」
お母さんは克ちゃんの顔ばかりをじっと見つめています。
「克ちゃん、目々をあけてごらん。ねえ、お目々をあけて見せてちょうだい。」
健ちゃんはおそるおそる、そろりそろりとお母さんに近づいていきました。
お母さんの膝にそっと両手をふれて、その顔を見あげました。
いつものように甘えておっぱいをさすることはできません。
克子はお母さんの右腕にもたれかかるようにして、おっぱいを吸うたびに白いあごを小さく動かしています。
健ちゃんはごくりとつばを飲みこみました。
お母さんは相変わらず健ちゃんには見向きもしないで、じっと克ちゃんの顔ばかりを見つめています。
めじろが、チチッ、チチッと鳴きながら、まだ赤いつぼみをつたった杏の木の枝をピョンピョンと渡り歩いていました。
すると突然、お母さんは克子をおっぱいからぱっと離し、しっかりと抱きかかえて日向(ひなた)の方へその顔をむけました。
克子はびっくりして眉をギュッとしかめ、まぶしそうに頭をうなだれさせ、体をねじりながらお母さんの胸にぎゅっとしがみついていきました。
――この子はほんとうに光を感じ取っているんだなあ――
そう心の中でつぶやきながら、お母さんは克子の頭を胸から少し離すようにして、二、三歩歩きだしました。
そして庭の敷石の上に立ち、少しのかげもない午後のまぶしい太陽の光にむけて、もう一度克子の顔をさらしたのです。
克子は全身の力をふりしぼってお母さんにしがみつき、その胸の中へ顔をうずめるように押しつけていきました。
「おうよし、よし、わかるよ、わかるよ。かわいそうにねえ、がまんしてくれよ克ちゃん、今にきっと目が見えるようになるからねえ。」
縁側にもどると、やっと安心したのか、克子はしがみついていた手の力をゆるめ、少しだけお母さんの胸から顔を離しました。
目の病気のせいなのか、お肉がちょっとやせたようなまぶたをして、まるでお化粧のくまのように黒くて長いまつげをふっと伏せ、神経のすべてを小さなおでこに集めているかのように、しかめた眉のあいだにへこみをつくり、あごを胸につけたまま、じっとうなだれていました。
――なんだか目の見えない子特有の顔つきをしているなあ――
お母さんは大きいため息をついて、もう一度おっぱいをふくませてあげましたが、克子はすぐにぷっつりと飲むのをやめてしまいました。
うつむいたまま眉にシワをよせ、両手でおっぱいをそっと押さえました。
それは、克子がおっぱいに満足したときに見せる、お決まりのしぐさの一つでした。
お母さんは、はだけた胸をあわてて合わせると、あかちゃんを背負うはんてんに包んで縁側の片隅に寝かせました。
身動きひとつせず、寝かされるがままにゴロンと横になっている克子を、上から覆いかぶさるような姿勢で見つめていましたが、やがてゆっくりと腰をのばして、健ちゃんの方をむきました。
そして、さっきからいい子でじっと待っていた健ちゃんをうしろから抱きあげて自分の膝にのせながら、縁側に腰を下ろしました。
健ちゃんはほっと安心して、うしろにいるお母さんの顔をふり向こうとしましたが、お母さんの手は健ちゃんの頭をしっかりとおさえつけて、無理やり観音山のほうへむけたまま動かさないようにしました。
「健ちゃん、じっとしとるんだよ、ほら、見えるかい?」
「見えないよ。」
健ちゃんは、両方のまぶたをお母さんの手でおさえられていました。「健ちゃん、それ、キャラメルあげるからね、ほらここにあるよ。」
お母さんは、おめかしをするときのような優しい声を出しました。
健ちゃんは両手を前に出して、えへらえへらと笑いました。
「ほら、健ちゃん、キャラメルだよ。キャラメルはいらないの?」
「いる!――キャマレル、早うちょうだいよ!」
「さあ、キャラメル、早う自分で取ってごらん。」
健ちゃんはもどかしそうにして、お母さんの手をパッと払いのけました。
しかし、キャラメルはどこにも見えません。
お母さんの手にも、ふところにもありません。
健ちゃんはお母さんの袖の中に手を入れたり、後ろをのぞき込んだりしました。
どこにもありません。
「キャマレルは、キャマレルはないじゃないか!」
どこかに隠しているのか、それとも嘘をついているのかと確かめるように、目を大きく見開きました。
お母さんは笑いながら手提げ袋を引き寄せ、今度こそ本当にキャラメルを取り出して見せました。
「ほら、キャラメル、これ健ちゃんにあげるんだよ。これ健ちゃんのキャラメルね、ほら、ここに置くから健ちゃんひとりで取るんだよ。」
キャラメルは縁側の板の上にコトンと音を立てて置かれました。
健ちゃんがにこにこしながら手を伸ばそうとすると、お母さんはすばやくそれを手でさえぎり、また目隠しをしてしまいました。
今度は手のひらでしっかりと目を押さえました。
「さあ、健ちゃん、キャラメルを取って、ひとりで取ってごらん。ひとりで取ったら全部健ちゃんの物だからね。」
健ちゃんは、お母さんがいつになくふざけているのだと思って、きゃっきゃっと声を立てて笑いました。
膝ですべり降りるようにして前に進み、目を隠されたまま手探りで動くと、お母さんも腰をかがめてついて動きます。
まるで目隠し鬼のように右へ寄ったり左へ寄ったりしながら、健ちゃんは笑いながら手の届くかぎりあたりを探り回りましたが、左の方には克ちゃんの着物に手が触れるだけで、キャラメルがどこへ行ったのかどうしてもわかりません。
「手を離してよ、もう、お母さんの手を離してよ!」
お母さんの手はぴたりとくっついて、なかなか離れません。
健ちゃんは必死になって、それを引き剥がそうとしました。
歯を食いしばりながら、「うーん、うーん」とうなり声をあげて指を一本ずつ離させようと試みます。
一本離れると、また別の指がふたをするように覆いかぶさってきます。
健ちゃんは今にも泣き出しそうになりました。
もう少しで泣き声がもれそうになり、肩を大きく上下させて息をしました。
ふと、お母さんの指がだんだんとひろがってきました。
息をぐっと止めると、見える、見えるぞ、指と指のすき間からキャラメルが見えます。
縁側の真ん中に赤い箱がポツンと見えました。
あんなところにあるんだ!
急いで近づこうとすると、またお母さんは指を閉じ、前よりもかたく目をふさいでしまいました。
手のひらでこめかみをきつく押さえられて、なんだか痛いほどです。
今度は指もまったく離れません。
とうとう泣き声をあげて、やっとお母さんの手が離れました。
あまり強く押さえつけられていたので、健ちゃんはしばらくの間、何も見えませんでした。
目をパチパチさせたり、手でこすったりしていると、だんだん周りが見えてきました。
お母さんがのぞき込んでニコニコと笑っています。
お母さんはキャラメルを健ちゃんの手に握らせると、今度は反対向きにしてぎゅっと抱き上げました。
そして、じっと健ちゃんの目を見つめています。
健ちゃんも笑いながらお母さんの目を見上げました。
しばらく二人は顔を見合わせて笑っていました。
やがてお母さんは健ちゃんを強く抱きしめました。
「健ちゃん、いい子だからね、本当に健ちゃんはいい子だから、お母さんの言うことをよく聞くんだよ。
初級翻訳・大根の葉 第3話
壺井 栄
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