初級翻訳・夢鬼 第22話

夢鬼

 髪の毛のいい香りと、女の子らしい体温の混ざり合った、胸を突き刺すような不思議な香りが漂ってきました。「おじさんの趣味でね、こんな髪型に結っているのよ」
そう言って、少しうつむいた葉ちゃんのうなじは、ドキッとするほどきれいでした。
黒吉は、あまりの美しさにクラクラしてしまいました。
「葉ちゃん、葉ちゃん……ずっと会いたかったんだよ」
「今、会ってるじゃない」
「うん、会えた。本当によかった……」
黒吉は、長い間ずっと探し求めていた宝石に、やっと手が触れたときのように、興奮して感動していました。
でも、葉ちゃんの方は違いました。以前から見た目があまりよくなかった黒吉が、さらに片目が見えず足も不自由な、まるで怪物のような姿になっていたことに少し驚きはしましたが、再会したこと自体にはそれほど感動していなかったのです。
言ってみれば、黒吉だけが一人で舞い上がっていたのでした。
けれど、二人がこんな場所で再会したというのは、どう考えてもただの偶然でした。
それなのに黒吉は、葉ちゃんのたった一人のおじさんがここで居酒屋を開いていたのは、神様のお導きか、それともあの「未来を予言する夢」のせいだと思い込んでいました。
「葉ちゃん、僕はね、ここに来る前に葉ちゃんのことを見つけていたんだよ」
「あら、いつ?」
「さっきだよ。ほら、前にも話しただろ? 空を飛んでいるときに見る夢の話。今日、パラシュートで飛び降りたときに、ふっと葉ちゃんの顔が見えたんだ……」
「まあ、そうなの……」
葉ちゃんは、少し怖そうな顔をしました。
「なんだか気味が悪いわね……」
「気味悪くなんてないよ。僕は、僕はいつだって葉ちゃんのことばかり考えていたんだから……」
「まあ……。私、そんなこと言う人って嫌いよ。どうして男の人ってそうなのかな。義公さんもそんなことばかり言うから嫌になっちゃって、さよならしてきたんだし」
「義公が……」
(ちくしょう! 義公のやつ、葉ちゃんのことが好きだったのか……)
黒吉は思わず、松葉杖をギュッと握りしめました。
「どうしたの、黒ちゃん?」
「ううん、なんでもないよ」
「そう……」
「ねえ、葉ちゃん。僕のところに遊びに来ないかい?」
「そうね……」
「本当? ありがとう! 僕の家はね、研究所の正門前の通りをまっすぐ行った左側にある、『広田屋』っていう道具屋さんの二階だよ」
「一人で住んでるの?」
「そうさ、もちろん」
「あら、えらいわね。よく一人で暮らせるわ。そのうち行くわね」
「本当だね。絶対だよ、約束だよ……」

