初級翻訳・卵塔場の天女 第2話

卵塔場の天女

戸籍には「音曲教師」と届け出ているので、その通りに書けばいいものを、ぶっきらぼうに「能職」とだけ。これに対して私も何か一工夫したいと思い、年の割に頭も禿げているし、目立つように――「学校教授、槙村」と名刺を差し出して済ませました。

霜月(十一月)、紅葉の良い季節に、年に一度の催しとして、この流派の第一人者である役者が本舞台へ乗り込んでくるのです。ここに少しは出迎えの様子や、対面した相手との挨拶などがあるべきところですが、実は書くべきほどのことは何もありません。――理由はさておき、私の連れである橘八郎という男は、能楽家だの音曲教師だの役者だのと言うよりも、実に「能職」という言葉がぴったりなのです。

紋付き羽織や袴といった儀式用の正装は旅籠のトランクにしまってあるのでしょうが、先生、今の姿は細い藍色の弁慶縞の着物に、紺色の無地博多帯を低く締め、まさか三尺帯ではないにしても、縞唐桟(とうざん)の羽織を着て、色の浅黒いすねを端折(はしょ)って――途中から雨に降られたので仕方がないのですが――好みではないけれど薩摩下駄をびしゃびしゃと引きずり、番傘の雫を剥き身屋の親父さんに落として謝っている姿は、まったく「家元」でも「師匠」でもなく、ただの「職人」そのものでした。

東京では奥さんと二人暮らしで――(私は謡や能の繋がりで彼を知っているわけではありません)――どうやら少人数の生活には困らない程度の蓄えはあるはずですから、旅行をするのに外套(オーバーコート)の一枚も持っていないはずはありません。あの、ぼんやりと霧雨に包まれた山を背にして、この辻へ入る時のことです。

「魚市場へ入るのに、外套を着てぞろぞろ歩くのは変だな」
と、往来でボタンを外すと――(さっき買い物を待つと言っていた)――この男の従姉妹だという、雪国の雪で育った、色が抜けるほど白く、すっきりとした世話女房、町で老舗の紅屋(べにや)の内儀……お悦という御新姐(ごしんね)さんが、
「どんどん降ってきているのに――勝手になさい」
と、留めるのかと思いきや、脱がせてさっと畳むと、彼女自身の黒地の縞お召の袖に引っ掛けて持ってしまいました。

「先生――」
ついでに言っておきますが、私が学校の教師だからと、彼は私を先生と呼び、私も時々彼を先生と呼びます。同じことですが……その紅屋のことを、八郎が「姉さん」と呼ぶと、彼女は「兄さん」と呼ぶ。「お悦さん」と呼ぶと「八さん」と呼ぶ。年は同じだと聞きました。

「先生は土地のお客さんです。着ていらっしゃい。同じように脱ぐなんて冗談です、いや、冗談じゃないわ」
どうも、剥き身屋の荷物をかばうと、その唐桟の袖が雨だれに濡れてしまいます。私は外套を羽織って中に入り、傘を閉じました。

二

その時、辻の向こうに、泥だらけの足とすね、雨の細流に杭が乱れているような中を、着物の裾をきれいに上げ、しっとりとした友禅染を、東京から下ってきた吾妻下駄の素足でさばいて歩く姿が見えました。人を避けるように傘を斜めにし、なで肩で、櫛巻(くしまき)の凛とした細い顔立ちが見えたのは、紅屋の内儀でした。

年は八郎と同じですが、五つか六つ若く見えます。女の一生には四、五度、美しく輝く盛りがあると言いますが、あの透き通るような顔の、左の眉から額にかけて、影のようにうっすらと傷跡が残っています。

私はこの婦人のことを、八さんに囁いてこっそり「三傘夫人」と名付けました。深い理由はありません。――今朝、旅籠で朝酒を銚子一本飲んで少し勢いづいたところで、内儀が早々に訪ねてきました。土地の立役者はいるものの、遠来の客をもてなそうと、そのお悦の案内で、町で最も高台だという公園へ、錦のような紅葉を観に出かけたのです。

