「はい、これ」
その棚板を左手でかかえ、右手で金槌を持ち、口に釘を三、四本くわえて、圓太郎は荒神様と鼠入らず(ねずみいらず)の間の板壁のところまで行くと、瞬く間に棚をひとつ吊り上げました。すっかりこしらえ終えると、二、三間離れて様子を見、また近づいてはあちこち眺めまわしたのちに、ウムウムとうなずいて、
「できましたよ、師匠。じゃあさっそく一斗桝のほうへとりかかります」
奥の間に声をかけて、そのまま帰っていきました。
「まあ、餅屋は餅屋ね。さすがにうまいものだわ」
初めて圓太郎から男一人前の仕事を見せてもらえたそのうれしさ。大きな擂鉢(すりばち)と、手垢がついたような丼を三つ四つ、急いで持って出てきた彼女は、次々に棚へ載せてみました。
と、その途端でした。ガクンとひとつねじが緩んだように棚が傾き、ガラガラガタンと落ちてしまいました。擂鉢以外の食器がみんな板の間でコナゴナに砕けて、あたり一面に散らばりました。
あらっ。
無惨な丼の破片や、だらしなく落っこちている棚板をあきれてじーっと見つめていたお八重は、やがてそっと呟きました。
「やっぱりあの人は、高座以外はなにをさせてもダメなんだわ。だから、ちゃんとしたしっかりした奥さんがついていてあげなきゃ、一生出世しないと思うわ」
そのしっかりした奥さんに私ならなってあげられるのに……と考えて、お八重は思わずドキンとしました。こんな自分の心の中を、もしや誰かに覗かれてはいないだろうか。そっとあたりを見回してみましたが、もちろん誰がいるわけもありませんでした。
急いで落ちている棚を取り上げました。それからお釜の蓋の上に置かれてあった金槌を手にしました。
トン。トン。トン。トン。
さっきの場所へ持ってゆき、両端へ釘を打ち込むと、難なく元通りに棚は吊られました。続いて擂鉢と別の丼を思い切って五つ六つ載せてみました。今度は棚が落ちようとせず、載せただけの食器がちゃんと収まっていました。
「ウフッ」
さすがにお八重はおかしくなりました。丼の破片を袂(たもと)を広げた上へ集めながら、クックッと彼女は笑い出しました。
一斗桝とは――
トントントントントントントントン、トン。
トントントントントントントントン、トン。
その頃、圓太郎は新福富町の四畳半ひと間しかない自分の部屋で、豆絞りの手拭いで鉢巻をし、片肌を脱いで金槌を振り回していました。一升桝が七十四個、行儀よく前へ並べられていました。
ひと口に七十四個といいますが、七十四個の一升桝はなかなかの壮観であり偉観でした。一斗桝というのは一升桝の十倍です。理屈ではそうと分かっていても、実地に並べてみないことには納得できません。そこで圓太郎は心安い荒物屋へ行って借賃を払い、これだけ借りてきたのでした。
借りてきた一升桝を十個ずつ、ズラリと彼は四方へ並べてみました。たちまち一升桝十個ずつで取り囲まれた万里の長城みたいな正四角形ができあがりました。続いて上へも崩れないように、一升桝を十個ずつ四隅へ積み上げました。見上げるような高さでした。
よしよし。これでいい。
ほくそ笑みつつ、彼は寸法を測りました。驚くなかれ。縦の高さが五尺、横の長さが一間という、とんでもなく巨大な見積もりができあがりました。
「よし、ひとつこの四角の中に入って仕事をするかな」
正四角形の真ん中にあたるところへ入り、大あぐらをかいて圓太郎は、せっかちに金槌の音をさせはじめました。後払いの約束で手金を打ってもらってきた部厚い板で、まず底にあたる部分をセッセとこしらえました。
まもなく、大きなチャブ台を二つ合わせたような底ができあがりました。すぐそれを敷いて、ドスンと彼はその上に座った。
しかしずいぶん材料にお金がかかるなあ。
こんなに高いものだとは思わなかったよ。
たちまちのうちに、今度は四隅の壁に取りかかった。
東側の板をひとつ削り上げると、手早く底へ打ちつけた。
北側もかかった。
これもできた。
また打ちつけた。
西側もでき、これで板囲いのような三方がどうやらできた。
さあ、もうひとつだ。
最後の勇気をふり絞って、ゴシゴシと南側の板を削り始めた。
削り終えると、すぐにトントントントンと打ちつけた。
四隅が塞がれたので、にわかに目の前が薄暗くなり、その暗い中で見上げると、早桶の倍もありそうな大きな桝の中に、小さく自分が座っていた。
できた、できた。
圓太郎はよろこんだ。
さあ、今のうちにひとっ風呂浴びて、汗を流してくるとしよう。
急いで立ち上がると、東側のふちに手をかけて出ようとしたが、高くてとても出られなかった。
いけねえ。
西側へ回ってみたが、同じことだった。
オヤオヤ。
北側も南側もダメだった。
どうしても出ることはできなかった。
いつまでやってみても同じことだった。
だんだん辺りが暮れかけてきた。
部屋の中が暗くなってきた。
いけねえ、いけねえ、こいつぁいけねえ。
圓太郎はジリジリしてきて――。
誰か、誰か来てくれ。
お隣のおばさん。
早く梯子を持ってきて――。
とうとうムキになって、彼は怒鳴りだした。
お手上げだ。
翌朝。
大八車で運ばれてきた、据え風呂桶の化け物みたいなこの一斗桝を見て、圓朝は肝をつぶした。
「な、なんだい、こりゃあお前」
「一斗桝ですよ」
圓太郎は得意そうだった。
「一斗桝? そんな馬鹿な。お前、こんなバカバカしい一斗桝がありますか」
「だって師匠、そう言ったでしょ、昨日。一斗桝というのは一升桝の十倍だって」
「ああ」
「だからあれから懇意なところで一升桝をたくさん借りてきて、十ずつ縦横四隅へ並べてみて、その寸法でこしらえたんですよ。だから間違いっこはありゃしません」
「あきれるねえ、お前にも」
圓朝は言った。
「違うんだよ。そりゃ一斗桝は一升桝の十倍に違いはないけれど、十倍というのは内側の正味のものを測るところの十倍だよ。それをお前は外側を十倍にしちまったから、こんな馬鹿馬鹿しいものができてしまったんだよ」
「あ、そうか。中身の十倍か。そうと知ったらこんなに板を買うんじゃなかった。じゃあ、まあ師匠、手金を二十銭置いちまったから、これだけお返し申しましょう」
圓太郎はがま口の中から昨日の二十銭銀貨を四枚取り出した。
「いいんだよ、いいんだよ」
あわてて圓朝は押し返した。
「なにもやったお金を返してくれと言っているんじゃないよ。取っておきなさい、取っておきなさい。それはお正月のお小遣いにあげたんだから」
「そうですか師匠、でもなんだか……」
「いいんだよ。しかし圓太郎、お前はよくよく大工は名人だねえ。昨日吊ってくれたあの棚ねえ、あれもすぐに落ちてしまったよ」
「あれ?」
圓太郎は丸い目をさらに丸くした。
「それもいいけど、お八重が直したらすぐ吊れて、今度は落ちもなんともしないよ」
情けねえことになったもんだ。じゃあ俺が吊った棚の後始末はお八重ちゃんがしたのかい。ああ、それであの子、俺に愛想をつかして、今朝は姿も見せないんだな。
「しかし師匠、あれが落ちるわけがねえんだがなあ」
未練らしく圓太郎は言った。
「だって、お前、落ちたものはしょうがない。
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