十ノ二

黒吉は、退院してから初めてというくらい明るい気分で、わけのわからない鼻歌を歌いながら、まるで大人のように酔っぱらって帰ってきました。
――すぐ後ろを、葉ちゃんが好奇心で目をキラキラさせながらついてきていることにも気づかずに――。
「まあ、今日はどうしたの……?」
やっとの思いで、はうようにして二階への階段を上りきろうとしたとき、いきなり頭の上から声をかけられて、黒吉はギクッとしました。
「なんだ、由公か……」
「あら、ずいぶん元気ね」
「そうさ」
黒吉は、動かない方の足を投げ出すと、言いました。
「由っちゃん、今日はね、葉ちゃんに会ったんだよ!」
「えっ、葉ちゃんに!」
「うん、葉ちゃんだよ。葉子だよ。僕の仲よしの……」
「へえ、そうなの。どこで……」
由っちゃんは、気のせいか、嫌そうな顔をしてうつむきました。
「あのね、裏門のところに『千鳥』っていう居酒屋があるだろ? あそこだよ」
「ああ、あそこなのね。やっぱり。お店に来るお客さんが言ってたわ。『最近あそこに、すごくきれいな子が来たんだぜ』って。おかげで、研究所の人たちはみんなあっちに行っちゃうのよ。きっと、みんな葉ちゃんを見に行ってるのね……」
「ふーん……」
今度は黒吉が、嫌そうな顔をして黙り込んでしまいました。
「ねえ、黒ちゃん。葉ちゃんと私、どっちが好きなの?」
「えっ……」
「ねえ、ねえ、どっちなの?」
「僕は、僕は……葉ちゃんも……」
「ふん、どうせそうでしょ。私なんて……」
「違うよ、由っちゃん。そういうわけじゃないんだ。ねえ……」
黒吉は、自分でもお酒くさい息に困りながらも、ふるえている由っちゃんの肩をしっかりと抱き寄せました。
「由っちゃん、変に思わないでよ。僕は、久しぶりに葉ちゃんに会えたって言っただけじゃないか。ね? ただそれだけなんだよ」
そのときです。みしみしと階段が鳴り、運の悪いことに、葉ちゃんがひょっこり上がってきました。
「あら……」
葉ちゃんは、上がり口の手すりをかかえたまま、狭い部屋の中の様子を一目で見抜くと、こう言いました。
「黒ちゃん、楽しそうね。……ほほほ! 一人で住んでるなんて、おかしくって……」「由っちゃん、お久しぶり。せいぜい、その体の不自由な化物をかわいがってあげてね。私もね、退屈だったから、ちょっとからかってやろうと思って来たんだけど、先約がいたんじゃねえ……。ごゆっくり。さよなら!」
「あ、葉ちゃん!」
パッと由っちゃんを離した黒吉は、「しまった!」と思いながら、必死になって言いました。
「葉ちゃん、葉ちゃん、誤解しないでよ! なんでもないんだ。ちょうど今、由っちゃんが遊びに来たところで、それで、葉ちゃんのところへ行ってみようかって話していたんだよ。それだけなんだよ……」
「もうたくさん! 来てくれなくて結構よ。わざわざ私を呼んでおいて、二人で仲のいいところを見せつけるなんて……。ふん、黒吉さんも相当なものなら、その女もそうね。黒ちゃん、あんたこそ誤解しないでちょうだい。私はあんたのことが、大嫌いなんだからね!」
「私のところに来る相談なら、まさか抱き合ってまで話すことでもないでしょうしね!」
少し顔が青白くなって、険しい表情をした葉ちゃんの顔は、ゾッとするほど美しく見えました。
子どもの頃からどこか妖しい魅力のあった葉ちゃんの、まるで姐御(あねご)のような激しい言葉は、火のように熱く、黒吉の胸を突き刺しました。
ましてや、心から全身全霊で恋い焦がれ、夢にまで見た葉ちゃんから、無情にも愛想を尽かされた激しい言葉を投げつけられたのです。それは毒の針のように、黒吉の頭のてっぺんから突き抜けました。
「葉ちゃん、そんな……」
追いかけるように見上げた黒吉の、大きく見開かれたたった一つの目は、あふれ出す涙に濡れていました。
「もういいの、聞きたくないわ!」
葉ちゃんは、走るように階段を下りていってしまいました。
「ま、待って……」
不自由な足で、飛び跳ねるように夢中で後を追った黒吉は、「あっ!」と思った瞬間、真っ逆さまに階段から転がり落ちてしまいました。
「うっ……」
と息が詰まり、一瞬、目の前が暗くなりました。そのぼやけた視界の中に、こちらを振り向きもしないで帰っていく葉ちゃんの、揺れ動く腰のあたりが映りました。
不思議なことに、それは服も何も着ていない、裸の、なまめかしい腰のように見えたのでした。

十ノ三

「黒ちゃん……」
やっとのことで由っちゃんの肩を借りて二階へ上がってくると、由っちゃんは、あきれ果てたという様子で言いました。
「黒ちゃん、なんてざまなの。

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