初級翻訳・一寸法師 第31話

一寸法師

「僕は命なんかちっとも惜しくありません。あなたと一緒に死ぬのだったら、命なんかちっとも惜しくありません。僕を一緒に死なせてくださいますか」
「まあ、あなたは……どうして死ぬことなんかおっしゃるのです」
「だって、あなたは絞首台が怖くないのですか。もちろん僕だって逃げられるだけは逃げた方がいいと思うけれど、でもいよいよ逃げられなくなった時は、死ぬしかないじゃありませんか」
「それはそうですけど……」
百合枝はそう言ったまま、暗闇の中に座って、長い間黙っていました。
紋三も彼女の一方の手を握りしめて、何も言いませんでした。
「あなた、どこまでも私の味方でいてくださるのね」
「どうしてそんなこと聞くのです。分からないのですか」
「分かっていますわ。」「でも、私がこのまま山野家の貞淑な妻であり続けたとしてもです」
「ええ」
「どんなことがあっても、私を信じてくれますか?」
「誓います」
「それではお話しします。三千子を殺したのは、私ではありません。他に真犯人がいるのです」
「えっ、それは一体誰なのですか?」
紋三は驚いて問い返しました。
「山野です。私の夫である山野なのです。だからこそ、私は一刻も早く家に帰って、あの人を逃がしてあげなければならないのです」
「だって、山野さんは三千子さんの実の親じゃありませんか。そんな馬鹿なことがあるはずがありません。よしんばそうだとしても、逃がすなんて、あの大病人をどうやって連れ出すのです。それに、お屋敷には今頃もう警察の手が回っているに違いありませんよ」
「ああ、やっぱり駄目なのですね。でも、ひょっとしてあの不具者がうまく逃げてくれたら、そうすれば秘密がバレずに済むかもしれないと思ったのです」
「あいつですか。あいつが秘密の鍵を握っていたのですね。それで、あなたはあんな奴の命令に従っていたのですね。ご主人の罪を隠したい一心で」
「それ以外に、私にできることはなかったのです」百合枝は涙声で言いました。
「そのことが分かった時から、私は山野の家名と主人の安全のために、命を捨ててでも尽くさなければならないと決心したのです。それが、亡くなったお母様の教えなのです」
「…………」紋三はぼんやりと、百合枝の燃えるような思いを見つめていました。
「あなたは主人と私との関係をよくご存じないでしょうが、私の家にとっては山野家は大切な恩人なのです。私がひどく年の離れた主人に嫁いだのも、主人のために犠牲になる覚悟を決めたのも、皆、亡くなった両親の志を継いだからです。私の性格上、そうせずにはいられなかったのです」
「ですが、それにしても僕には分からないことがあります」紋三は、ようやく冷静さを取り戻して言いました。
「あなたは焼き捨てたと思っているでしょうが、あなたが受け取った例の奇妙な手紙が、明智さんの手に入っているのです。あの不具者があなたをO町の家へ呼び出すために書いた手紙です。そこには確かに、『ご依頼の三千子さんの死体を埋めた。このことは、誰それと私と蕗屋の三人しか知らない』という意味が書かれていました。一人の名前だけ焼けていて読み取れませんでしたが、それが手紙の受け取り人であるあなたでなくて、一体誰だというのです。そのほかにも色々な証拠があるのです。例えば、あの日に三千子さんが持って出たというショールや手提げが、あなたの部屋の押し入れに隠してあったじゃありませんか。それだけではありません。三千子さんの頭を割ったと推測される石膏像まで、あなたの部屋にあったのです。僕があなたを疑ったのは、無理もないことでしょう」
紋三は照れ隠しに、様々な証拠を並べ立てました。
「まあ、そんなものが私の部屋にあったなんて、ちっとも知りませんでした。明智さんが見つけなさったのですか?」
「いいえ、小間使いのお雪です。あの子が明智さんに買収されていたのですよ」
美しい夢を台無しにされた紋三は、自暴自棄な気分になっていました。
「まあ、そうですの。でも、それは全く知りませんでしたわ。さっきおっしゃった手紙なら覚えがありますけれど、あれまで明智さんの手に渡っているのですか……。あの手紙なんです、私が初めて本当の犯人を知ったのは。不具者が山野の頼みで死体の始末をしたことを打ち明けて、私を脅迫してきたのです。私と主人の関係や、私の性格をよく知っているものですから、その弱みにつけ込んで、私を思うがままにしようと企んだのです。あの手紙は、一番最初に明智さんがいらしたあの後のことで受け取ったのですよ。あの時まで、三千子が死んだことさえ半信半疑でした。でなければ、私が三千子をどうにかしたのだったら、どうして明智さんになんか調査をお願いするものでしょうか」
紋三は、あまりの意外な事実に、とんだ思い違いをしていたこと、そして夫人と一緒に死ぬとまで言い出した恥ずかしさに、この気まずさをどう収めていいのか見当もつかなくなってしまいました。
すっかり秘密を打ち明けてしまった百合枝は、もう何もかもおしまいだという様子で、がっくりとうなだれていました。美しい夢の国から現実世界へと突き落とされた紋三は、自分の馬鹿馬鹿しさと恥ずかしさで、咄嗟に言葉も出ず、ただぼんやりとそこに座り込んでいました。
長い間、気まずい沈黙が続きました。
「では、あの手紙に書いてあった三人のうちの不明な一人は」ようやく落ち着きを取り戻して、紋三はいやに事務的な調子で尋ねました。「山野さんだったのですね。つまり、あの不具者が山野さんの頼みを引き受けて、死体を埋めたというわけですね」
「そうですの」夫人は答えはしましたが、もうどうでもいいというような、投げやりな口調でした。
「それが嘘でないことは、丁度三千子がいなくなってから、主人は店のお金を随分と持ち出しているのです。支配人が心配して私に話してくれたのですが、主人にそんな大金が必要な理由があったとは思えないのです」「私はあの手紙を見たとき、すぐにピンときましたの。そして、あのお金はおそらく半分くらい、運転手の男に渡したのではないかしら。主人がわざわざ大阪まであの男を追いかけていったのは、三千子を誘拐したのを連れ戻すためだと言っていましたが、あとから考えると、秘密を口外させないために、口止め料を渡しに行ったのだと分かったのです。でも私は、主人を疑っているようなそぶりは、これっぽっちも見せませんでした。ああして病気で苦しんでいる姿を見ると、気の毒で仕方がなかったのですから」

「蕗屋がなにかの拍子に、その秘密を知ってしまったのですね」

「ええ。はっきりしたことは言えませんが、あのゴミ収集車を引いていたのは蕗屋だったのではないかと思うのです。だって、まさか山野自身がそんな真似はしないでしょうし、養源寺さんは、あの不具者でしょう。ほかに三千子の遺体を運ぶような人物はいませんもの。ですが、そんなことを今さら詮索してみたって始まりませんわ。小林さん、私、どうすればいいんでしょうね」

「とにかく、お屋敷へ帰ってみようじゃありませんか。まさかさっきみたいに、僕と駆け落ちしてくださいとは言えませんからね」紋三は顔を赤くして、ぎこちなく冗談のようなことを言いました。

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