数日後、由子と野々宮は旅に出ました。
卓一は、由子までが旅行に出かけたことを知りませんでした。由子の訪れが途絶えたことで、彼は自分の中に焦るような気持ちが芽生えていることに気づきました。
電話のベルが鳴るたびに、由子ではないかと期待してしまうのです。
「どこへ行こうと、結局は同じことになるんだな」
卓一は苦笑しました。
「どうせ俺は、おもちゃが必要な人間なんだから」
胸がわくわくするようなこの思いにも、やはりどこか古臭い悪臭が漂っているような気がしました。
冷めない夢など、もうどこにもありません。
彼がまだ東京にいた頃のことです。ある酒場で、友達の若い哲学者と卓一が、同じ女に同時に軽い恋心を抱いたことがありました。
その女は、嘉村由子と同じ種類の人間でした。
神を裏切る意志を内に秘めた、尼僧のような雰囲気がありました。冷たくて、どこか犯罪の匂いがするような女でした。
「あの女も、いささか愚かだな」
哲学者は自分自身に飽き飽きしたような顔で、卓一に言いました。
「堕ちてしまっているから、つまらないんだ」
その女は売春婦ではありませんでしたが、その精神は娼婦のような、底の底まで行き着いてしまったような堅さがありました。
彼女には、抽象的な世界というものが存在しませんでした。もはや、そんな余地などないという感じでした。
あるとき、この哲学者が持ち前の論理を駆使して、世間で賞賛されているある美談を語ったことがありました。
しかし、それを聞いている女の頭の中にある論理は、地底を這い回るような、あまりにも浅いものだったのです。
「俗人の話など、聞くに堪えないという顔ですね」
哲学者は突然、皮肉っぽく女をからかいました。
「あなたが冷酷な真実だけを友達にしていることは、よく理解していますよ」
「それから、美しい男の方を友達にしていることもね。お忘れのないように」
女はものうげにそう呟いて、去っていきました。
卓一はその光景を思い出していました。
「あいつは『おふくろが死んだって泣かない』と言いたがっているような顔をしていたな」と哲学者は言ったものです。
死ぬのは仕方がないし、泣いたところでどうにもならないのは分かりきったことだ。あの女は心と身体のすべてを賭けて、冷然とそう言い切っているようでした。
それは偽物やメッキではありませんでした。むしろ、あまりに本物すぎるくらいでした。びくともせず、微動だにしない意志の固さがあったのです。
「だからやりきれないんだ」と哲学者は言いました。そこに至るまでの理屈や過程を想像する余地すら与えないからです。
「『堕ちてしまっている』というのは、つまりそのことだよ」
哲学者が卓一の問いに答えました。
「抽象的な過程や、心のゆらぎなしに『本物』になりすぎているということだ。あの女の心の言葉は、そのまま肉体の言葉になっているという堅牢さだね。娼婦の世界が概ねそうさ。単純で頑固すぎて、柔軟性がまったくない。ああいう『本物』の感じは、往来に落ちている馬糞が本物であるのと同じようなものさ。君は、道端の馬糞を額縁に入れて飾ろうなんて思うかね?」
「そうやって言えるのは、君が堕ちていないからだ」
卓一は答えました。
彼には、娼婦のようなその世界に、どこか安らぎを感じる部分があったのです。
「君は、外見上の貴族だね。……いわゆる『精神貴族』というやつがある」それは「堕ちた」場所から始まるべき種類のものだ。堕ちていない世界なんて、少年少女の遊び場じゃないか。
恥じらったり、顔を赤くしたりすることが純粋だなんていうのは、そういう種類の話だろう。そんな着物を着ているような純粋さは、客間の壁を飾るにはいいかもしれないが、俺は裸体画の方が好きなんだ。「堕ちた女は、とにかく空腹の足しにはなるね」「それから、自慰の足しにもなるさ」
「堕ちたところから精神貴族がはじまるという君の言葉には賛成するがね」哲学者は笑みを浮かべた。「精神貴族はたしかに堕ちたところから始まるだろうが、堕ちた奴が例外なしに精神貴族とは限らないさ。むしろ僕は確信しているね。元来、女という奴は、堕ちたところで精神貴族にはなれないものだと。所詮、女は造花のひとつさ。彼女たちのオリジナリティなんて、僕の知ったことじゃない。造花が造花であるという本分を失いさえしなければ、女は精神貴族ではないにしても、とにかく男の唯一の友だ。造花には、加工し、変え、弄ぶ余地がある。そういう女とチョコレートの話をする。薔薇の話をする。映画の話をする。高遠な思想の話をする。なんでもいいさ。やってみたまえ。斬新なものだよ。この種の慇懃(いんぎん)な精神を、幇間(ほうかん)のようなへつらいや、ただの女好きの精神だと解釈してはいけないんだね。要するに、騎士道精神もこれだけのものだし、エピクロスの哲学だってこれだけのものさ」
「それも退屈な話だね」
「いや。これだけが退屈でない!」と哲学者は叫んだ。「これだけが、おそらく地上で退屈しない唯一のものだ。唯一の!」
それもひとつの真実だろうと卓一は思った。
低俗な好色癖を、その日常性のゆえに貶(おとし)めてはならない。造花的な趣味がたいていは日々の心であり、折にふれて去来しやすく浅薄であろうとも、その根ざすところは虚無の深さと同じものになり得るだろう。不羈独立(ふきどくりつ)の魂が、週に一度の休養を必要とするとき、それは青鞜(せいとう)の女優や閨秀(けいしゅう)作家によって癒やされるものではない。ひとり売春婦によってのみこれを癒やしうると言った詩人の言葉があるが、この言葉の激しい真実は直ちに卓一のものであるにもかかわらず、日常的な低俗な好色癖は、然しこの真実の激しさをもってしても癒やしがたいものなのである。
そこには、それぞれの真実があるのだ。ひとつの真実のみに固執するとき、他の真実が刃物となって彼に向けられてしまうはずだ。
堕ちた女だ。由子もまた。
――卓一は時々そう思った。むしろ、堕ちきれない女なのだろうか。
卓一は、由子の身体に固執することがほとんどなかった。肉体がもつ感傷に飽きもしたし、恐れてもいたのである。人の心が肉体に寄せる多彩な期待に比べれば、肉体というものはあまりに秘密を持たないものだ。そして、退屈なものである。
卓一は、それでも女の肉体を愛した。食欲のように衒気(げんき)もなく、ただ色欲を満たすことをむしろ愛した。それらのものは、人々の生活にのっぴきならない意味を持っているのである。とかく人は、酒を飲み、踊り、女を漁ることが、あたかも生存の息抜きであるかのように思いがちだが、それは違う、と卓一は思わずにはいられなかった。
むしろ、あべこべのようである。酒を飲み、踊り、女を漁ることこそが生活なのだ。それらが持つ、のっぴきならない一面をどうすることもできないはずだ。そして時に、肉体的でないこと、精神的であることが、むしろ生存の抜き差しならない息抜きなのである。その息抜きが必要であるほど、肉体というものは退屈千万でもあるらしい。
また卓一は、肉体のつながりが持つ腐れ縁も恐れていた。その計算を忘れることもできなかった。
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