北国の習わしでしょうか、大池の橋を渡って、真紅に染まった桜の葉の中に細い滝を見ながら通る頃から、ポツリポツリと雨が降り出しました。すぐに晴れるだろうとベンチに腰をかけましたが、その上に覆いかぶさる紅葉の大木の美しいこと。色は顔を染め、影が袖に透けて見えます……晴れるどころか、次第に冷たい雨脚となって三人を包み込み、雫さえ落とさなくなりました。

そこで、小学校の生徒たちが二列に並び、弁当箱を抱えながら坂を下って帰るのを見ましたが、今日は思いがけない雨だったようです。その他の遊びに来た人たちも、慌ただしくはないものの散り散りになって……「御休息所」と油障子に大きく書かれたものを背負い、緋色のメレンゲの裾除けで、島田髷の娘がすたすたと向こうの吹上げの池を回るのを、お悦が小走りに追いかけて、あずまや近くの茶屋の軒下に立つと、しばらくして蛇の目傘を一本手に入れました。

「もうけ損なって不機嫌だったので、少し手間取りました」
この外交家(お悦)の手腕ですから、二本目は、公園の坂の出口を越した町で、煙草を買うついでに借りてきたなど、ものの数でもありません。三本目となると、私たちを驚かせるほどでした。そこは十町ばかりも邸町を歩いて出た大川端の、寂しいしもた家でしたが、「私、私は、私は……町の、竹谷の姪の娘が嫁に来たうちの、縁者の甥にあたるものの母親です」と語る声が、戸外で待っている私たちにまで強く響いて、ひそかに冷や汗が出る思いでした。すると、「むふん」と笑いながらお悦さんが出てきて、油が乾いてパリパリになった蛇の目傘を広げました。

トンと傘のろくろを回して開くと、外套を二枚着込んで相合傘をしていた私と八さんにその傘を差し出し、「ちょっと骨が折れました。遠いところに引っかかっていて……耳が遠くて中風気味のお婆さんが一人で留守番をしていたものですから、驚きましたわ」と言います。
「驚いたな」と八さんが言うので、私も「驚きましたねえ」と相槌を打ちました。
「だってね、ようやく交渉がまとまったところで、お婆さんは腰が立たないでしょう。私が納屋へ入ってかき回して持ってきたんですのよ」
「たいしたもんだ、まるで昼間の泥棒だな」と八さんが言うと、彼女はつんと横を向きましたが、たちまち白い手で袖下をすくって、「ウシ、ウシ、ウシウシ」と、もののたとえにさえ言うような……枯れ柳の川端をのそのそと歩いてきた野良犬を、佐川田喜六の蛙以上に恐がる能楽師の三十九歳の男に向かって、「ウシ、ウシ」とけしかけました。
すると、「いけないよ姉さん」と八さんが言う下から、田舎の犬は正直で、ウウと吠えかかってきたので、八さんはワッと叫んで逃げ出しました。追っかけようとする野良犬を傘でばっさり留めて、橋のたもとの榎(えのき)にぶつかりそうになった八さんを見て、彼女は「馬鹿だわねえ……大きな態度をして……先生、おつきあい遊ばすのに、貴方、さぞお骨が折れましょう」と、その凛とした眉を雨に霞むように優しく緩めました。

いまその「三傘夫人」の姿が見えると、すぐ後ろに寄り添って、袂をすれすれに大鮒が一匹、背筋を翻して、腹にきらきらと黄金の波を打って泳ぐのが見えました。
見事な鮒です。ぴちぴちと躍って、宙に雨脚を跳ね上げるようです。それは腰蓑をつけて笠を被った、草鞋(わらじ)履きの大年増が、笊(ざる)に上げたのを提げて追っかけてきたものでした。

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