初級翻訳・古事記物語 第20話

古事記物語

命はそれから坂の頂上へ登り、そこから東の海を眺めて、あの哀れな橘媛のことをしみじみと思い出し、
「あずまはや(ああ、我が妻よ)」
と嘆かれました。
それ以来、そのあたりの国々を「東(あずま)」と呼ぶようになったのです。

四

命はそこから甲斐の国へ越えていきました。
そして酒折宮(さかおりのみや)という御殿にお泊まりになったとき、

「新治(にいばり)、筑波を過ぎて、いく夜か寝つる」

と歌われました。すると、明かりの焚き火のそばにいた一人の老人が、すぐにその歌の続きを詠みました。

「かかなべて、夜には九夜、日には十日を」

これは、「蝦夷(えみし)どもを平らげながら、常陸の新治や筑波を通り過ぎて、ここまで来るのにいくつの夜を過ごしたであろう」という問いに対して、
「数えてみますと、九夜を過ごし、十日目を迎えました」という意味でした。
命はその返歌を大層お褒めになり、その褒美として、老人を東国造という役職にお就けになりました。

それから信濃(しなの)の国へ入り、国境の地の神を打ち従えて、ひとまず元の尾張(おわり)までお帰りになりました。
命はお出かけの際にお約束した通り、美夜受媛(みやずひめ)の家にお泊まりになりました。
そして草薙の宝剣を媛に預けて、近江(おうみ)の伊吹山の神を征伐しにお出かけになりました。
命は、「この山の神くらいは、素手でも殺せる」とおっしゃって、どんどん山を登っていかれました。
すると途中で、牛ほどもあるような大きな白い猪が現れました。
命は言いました。
「この猪に化けて出てきたのは、まさか山の神ではあるまい。神の使いの者に違いない」「こんなやつは今殺さずとも、帰りに仕留めてやれば十分だ」と大いばりで、そのまま山を登っていかれました。
すると突然、大きな雹(ひょう)がドッと降り出しました。
命はその雹に襲われると同時に、ふらふらとめまいがして、まるでひどく酒に酔ったかのように、意識が遠のいていかれました。
それというのも、先ほどの白い猪は、山の神の使いなどではなく、山の神自身が化けて出たものだったのです。
それを命がひどく軽蔑して大きな口を叩かれたので、山の神は激しく怒り、たちまち毒気を含んだ雹を降らせて、命を苦しめたのでした。
命はほとんど途方に暮れてしまわれましたが、何とかようやくのことで山を下り、玉倉部(たまくらべ)という場所に湧き出る清水のそばで休息なさいました。
そして、そのとき初めて、いくらか気分が確かにおなりになりました。
しかし命は、とうとうその毒気のために、すっかりお体を壊してしまわれました。
やがてそこをお立ちになり、美濃(みの)の当芸野(たぎの)という野原までおいでになると、
「ああ、私はいつもなら空でも飛んで行けそうなほど元気だったのに、今はもう歩くこともできなくなってしまった。足はまるで船の舵のように曲がってしまった」とおっしゃって、お嘆きになりました。
そしてそのまままた少し歩かれましたが、まもなくひどく疲れ切ってしまわれたので、とうとう杖にすがって一歩一歩進まれました。
そうしてようやく、伊勢の尾津(おづ)の崎という海辺の、一本の松の木までお帰りになると、この前お行きがけのときに、その松の下でお食事を取られて、うっかり置き忘れていらした太刀が、そのままなくならずにちゃんと残っておりました。
命は、
「おお、一本松よ。よくわしのこの太刀の番をしていてくれた。おまえが人間であったなら、褒美に太刀を腰に差してやり、着物を着せてやるのだが」と、このような意味の歌を詠んでお喜びになりました。
それからなお歩き進まれて、ある村までたどり着きました。
命はそのとき、
「わしの足は、こんなに三重にも曲がってしまった。どうもひどく疲れて歩けない」とおっしゃいました。
しかしそれでも無理をして歩き続け、能褒野(のぼの)という野原へお着きになりました。
命は、その野の中でつくづくと故郷のことを思い出し、

「あの青山にとりかこまれた、美しい大和が恋しい。しかし、ああ私は、その恋しい土地へも帰りつくことはできない。命あるものは、これから凱旋して、あの平群(へぐり)の山の、くまがしの葉を髪に飾って祝い楽しめよ」

という意味の歌をお詠みになりました。

「はしけやし、わぎへの方よ、雲いたち来も」
(おお、なつかしいわが家のある、はるかな大和の方から、雲がわき出てくることよ)

と、お詠みになりました。
そして、それとともにご病勢もどっと悪化し、ご危篤になられました。
命はついに、

「おとめの、床のべに、わがおきし、剣の太刀。その太刀はや」

と、あの美夜受媛(みやずひめ)の家に置いてこられた宝剣を、もう二度と手に取ることもできないのか、とお詠みになり、その歌が終わるとともに、この世を去られました。
早馬の使いが、このことを天皇に申し上げるために駆けつけました。
大和からは、命のお妃やお子さまたちが、驚いて駆けつけてこられました。
そして、命のご陵(墓)をお作りになり、その周囲の田の中に伏しまろんで、「おんおん」と声を上げて泣き悲しまれました。
すると、お亡くなりになった命は、大きな白い鳥となってお墓の中から姿を現し、空へ高く駆け上って、浜辺の方へ向かって飛んで行かれました。
お妃やお子さまたちは、それをご覧になると、すぐに泣きながらそのあとを追いかけ、笹の切り株に足を切られて血だらけになっても、痛さを忘れて一生懸命に追いかけられました。
そしてしまいには、海の中にまで入って、ざぶざぶと追いかけていかれました。
白い鳥はその人々をあとに残し、海の中の磯から磯へと伝わって飛んで行きました。
お妃は潮の中を歩き悩みながら、声を上げて泣き続けました。
その鳥は、とうとう伊勢から河内の志紀(しき)というところへ来て止まりました。
それで、そこへお墓を作って、一度はその地にお鎮め申し上げましたが、しかし鳥はあとにまた飛び出して、どんどん空をかけて、どこへともなく逃げ去ってしまいました。

五

命には、お子さまが男の子ばかり六人おいでになりました。
その中の、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)とおっしゃる方は、後にお祖父上の天皇の次の成務天皇のあとをお継ぎになりました。すなわち、その方が仲哀天皇でいらっしゃいます。
命が各地を平定して回られる間は、七拳脛(ななつかはぎ)という者が、いつも料理番としてお供についておりました。
御父上の景行天皇は、百三十七歳でお亡くなりになりました。

朝鮮征伐

一

仲哀天皇は、ある年、ご自身で熊襲(くまそ)を討伐するために南下され、筑前の香椎(かしい)の宮という場所にお泊まりになっていました。
その夜、天皇は戦いの作戦について神さまのお告げをいただこうと考え、大臣の武内宿禰(たけうちのすくね)を神聖な祭場に座らせ、ご自身はお琴を弾きながら、二人で熱心にお祈りをなさいました。
すると、どこからか一人の神さまがやってきて、皇后の息長帯媛(おきながたらしひめ)のお体に乗り移られました。そして皇后のお口を借りて、こうおっしゃいました。
「西の方に一つの国がある。そこには金銀をはじめ、目がくらむほど美しい宝物がたくさん眠っている。

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