初級翻訳・土から手が 第4話

土から手が

サンフランシスコの遺体安置所では、毎日数百人もの人々――その大部分は女性だった――が、入口から出口へと、死人の顔を覗き込みながら、まるで調べ革のように列をなして流れていった。この面通しにもただ野次馬が押し寄せるばかりで、目的とする身元の手がかりは一向に得られそうになかったため、安置所での公開は打ち切ろうという話になっていた。

すると六日目の三月十四日、金曜日の朝のことである。サンフランシスコ中央警察署のクレアランス・ボウマス刑事が、友人のニコラス・オグリフを連れてその見物の列に加わっていた。彼らの番が来て、ガラス張りの棺に納められた女の遺体の前に立ったとき、オグリフは棺の上に身を乗り出すようにして、しばらく死人の顔を眺めていたが、やがてそっとボウマス刑事の袖を引くと、静かにこう言った。
「そうだ。これはあの女だ。あの女に違いない。だが、念のために女の弟を呼んできて確認しましょう」

3

小声だったため周囲の誰にも聞こえず、群衆は気づかなかったが、この時初めて、この有名な殺人事件の解決に向けた曙光(しょこう)が見えてきたのだった。

間もなくクレアランス・ボウマス刑事とニコラス・オグリフは、その女の弟だという人物を連れて遺体安置所へ戻ってきた。弟は一般公開の列に混じって遺体を確認したが、その場では人目を引くような大きな驚きは見せなかった。しかし、すぐに遺体管理官のジョン・ケネディ博士に面会を求め、こう告げた。
「これは確かに私の姉です。こうしてわいわいと見物人が詰めかけてさらしものにされているのは耐えられません。今すぐこの公示所を閉めてください。そして、遺体を私に引き渡してください。葬儀会社へ移して、早速葬儀の準備をしたいと思います」

午後二時、群衆は追い出されて公示所の扉が締められ、大きな掲示が張り出された。
――「立入禁止。身元判明済み」

額にある古く微かな傷は、幼い時にブランコから落ちた痕だという。首にも、少女の頃に患った腫物を切った跡が残っており、ニコラス・オグリフと弟の証言に疑いの余地はなかった。

女の身元は判明した。アイネ・エリザベス・リィド。赤十字の看護婦である。
時は平和が戻った直後だ。世界大戦の興奮は、まだ真っ赤な余燼(よじん)として燃え残っている。いや、燃え盛っている。街頭は、海の向こうから帰ってきた兵士たちでいっぱいだ。しかし、帰還兵たちを待っていたのは、空虚な名誉と、光栄ある失業だけだった。出征の時にウィルソン大統領が約束した保証は、こんなはずではなかった。「約束が違う! 言質はどこへ行った!」と、合衆国各地の主要都市では、フランスの戦線がそのまま持ち越されたかのような帰還兵の暴動が繰り返されている最中である。

この時、この美しい被害者が、大戦と生々しい関係のある政府病院で勤務中の赤十字看護婦だったという意外な事実は、公衆の関心を倍加させ、世間の興奮を煽るには十分だった。報道価値は百パーセントあり、新聞はますます騒ぎ立てる。雑談といえばこのアイネ・リィド殺しの話で持ち切りだ。あらゆる人が、素人考えや、叱咤激励、あるいは耳寄りな情報などを、「ご参考までに」と警察へ持ち込んでくる。

制度の上でも、一般の観念でも、そして良い意味でも悪い意味でも、民衆警察として徹底しているアメリカのことだ。日本とはだいぶ考え方が違っていて、警察は決して怖いところではない。都会の生活者たちが共同出資した「番犬」程度にしか思われていないから、皆が警察に対して激励や忠告をしたがるのだ。手紙、電話、電報、訪問。これが引きも切らない有様で、ホワイト部長とマテスン主任は、応対に追われてすっかり悩まされてしまうのであった。そうこうするうちに、アイネ・リィドに関するあらゆる情報が各方面から集まり、彼女の過去は捜査本部の知るところとなりました。その内容によれば――。

ミス・アイネ・リィド――二十八歳。
カリフォルニア州コントラ・コスタ郡アンティオックの生まれ。
姉と弟が一人ずついましたが、母親を早くに亡くし、父親は男の子を育てるだけで手一杯だったため、アイネはカリフォルニア州オークランドにある「フレッド・フィンチ孤児院」に預けられ、そこで育ちました。

十八歳のとき、オークランド市のメリット病院へ看護師見習いとして住み込みで働き始めました。静かで愛らしい性格で、服装もいつもセンスが良く、人を惹きつける茶褐色の大きな瞳をしていました。
誰からも可愛がられ、病院内の人気者でした。
試験にも合格して賞与まで受け取り、一人前の看護師としての資格を得たのです。

アメリカが第一次世界大戦に参加すると、従姉と一緒に志願して、一九一八年一月二十三日に赤十字へ編入されました。四月十日には、サンフランシスコの陸軍レタマン・ジェネラル病院への勤務を命じられました。同年秋、例の「スペイン風邪」がアメリカ中西部を襲った際、アイネは抜擢されてカンザス州フォート・ライリーの陸軍根拠地病院へ転勤することになりました。「フランスの戦線へ一歩でも近づける」と、彼女は勇んで十月十三日に任地へ到着しました。

それからずっと同病院で働いてきましたが、一九一九年二月十九日、「四、五日の休暇で近くのカンザスシティへ遊びに行く」と言って出かけたきり、それ以来行方不明になっていたのです。

そこで、フォート・ライリーの陸軍病院を出てからのアイネ・リィドの足取りを追ってみましょう。
オークランドには、看護師修業時代の友人でアグネス・ワットという女性がいました。アイネはそのアグネスに「遊びに行きたいからお金を送ってほしい」と連絡し、アグネスが病院の休暇前に送金すると、そのお金でアイネは二月二十二日、オークランドのアグネス・ワットの家へやって来ました。

つまり彼女は、郊外の病院から一度カンザスシティへ出たものの、そこにとどまっていたわけではなく、すぐさま西部へと旅立ったのです。
その後、オークランドからフォート・ライリーの病院へ電報を打ち、二週間の追加休暇を願い出て許可を得ていました。

オークランドでアイネは親類や友人を訪ねて休暇を過ごしていましたが、三月三日、「二、三日、サンマテオにいる知人を訪ねてくる」と言って出発しました。
その三月三日の夕方、サンマテオ行きの汽車に乗る少し前、アイネはサンフランシスコに出て、結婚している弟フランク・リィドの家で一緒に夕食をとっています。
その席でも、アイネはしきりに「これから半島へ下るの」と言っていましたが、この「半島へ下る」という言葉は、このあたりでは「サンマテオへ行く」ことを意味していました。

弟フランク・リィドの妻、エリザベス・リィドは、その時のことをダンカン・マテスン氏にこう語りました。
「義姉が最後に我が家を訪ねたのは、一週間前の月曜日、三月三日のことでした。
一緒に食事をいたしましたが、『今夜、半島の友達のところへ行くので、今週の終わりまでは会えないけれど、三月八日の土曜日には必ず帰ってくるから、もう一度一緒に食事をしましょう』と約束しました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました