その頃は吹雪といえば汽車の不通もつきものでしたが、汽車がどうにか通じても、市内の交通機関がなくて駅まで行けないことが頻繁にありました。
何しろ駅に行くためには、七町半もある万代橋という厄介な難所を通らなければならないのです。
北風、海風、川風が思い切り腕を伸ばしてつかみかかってくるので、人間など玩具のようなものでした。
今は橋も立派な鉄橋になっています。
もはや冬もたけなわで、吹雪の日が続いていました。吹雪の夜とあって、さすがの他巳吉も出歩くのは控えようと思っていたようですが、その日は腹に溜まりすぎた鬱憤でもあったのか、大念寺の門前まで自動車を乗り付けると、そこからは「ふうふう」と息を切らしながら、何度も墓石に足を取られつつ、這うようにしてやってきました。
そして二人は、花札をめくりはじめていたのです。
そこへ、古川澄江が訪ねてきました。
新潟での生活にすっかり慣れてしまった今、卓一にとって古川澄江のことは、もう思い出さないで済むような気になっていました。
しかし、こまめに考えてみると、一日という長い時間の中にはいろいろなつまらないことを考える隙間があり、さまざまな物思いのどこかしらに、一日に一度くらいの割合で、やはり澄江のことを思い出してはいたようです。
そんな女が同じ土地にいるのだろうかと思い、遠い追憶を紐解くような物憂い心でふと思ったり、あるいは「俺はついに、本当にあの女を忘れてしまったらしいな。憎しみも未練も、ついに消え失せてしまったようだ」と考えてみたりするのでした。
あの女も、もうとっくに死んでしまったのだろうと、卓一は思っていたのです。
けれども、澄江と鉢合わせしそうな集会には、なるべく行かないようにしていました。
それも特に澄江を強く意識してのことではありません。
その心境はもっと平々凡々としたもので、見栄や張り合いも失われた日々の憂いと、カビにまみれた思いに過ぎなかったのです。
そして、澄江に会うことが、ただただ「うるさい」と感じられるだけのことなのです。
「卓一さん。あの女の人はどうしたね。ほら、弁護士のお嬢さんさ。蓋のついた四角い箱(ピアノ)を叩く娘さ。なんて言ったっけな。年寄りはなんでも忘れてしまうね」
と、他巳吉が時々そんなことを言います。
「見かけによらず腕がないね。なんとかなりそうなものじゃないかね。え、卓一さん」などと言ったりするのです。
卓一は苦笑いを浮かべるものの、心に何の痛みも覚えることはありませんでした。
すべては、もはや過ぎ去ったことなのです。
大念寺の離れは、六畳と八畳の二間でした。
戸口を開けて入ったところは八畳間で、ひどく寒々とした部屋です。
安物のテーブルと二つの椅子が置いてあるのが卓一の仕事部屋で、奥の部屋には万年床が敷いてあります。
火がなくとも、奥のほうがいくらか暖かさを感じます。
他巳吉と卓一は、万年床を隅の方へ追いやって、毛布に膝をくるみながら花札をめくることにしていました。
この部屋の主人は火をおこす手間さえ惜しむので、炬燵もありません。
「寒いわ。ひどい吹雪ね」
澄江はつぶやきました。
椅子にかけたものかどうかと部屋を見回したようですが、火鉢も座布団もないので、とにかく椅子に腰を下ろしたようです。しかし、これほど寒々としていては落ち着かないでしょうし、なるほど寒いに違いありません。
卓一はどうしていいか分かりませんでした。
炭なら、あるにはあるのです。
他巳吉のいる六畳へ火の入っていない火鉢を取りに行き、花合戦をしばらく待ってくれと言おうとすると、他巳吉は「え、ほら、あれはピアノ弾きの娘かね」と悦に入り、ニタニタと卓一の顔を覗き込んできましたが、卓一はまるで夢の中に置き去りにされたかのような訝しげな表情を、かすかに動かすことさえできない有様でした。
卓一はただ、不思議な思いでいっぱいでした。
別に感動というものもありません。
澄江を知り、そして恋心を知ってから、もう四年が過ぎています。
四年間。
その年月が流れるうちに、たった一人の澄江をめぐって、どれほど多くの物思いを重ねたことでしょうか。
澄江という一人の姿をめぐって、思いつく限りのことはすべて考え尽くしてきたのです。
そして、すでに結論すらも出ていたはずでした。
今さら新しく付け加えるべき何物も、あるとは思われません。
卓一は改めて澄江を見ました。
この女なのだ、と。
そして、確かに特別な感動を心に覚えたとも思えませんでしたが、ただただ甚だしい「訝しさ」だけが頭の入り口に舞い漂い、あらゆる思考がそれより奥へは入れないような感覚に陥りました。
四年間、澄江をめぐって思い悩んだあらゆる思念が、この瞬間に中断され、暗黒の幕の向こう側に遮られて、過去の考えの一切を振り返ることももはやできません。
あの明確に下したはずの結論すらも、もはや振り返る術がないのです。
そこにあるのは、この瞬間に始まった現実と、過去のあらゆる思念を暗黒の幕の向こうに見失い、この瞬間から誕生した、新しくも幼稚な心があるばかりです。
「この女なのだ……」と卓一は思いました。
この女。
なんということでしょう。
すべては実に、くだらない偶然の仕業ではないでしょうか。
もしもこの女に出会わなかったら……いや、出会っていてもいいのです。
しかし、澄江に出会う以前に女友達がいなかったわけではありません。
そして、澄江を一目見たときに心を惹かれたそれ以上に、彼女たちの誰かに心を惹かれた思い出もあります。
ただ、深入りをしなかっただけのことです。
そして、心が絡み合ってしまうほど踏み込む勇気と、その偶然がなかったというだけの話なのです。もし、あの女性たちのうちの誰か一人と深く付き合い、心と心を重ね合っていたら……間違いなく、その人が卓一の心の中で今、澄江が占めている場所に入り込んでいたことだろう。
その後に澄江と知り合ったとしても、澄江は今の卓一にとって、特別な存在にはなり得なかったはずだ。
由子と同じように、この世に何千万人といる美女のうちの一人にすぎなかっただろう。
すべては、ただの偶然の仕業なのだ。
この女でなければならなかった、という道理などない。
そう、この女でなければならない理由なんて、どこにもない。
けれども、ひとたび偶然が終わりを告げた今となっては、もはや澄江こそが唯一無二の女性でなければならないと、運命づけられてしまったのだろうか。
もう、心はそうした宿命を背負ってしまったのだろうか。
ひどく不思議な気持ちがする。
宿命などという言葉で、手軽に片付けてしまってはいけないような気がするのだ。
もっと深く突き詰めて、考えたことがあったはずなのだ。
四年間という月日が流れる間に、同じ問いを何度も心の中で取り上げて、緻密な計算式を立てて答えを出しておいたはずだ。
単に偶然だ、などという単純なものではなかったはずだ、と思わぬことはないのだ。
しかし、考えようとしても、結局は徒労に終わる。
頭の入り口を入ったところに、まるで漠然と雲が敷き詰められているような不思議な感覚が舞い狂い、頭の中に浮かび上がってくるあらゆる思考が、それ以上深く考えることを禁じられ、まとまることを拒まれているようだった。
初級翻訳・吹雪物語 第51話
吹雪物語
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