利用して、サンタマリア病院にいながら、五、六町も離れたところに住んでいる竹田博士を遠隔で殺害する手口なんてないものかと思ってねえ。
私はこの点について、君の強力なサポートを心から望んでいるんだよ」
 帆村探偵は、雁金検事のぶっ飛んだ思いつきを聞いてドキッとしました。
さすがは歴代の検事の中で「化け物」という異名を奉られ、人間離れした頭脳を持つ人物として畏れられている人だけあって、そのものすごい目の付け所には驚くほかありません。
たとえそれが科学的に不可能なことだとしても、彼の鋭すぎる推理には、心臓を直接突き刺されるような衝撃がありました。
帆村探偵は、返す言葉も見つからず、そのまま電話を切りました。
よくよく考えてみると、本当に残念であり、かつ奇怪な事件です。
彼は腕時計を見ました。
ちょうど午後二時です。
彼は、昨夜の事件現場にもう一度行ってみることにしました。
川の岸辺にある博士の邸宅のまわりには、どこから集まってきたのか、野次馬たちが黒山の人だかりを作っていました。
その重なり合った人々の背中をかき分けて進むだけでも、ひと苦労しなければなりませんでした。
お屋敷の中の警戒は、昨夜よりもさらに厳重になっていました。
彼は顔見知りの警察官に挨拶をしながら、トントンと三階の広間へと上がっていきました。
「ほう、君はまだ非番にならないのかね?」
 帆村は、昨夜からずっと顔を見せている警察官に声をかけました。「だめなんですよ。
ぼくが一番最初にここにやってきたものですから、現場から離れちゃいけないことになっているんです。
もっとも、ときどき交代で、下へ行って少しは寝させてもらっていますけどね。
得意の推理で、早く犯人を突き止めてくださいよ、ねえ、帆村さん」
「うふふ、その得意の『お呪い(まじない)』をするために、こうしてやって来たわけさ。
だけど、やっぱり人が殺された部屋っていうのは、どうしてこう急に薄気味悪く見えるものかねぇ。
これはいったい……」
 そう言っているとき――まさにその時だった。
突然、大きな声が部屋中に鳴り響いた。
「ええ、後場(ごば)の市況でございます。
新鐘(しんかね)……」と、細かい株価の数字が高らかに読み上げられていった。
それはまぎれもなく、ラジオの経済ニュースだった。
「――おい君、ラジオの経済ニュースなんかで、この寂しさを紛らわせているのかい?」
 警官はムッとした顔つきで、こう言い返した。
「じょ、冗談じゃありませんよ、帆村さん。
経済ニュースで亡霊を追い払えるわけがないでしょう。
このラジオは勝手に鳴っているんです。
すごくうるさいから、ぼくなんか本当は止めたいくらいなんですが、大江山課長から『すべて現状をそのままにして、何にも触るな』って命令されているので、そのままにしてあるんですよ」
「えッ、現状維持だって――すると、ラジオは昨夜からずっとかけっぱなしになっていたのか?
でも変だなア、昨夜ここへ来たときは、ラジオは鳴っていなかったが……」
ユニット
「それはそうでしょうとも。
あなた方がお見えになったのは、もう夜の十時近くでしたからね。
『皆さま、ごきげんよう、おやすみなさいませ』の放送が終わったあとの時間でしたよ。
ぼくは今朝、眠い目をこすりながら午前六時のラジオ体操で起こされてからこっち、ずっとこのラジオの図太い声に悩まされているんです。

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