さあ、こちらへおいで。」
妖婆はショールの中から手を出して泰二君をまねきながら、ジリジリと近づいてきます。
右へ逃げれば右へ、左へ逃げれば左へ、おばあさんは泰二君の身をかわすほうへ、まるでひもで引かれているかのように、しつこくつきまとってくるのです。
どこにも逃げ道のない穴ぐらの中、いくら逃げまわってみても、いつかつかまるのは目に見えています。
泰二君はついに覚悟をきめました。
ほとんど死に物狂いの決心をして、まっ青な顔でそこに立ちどまると、おばあさんを待ちかまえて恐ろしい目でにらみつけました。
「おお、いい子だ。
いい子だ。
おまえは男らしい子だねえ。
勇気がおありだねえ。
さあ、おばあさんとにらめっこをしましょう。
先に笑ったほうが負けだよ。
いいかい。」
おばあさんは冗談とも本気ともつかない妙なことを言って泰二君の前に立ち、白髪のまゆ毛の下でギロギロと光っている恐ろしい目で、まばたきもせずに泰二君の目を見つめました。
しばらくの間、なんとも表現しようのない不思議でにらみあいがつづきました。
泰二君は、今にも気を失いそうになるのをやっと我慢して、歯をくいしばり、一生懸命におばあさんをにらみかえしていましたが、おばあさんの目はだんだん大きく見ひらかれていって、何かしら動物のような青い光を放ちはじめました。
なんだかそこから、目に見えない電気のようなものが泰二君のほうへとんでくるような感じです。
やがて、目だけはするどく見ひらいたまま、おばあさんのしわくちゃの顔に気味の悪い微笑みがうかんできました。
そしておばあさんは両手を宙にあげて、泰二君の頭の上で何か拍子でもとるように、ゆっくりゆっくり左右に動かしはじめました。
すると、それが合図でもあったかのように、泰二君は目の前がボーっと白くなって、おばあさんの顔が見えなくなってきました。
おばあさんの顔ばかりではありません。
穴ぐらのなか全体が、濃いもやにでも包まれたように一面にうす白くなって、頭がぼんやりしてきました。
「アッ、いけない。
ぼくはいま、おばあさんの魔法にかかっているんだ。
しっかりしなきゃいけない。」
そう思って何度も気をとりなおすのですが、やっぱりおばあさんの目から出る電気のようなものに負けて、ウトウトと夢心地になってしまうのです。
「ぼくは、ぼくは、帰るんだ。
おかあさん、助けてください。」」そんなわけのわからない、寝言のようなことを二言三言つぶやいたかと思うと、かわいそうに、泰二君はとうとう気力がつきて、クナクナと、その場にたおれてしまいました。
たおれてからも、むちゅうで起きあがろうとして、しばらくはもがいていましたが、その力もだんだんおとろえ、しまいには、グッタリとなって、死人のように、前後も知らずねむりこんでしまいました。
「オホホホ……、とうとうおねむりだね。
催眠術の力はおそろしいねえ。
さあ、いい子だから、そうしてねむりながら、わたしのいうことを、よく聞いておぼえておくのだよ。
いいかい。
」おばあさんは、たおれた泰二君の上に、身をかがめて、やっぱり両手は宙にうかし、ゆっくりと左右に動かしながら、何か呪文でもとなえるように、クドクドとしゃべりはじめるのでした。
泰二君は妖婆の魔法にかかったのでしょうか。
いやいや、今の世に魔法なんてあるはずがありません。
おばあさんがひとりごとをしたように、それは、催眠術というものの力だったのです。
人を自由にねむらせ、ねむっているあいだに、いろいろなことを命令して、目をさましてから、それを実行させることができるという、あのおそろしい催眠術の力だったのです。
不思議な盗賊
その晩七時ごろ、泰二少年は、なにごともなかったように、おうちに帰ってきました。
おかあさまが、「泰ちゃん、どうしてこんなにおそくなったの。
」と、おたずねになっても、ただ「友だちと勉強していたんです。
」と答えるばかりで、なぜか、ほんとうのことを言おうとしないのでした。
おかあさまが、「泰ちゃん、ごはんまだなのでしょう。
ちゃんと用意してありますから、早くおあがりなさい。
」とおっしゃっても、泰二君はまるで、おかあさまや女中たちの顔を見るのがこわいとでもいうふうに、だまって勉強部屋へはいったまま、何をしているのか、コトリとも物音をたてませんでした。
いつもならば、八時ごろになりますと、おかあさまのお部屋へ来て「何かお菓子。
」と、おねだりするのがくせのようになっているのですが、今夜はどうしたのか、いっこうに部屋を出てくるようすもありません。
おかあさまは、もう心配でたまらなくなったものですから、お菓子とお茶を持って、わざわざ泰二君の部屋へ、ようすを見にいかれました。
すると、どうでしょう。
いつもは十時ごろまでも起きている泰二君が、いつのまにかひとりでふとんをしいて、寝ているではありませんか。
「あら、もうおやすみなの? へんですわねえ、気分でも悪いんじゃない?」おかあさまが声をかけられても、泰二君は、だまりこんでいて返事もしません。
そうかといって、ねむっているのではないのです。
青い顔をして、マジマジと目をひらいて、何かしきりと考えごとをしているようすです。
「まあ、なぜ返事をしませんの? 何を考えこんでいるんです。
何か心配なことでもあるの? それともおなかでもいたむの?」くりかえしたずねても、泰二君はだまっています。
そして、じっと天井を見つめた両眼が、涙ぐんでいるように、ギラギラ光っているのです。
「泰ちゃん、ほんとうにどうしたんですの? おかあさん、心配するじゃありませんか。
ね、なんとかおっしゃい。
」おかあさまは、まくらもとにすわって、やさしく泰二君の肩をゆり動かしながら、真剣にたずねられます。
すると泰二君も、もうがまんができなくなったのか、涙をいっぱいためた目を、おかあさまのほうに向けて、やっと口をききました。
「おかあさん、ぼく、苦しいんです。
」
「エッ、苦しいって、どこが? どこがいたむの?」おかあさまは、やさしい顔を少し左のほうにかしげて、さも心配らしく、泰二君の顔をのぞきこむようにされました。
「いいえ、痛むんじゃありません。
ぼく、心配でたまらないのです。
」
「ですからさ、いったい何がそんなに心配なの?」
「それが口ではいえないのです。
はっきりわからないのです。
でも、ぼく、今になんだかおそろしいことをしそうでしかたがないのです。
ぼくの心の中へ別の人の心がはいってきて、おそろしいことを命令しているような気がしてしかたがないのです。
」
それを聞いて、おかあさまはギョッとしたように、顔色を青くされました。
泰二君が何をいっているのか少しもわからなかったからです。
もしや頭がどうかしたのではないかと、びっくりされたのです。
「ねえ、おかあさん、ぼく、お願いがあるんだけれど……。
」泰二君は、熱にうかされているような目で、さもせつなそうに言いました。
「まあ、おかしいことをいうのね。
お願いだなんて。
どんなこと? 早くいってごらんなさいな。
おかあさん、泰ちゃんのことなら、なんでも聞いてあげてよ。」
「変なことだけど、お母さん、びっくりしちゃいけないよ。
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