初級翻訳・吹雪物語 第48話

吹雪物語

自分の自殺に比べれば、結局サチ子の単純な自殺の方が、よっぽど実行力もあり、現実味もあふれているに決まっているのだ。
死をめぐる精神が深くて複雑なときは、死の国の現実性は豊かであっても、人の世の現実性は薄れてしまうものだ。
生きたいという力の欠如と同じように、実行力も欠けているに違いない。

この女と、一緒に死ぬことはできないのかもしれない。
しかし、この人を殺すことはできるのだ。
この人と「一緒に死のう」と言いさえすれば。
サチ子は頷くに違いない。そして引き金を引きさえすれば、それでいいのだ。
突き放されたサチ子と、突き放された自分。生きる恋はできないけれど、こうして「死ぬ恋」はできるだろう。
この暗さ、この落胆が生きるために必要であるならば、この落胆が尽きるところで、あの安らかさが欲しい。

この女を殺したとき、やはり赤い血がほとばしるだろう。
サチ子はいくらかもがくかもしれない。そして苦しみを表すかもしれない。
けれども、あの獣のような男の毒々しさに比べれば、もがく姿でさえ、いじらしく、美しいかもしれないのだ。
それに、彼女が自分を恨むはずはない。
むしろサチ子のもがきの中に現れるものは、愛情と、そして最後のすがりに違いないのだ。
その苦しみが激しければ、もう一発、サチ子の喉を狙わなければならないだろう。
サチ子はすでに血の海に倒れ、微動もしない屍体になるだろうが、その心は安らかであるはずだ。
彼もまた、その安らかな血の海を、いつまでも静かな心で見つめていることができるだろう。
一緒に死のうと言いさえすれば、それでいいのだ。
サチ子は、ただ頷くだけではないのかもしれない。いそいそと、異常なほどの興奮を隠しながらも、どこか静かな喜びを浮かべるかもしれない。
それもまた、一つの新鮮な体験だろう。
それから二人は旅に出る。
山の奥深く、スキーヤーさえも寄り付かないような温泉へ行くのだ。
二日、三日、四日。
おそらく平凡な遊びのような、興ざめする空しさもなく、喜びが最高潮に達する饗宴の夜があるはずだ。
もし、それさえも彼を退屈させないのなら、しばらくの間は新鮮な気持ちに酔いしれることができるだろう。
ある朝、あるいはある黄昏どき、二人は一つの山を越える。
そして、そのあたりに沼があるのなら、暗い沼のほとりへ出ることにしよう。
周囲の山々はすべて雪に覆われていた。
木々は枯れ果て、緑の森を見ることはできない。
太陽の光もなく、草原も存在しないだろう。
ただ白い雪の山々と、灰色の空があるだけだ。
けれども沼に張りつめた氷はなく、非常に暗く静かな水が小さく澱んでいるばかりである。
すべてが静まり返っているのだ。
「もう一度接吻して」とサチ子は言うだろうか。
その時の興奮を想像することは、難しい。
その姿には激しいものが宿っているだろうが、心は冷たく、静まり返っているのだろうか。
それもまた、一つの新鮮な体験だろう。
けれども、その追い詰められた姿の隙間から、強がりや恐怖がこぼれ落ちてはいないだろうか。
諦めの気持ちをあらわにしてはいないだろうか。
未練をのぞかせてはいないだろうか。
もしそうなら、殺すことをやめればいいだけのことだ。
再び山を越え、サチ子をいたわりながら、宿屋へ戻るだけのことである。
もし諦めも恐怖も見せず、冷たく静かな心が見えたなら、その時は引き金を引こう。
サチ子があおむけに倒れる姿が望ましかった。
もしうつぶせに倒れたら、抱き起こしてあおむけに直してやろう。
顔についた雪の屑をきれいに拭い落としてやるのだ。
そして、もしサチ子が死にきれずにもがいているのなら、もう一度喉を狙わなければなるまい。
おそらくそれが、サチ子に与えられる最大の愛情である「静かな心」をもって、再び引き金を引いてやるのだ。
サチ子はもう微動だにせず、安らかに横たわっているだろう。
胸と喉からあふれ出す血潮も、静かなはずだ。
サチ子のまわりの白い雪が、赤く染まっていくことだろう。
乱れた着物を直してやり、手や足についた雪の屑や、溶けた水の粒を拭いてやろう。
そして二、三メートル離れたところに腰を下ろして、サチ子の姿も、暗い沼も、山々も、灰色の空も、すべてを一目で見渡して、ただぼんやりと眺めてしまうことだろう。
静かだ。
……冷たくて、けれどすべてが、安らかなのだろう。
その時になって初めて、遥か遠くまで続くような、無限の思いに包まれるはずだ。
おそらく涙は出ないだろう。
野々宮はそう思った。
その時、もし心に何かが残っているとすれば、本当の愛というものが、きっとわかるはずだった。
その愛の安らかさこそが、切ないのだろう。
汽車でたった二時間の距離なのだ。
停車場までさえ行けば、それがすでに、すべてなのだ。
土蔵の中の数時間も、おそらく静かな時間になるだろう。
横に長い土蔵だった。
栗の木が、土蔵のまわりにあったはずだ。
野々宮があの家を訪れたのはちょうど栗の実る季節で、栗のイガを踏みしめながら土蔵へ通ったものだった。
嵐の多い季節でもあった。
土蔵の中で、嵐の音を聞いたのだ。
雪深い場所だから、今はもうあの高い屋根も、ほとんど雪の下だろう。
しかし、あの獣のような奴め。
野々宮はそれを思うと、たまらない気持ちになった。
奴は笑っているに違いない。
すでに卓一の哄笑(こうしょう)が、耳に響くようだった。
「サチ子を殺すだと! そんな横道にそれてまで殺意を満たさねばならないとは、なんと惨めなやつだ」と。
「憎しみの殺意を、愛の姿で果たすとは! その仕掛けの犠牲になった無知な女が哀れではないか」と。
サチ子を殺す。
そのこと自体が、すでに卓一の笑いものだったのだ。
野々宮は思わずにはいられなかった。
憎い相手を殺すことが、それほど難しいことなのだろうか。
難しいということ自体が、すでに憎むべき奴の企みのうちにあるような気さえした。
まるで、すべてを計算されているかのように。
野々宮は落胆せずにいられなかった。
自分の一生が、すべて手のひらの上で操られているのだ、と。
卓一を殺してやりたい。
けれども、殺すことはできないのだろう。
心はすでに諦めているに違いないのだ。
この憎しみの激しさでさえ、人を殺すことにはつながらないのか。
心は憎しみに狂っているというのに。
サチ子の追い詰められた姿の隙間に、強がりや諦めがのぞいていたら、殺すことはやめよう、というのであった。
静かな心がサチ子のすべてであったなら、その時は引き金を引こう。
サチ子はすでに血の海に倒れ、けれど心は安らかであったに違いない。
そしてまた、静けさこそが彼の心のすべてになる、というのであった。
殺すことのできない彼の心が、すべてそこに語られていた。
サチ子を殺す。
しかし、すでに殺したのではないだろうか。
殺人の恐怖から、巧妙に逃げているのだから。
本当に殺したいのは、卓一なのだ。けれども、罪を犯すことへの恐怖心なしには、卓一を殺すことはできないのだ。
しかしサチ子を殺すとき、そこにはただ静けさと安らかさだけがすべてとして存在する。
サチ子を殺すことによって、卓一を殺してやりたいという欲望を満たしているに違いない。

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