ただしかし、東京にいるお母さんに会えないまま死んでしまうことだけが、悲しくてしかたなかったけれど――。
落下傘
死の神様がささやきかける声が、丁坊の耳に聞こえてきた。
「いよいよ最期のときが来たんだよ。
――」
そう思った、まさにその瞬間のことだった。
彼の身体は、ふっと急に上へ引き上げられたような感じがした。
「おや、――?」
びっくりして、彼は空を見上げた。
空には、まっすぐにピンと伸びた綱のてっぺんに、まるで白い菊の花のような大きくて立派な傘が、美しくパーッと開いていたんだ。
丁坊はここでようやく、すべてのことがわかった。
「あれは落下傘だ!」
助かった、助かったぞ!
落下傘のおかげで、危ないところで命が助かったんだ。
綱の先には、ちゃんと落下傘がついていたんだね。
「あぁ、よかったあ!
僕は少しあわてんぼうだったな」
急に気持ちがしっかりしてきた。
空を見上げると、空魔艦はどこへ飛んでいったのか、あの大きな翼も見えないし、エンジンの音ももう聞こえない。
パッと下を見ると、うわあ、氷原がすぐ目の前まで迫っている!
難破船が、急にぐっと大きくなって目に飛び込んできた。
ここまで来ると、丁坊には機長「笑い熊」の考えていることがさっぱりわからなくなった。
今の今まで大悪人だと思っていたけれど、わざわざ落下傘をつけて外へ逃がしてくれるなんて、実はいい人なんじゃないか?
「いや、本当に善人だと言えるかどうか……。
だって、下が東京の銀座とか日比谷公園だったりするならともかく、ここは氷点下何十度もある誰もいない大自然の真ん中だぞ。
そんなところへ落下傘でぽんと落とすなんて、やっぱりひどい奴じゃないか!」
そう考えると、やっぱり「笑い熊」のことを恨んだままのほうが正しいのだろうか?
丁坊は、そのどっちなのかを一日も早く確かめたいと思った。
氷原は、ぐんぐん自分の足の下へと近づいてくる。
最初は小さなおもちゃの蒸気船くらいにしか見えなかった難破船が、だんだん本当の大きさをあらわし、今ではどうやら千五、六百トンもあるような立派で大きな船に見えてきた。
すると、今まで誰も見えなかったその船のうえに、五、六人の人の影が現れているのに気がついた。
「やったあ、人だ!
あの船に、人間がいるぞ!」
丁坊は最高に嬉しかった。
いい人だろうが悪い人だろうが、そんなことはもうどうだっていい。
とにかく生きた人間がさえいれば、それだけで十分なんだ。
もしこの広い氷原にたった一人も生きた人間がいなかったら、このまま落下傘で降りてみたところで、丁坊はたちまちお腹をすかせて倒れるか、それともこの辺りの名物である凶暴な白熊に頭からガブリと食べられて、あいつのお腹をふくらませるエサになるかのどっちかだからだ。
だけど、もう大丈夫だ。
生きた人間が見ていてくれる以上は、自分をきっと助けてくれるに違いない。
丁坊は、いつもの元気で明るい少年に、ようやくもどっていった。
果たして、丁坊の思った通り、彼の命はうまく助けてもらえるだろうか?
銃声
落下傘は風にのって、丁坊を氷原のうえへとふわりと投げ出した。
風が強いので、丁坊のまるまるとした身体は、氷の上をころころとゴム毬のように転がっていく。
早く誰か助けてくれないと、このままだと氷の山や何かに激突して大けがをしてしまうぞ。
早く止めてくれよ!
そう思っていると、後ろの方で思いがけなく、ドーン、ドンダダーンと大きな銃声が響いた。
「うわあ、僕を撃ったんだ!
やっぱりあいつらも大悪人じゃないか。
なんで罪もない僕なんかを撃つんだよ!」
丁坊は、またしてもものすごいガッカリ感と恐怖のどん底に突き落とされた。
だけど、それもほんの束の間、彼はそれが大きな勘違いだったことにすぐに気がついた。
なぜなら、自分の丸い身体が、急にドシンと柔らかくて白いものにぶつかったからだ。
それに、落下傘の綱がその白いものにうまく引っかかったおかげで、これ以上氷原の上を転がり続けなくてもよくなったんだ。
その、白くて柔らかいものをよーく見てみると……なんとそれは、一頭の大きな白熊だった!こわい!
いや、こわくはない。
その白熊は顔面をまっ赤に染めて、氷の上にバタリと倒れていたのだ。
血だ、血だ。
その赤い血は、傷口からあふれ出て氷の上にポタポタとしみ出していた。
「あぁ、あぶないところだった」
毛皮を頭からかぶった、先頭を走ってきた人間が、銃のストック(銃のしっぽの部分)で熊の大きなお尻をペシッとひっぱたいて、嬉しそうに大声を出した。
その声を聞いて、丁坊はものすごくびっくりした。
なぜって?
なぜなら、それはまちがいなく、とっても懐かしい日本語だったからだ!
パタパタと続いて走ってきた同じような服装の人たちも、みんな手に銃をしっかり握りしめている。
この人たちのおかげで、今まさに丁坊にかみつこうと氷の上で待ち構えていた白熊が、撃ち倒されたのだ。
ということは、この日本人たちは、結果的に丁坊の危ないところを助けてくれたことになる。
「おじさん、白熊を撃ってくれてありがとう!」
と丁坊が大声で叫ぶと、走ってきた人たちは振り返って、ぎょっとして目を丸くした。
「な、なんだって……? お前、日本語がわかるのか!?」
「わからないでどうするものか!
見よ東海の空あけて――僕、日本人だもん!」
落下傘についていた少年が、愛国行進曲を元気に歌って「僕は日本人だ!」と叫んだものだから、氷上の人たちはあまりの意外さに目をぱちくりさせるばかりだった。
「――ああ、たしかに日本人みたいだな。
いったいどうして、こんな北極に近いところへ君はやってきたんだい?」
と、最初に駆けつけた男が言って、丁坊に近づこうとした。すると、まわりの人たちが「まっこと危ない!」というような顔をして、その男の体をグイと引っ張って引き戻した。
「おい一木(いちき)!
はやまったことをしちゃいかんぞ。
近づいちゃいけないんだ!」
丁坊は、はっと息をのんだ。
「なんだよ二村(ふたむら)、いいじゃないか。
ここは日本の少年だぞ。
声をかけてやるのが当たり前だろうが」
「いや、ダメだ。
お前、この子どもがあの『空魔艦』の仲間だということを忘れているのか?
軽はずみなことをして、大月(おおつき)大佐に怒られたらどうするつもりだ!」
「そうだったな、二村」
と、『一木』と呼ばれた親切な男も、手を引っ込めそうになった。
丁坊は思わず、ハラハラと涙をこぼした。
せっかく日本人に出会えたというのに、自分が『空魔艦』から降りてきたというただそれだけの理由で、すごく嫌がられ、そして怖がられているのだ。
やっぱり、自分はひとりぼっちなのだろうか。
大月大佐
「おお、本船が信号を送っているぞ!」
一人が後ろを振り返って大声で叫んだ。
「どうしたんだ、わけを知らせろって、大月大佐からの催促だぞ!」
すると一木が、
「じゃあちょうどいいじゃないか。
わけを報告して、この日本人の少年をどうしたらいいか聞いてみようぜ」
「そうだな。
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