三週間ほど前から休暇でオークランドに来ていて、このサンフランシスコにも頻繁に来ていましたが、何だか体の具合が良くないから、病院の方は無理をしてでも休めるだけ休むつもりだと言っておりました。
何か事情がありそうでしたが、義姉はいつも私に詳しいことは言いませんし、私も聞かないようにしていました。
夫も『姉さんの様子が変だ、何か心配事があるようで、いつものように元気がない』と言っていましたが、私たち夫婦はそれ以上気にかけませんでした。
本来なら、この月曜日にフォート・ライリーへ出発するはずだったのです。
休暇期間の最後の日が迫っていましたので、その日にオークランドを出れば、ちょうど間に合うという話でした。
ところが、食事の約束をした土曜日の夕暮れになっても顔を見せません。私は、これはきっと急に旅程を変えて、まっすぐフォート・ライリーへ帰ったのだろうと思いました。
サンマテオへの滞在が予定より長引いて、サンフランシスコに寄る暇がなかったに違いありません。
いずれそのうち、フォート・ライリーから手紙で何かしら連絡が来るだろうと、それきり自然と義姉アイネのことは頭から離れていました。
すると、アイネがフォート・ライリーへ帰るはずだったこの月曜日です。
新聞の『エグザミナー』紙を見ると、半月湾国道での恐ろしい事件の記事が載っていたのです」服装や人相がそっくりなので、気になって仕方がありませんでした。でも夫が「姉さんにそんな事件が起きるはずがないから、他人違いに決まっている」と言うので、そのまま気にしないようにしていたのです。それでも私の疑念は日増しに強くなり、金曜日には思い切って自分で遺体安置所へ行って確かめてこようと決心していました。
ところが金曜日の朝、その件について夫と相談していたところ、やはり新聞記事を見て気になっていたという、オークランドに住む知り合いのニコラス・オグリフさんが訪ねてきました。
そこでオグリフさんにお願いして、彼のお友達の刑事さんと一緒に先に下見に行ってもらったのです。
間違いなく姉だと分かって二人が迎えに戻ってきたので、夫とすぐに駆けつけたというわけです」
美しき手の持ち主、アイネ・エリザベス・リィドの身元は、こうして突き止められたのでした。
第一次世界大戦中、アメリカの警察には、おもに外国人の犯罪を扱い、さらに憲兵隊と連携して敵国のスパイに備えるための「特捜課」とでも呼ぶべき部門ができていました。
差し迫った仕事がなくても、まずは遊撃隊のような役割を担っていた彼らがこの事件に力を貸すことになり、さらに被害者が赤十字の看護師と分かったことで、憲兵隊も捜査に乗り出しました。
パーカー憲兵大佐が、オークランド市のレタマン陸軍病院時代のアイネ・リィドの行いや知人関係を詳しく調べ、ジョン・F・モリソン少将に報告することになりました。
少将は、サンフランシスコ、オークランド、サンマテオ周辺一帯を管轄する第九連隊の司令官でした。
捜査本部、特捜課、憲兵隊。この三つが秘密裏に協力し、カンザス州フォート・ライリーへも、アイネの普段の様子を調査する手が伸びました。
サンフランシスコ警察のホワイト部長がこの時、次のような声明を発表しました。
「必要とあらば、部員を総動員してこのリィド事件に投入することも辞さない覚悟だ。
非合法な手術を失敗させ、助けようと思えば助けられたはずなのに、何の応急処置もせず、苦しむまま放置して死なせた今回の事件は、人命の軽視という点でも、犯人が専門家であるという点でも、州の歴史に例を見ないほど非人道的で憎むべき犯罪だと言わねばならぬ。
私はあらゆる努力を尽くして、被害者の死の復讐を果たすことを誓う」
さて、捜査本部の意見は二つに分かれていました。
第一は「直接法」とでも呼ぶべきやり方です。アイネ・リィドに問題の非合法手術を施し、その結果苦しんで死ぬのを冷ややかに見守り、罪の証拠を隠すために遺体を茂みと岩の谷間に投げ捨てて逃げたのは誰か。どこの誰という医者か――と、直接犯人を突き止めようとする考え方です。
もう一つは、目的は同じですが「間接法」です。まず未婚の彼女を妊娠させた恋人を特定し、その男を通して手術をした医者を捜し出そうという方法です。
しかし、この調査が進むにつれて、アイネと関わりのあった病院の軍医たちや、入院していた士官たちが疑いの目を向けられ、とんでもない噂の的にされてしまい、中には思わぬ迷惑をこうむる者も出てきました。
レタマン病院とフォート・ライリーで十数人の若い軍医や将校がその私生活を洗い出されましたが、妙な事実が飛び出してきて苦笑するなど、みんな頭を抱えていたようです。
その一例が、フォート・ライリー勤務のスミス少佐です。
オークランドの親戚の家に残されていたアイネの持ち物を調べてみると、少佐の住所と氏名が書かれた紙切れが出てきました。そこでフォート・ライリーの少佐の所属部隊の司令官に連絡して少佐の素行調査を依頼する一方で、オークランドの郵便局に問い合わせ、休暇中のアイネと少佐の間で電報や書留などの重要なやり取りがなかったか記録を調べてみました。すると――スミス少佐がアイネに送ったこんな電報が出てきたのです。
「1919年3月2日、カンザス州キャンプ・ファンストンより。オークランドのアイネ・エリザベス・リィド嬢へ。
お金は今日正午、電報為替で送った。乗る汽車を知らせよ。スミス」
この事実は新聞が大きく取り上げ、すぐに世間の騒ぎとなりました。
妻子ある将校と赤十字看護師の恋。妊娠。堕胎。軍紀の乱れ――というわけで、スミス少佐はあやうくアイネの恋人として、さらには死の共犯者として扱われそうになったのです。
送金された額は75ドルで、その書類まで新聞記者が郵便局から探し出してきて大きな写真として掲載しました。しかし、これは給料の前借りだったとも、少佐が預かっていたアイネの貯金の一部だとも言われています。しかし、そんな説明を新聞社が納得するはずもありません。
新聞にとっては、少佐が犯人であるという筋書きの方が面白くて仕方がないのです。各紙が一斉に書き立てたものだから、たまらないのは少佐殿です。
「そんなことはしていない!」と顔を真っ赤にして弁解しても、世間の怒りの声にかき消されて、誰の耳にも届きません。
いや、必死になればなるほど怪しまれ、上官からは取り調べを受ける始末。
こうなると、どこも同じこと。奥さんは子供を連れて実家へ逃げ帰ってしまいました。
散々な目にあったものです。
4
「チャアリイ、私は昨夜遅くまで役所に残って、このリィド事件の核心をつかもうと努力してみたのだ――」
サンフランシスコの探偵局でのことです。
主任のダンカン・マテスン氏を中心に、捜査会議が開かれていました。
現在、サンフランシスコの交通部長として名高いチャールズ・ガフ警部も、当時はまだマテスン氏の部下である一刑事として、この席に座っていました。
マテスン氏は、このガフ刑事にこう言いました。
「あらゆる報告を突き合わせて、その中に事件を解決する一本の道を切り開こうと考えたのだ。
コメント