初級翻訳・魔法博士 第8話

江戸川 乱歩

みんながどうしようかとためらっているあいだに、まただれかがスイッチを押したのか、「カチッ」と乾いた音がして、ふたたび明るい電灯がつきました。
パッと見ると、金庫の向こう側に、あの金色の恐ろしいやつが、ヌーッと立ちはだかっているではありませんか!
怪人はそこに仁王立ちしたまま、恐ろしい顔で、黙ってこちらをじっとにらみつけています。
そして、山下さんや少年たちと、怪人とのあいだで、息が詰まるようなにらみ合いが、まるでお腹の底まで凍りつくように、一分ほども続きました。
そのあいだ、みんな怖さのあまり、だれ一人として身動きさえできませんでした。
「ウヘヘヘヘ……!」
怪人が、あの三日月のかたちをした不気味な口を大きく開けて、まるで機械のような変な声で笑いました。
そして、本棚のガラス戸がズラリと並んだ前を、ツーッと素早く走ってスイッチのある壁の方へ向かったかと思うと、「パチッ」と、また電灯が消えて真っ暗になりました。
まさにそれと同時でした。
「あっ、やられたっ! 聖書をとられたぞ! はやく、スイッチをいれろ!」
山下さんの、ひっくり返ったような驚きの叫び声が、暗闇の中にものすごく響き渡りました。
「ウヘヘヘヘ……、どうだ、おどろいたか! さっき盗んだと言ったのは、きみに金庫をひらかせるための作戦だったのさ。これがおれの手品(魔法)だよ。いくらおれでも、扉をひらかないで金庫の中のものを直接取り出すことはできないからね。ウヘヘヘヘ……!」
この気味の悪い笑い声が聞こえているあいだは、だれも怖くてスイッチに近づく勇気がありませんでした。
みんな、ただじっと体をガチガチにかたくして、その場に立ちすくんでいるだけでした。
怪人はそれっきり、パタリと声をたてなくなりました。
蔵の中は真っ暗で、怪人が今どこにいるのかさっぱり分かりません。
もしかすると、もう外へ逃げ出してしまうかもしれないのです。
それから一分ほど経ってから、やっとのことで山下さんがスイッチのところへダッシュしていきました。
そして「パッ」と電灯がつきました。
みんなはおずおずと蔵の中を歩き回り、すみからすみまで徹底的に調べました。
しかし、怪人の姿はどこにも見当たりません。
またしても、まるで煙のように消えうせてしまったのです。
やっぱり、さっきみたいに小さくこびとになって、窓から外へ逃げ出したのでしょうか?
山下さんは、その窓を全部力いっぱい開き、外に向かって大きな声で、庭にいる警官たちを呼びました。
「怪物が聖書を盗んで、逃げました! いまです! まだ、庭の中にいるはずです! 気がつきませんでしたか!?」
すると、窓の外へふたりの警官がドタドタと駆け寄ってきました。
「えっ、盗まれたって!? しかしぼくたちは、さっきからずっとこの窓のまわりにいましたよ! もう一人の仲間も、建物の反対側の窓の外にいます。なにも見ていませんよ! 窓からあの小さな金色のやつが出てくるんじゃないかと、目を皿のようにして注意深く見張っていました。しかし、なにも出てきませんでしたよ!」
この蔵には、窓が二つあるのです。
山下さんはあわててもう一つの窓のそばへ駆け寄り、外にいる警官に大きな声で尋ねました。
すると、その警官も、やっぱり「なにも見ていない」と答えるのでした。
念のため、みんなで蔵の外へ飛び出し、広ーい庭をくまなく探しましたが、怪人の手がかりは何も発見できませんでした。
黄金怪人は、こんどこそ、ほんとうにどこかへ消え失せてしまったのです。
山下さんは悔しさのあまり、歯ぎしりをして地団駄を踏みました。小林少年も、あんなにたくさんの少年探偵団員がいたのに、怪人を防ぎきれなかったことをとても悔しく思いました。
でも、いまさらどうすることもできません。
あの尊いグーテンベルクの聖書は、いったいどこへ行ったのか、すっかり持ち去られてしまったのです。
「それにしても、ふしぎなことがある。
わたしが聖書の入った桐の箱を持っているのを、電灯が消えたかと思うと、すぐに、あいつがひったくっていった。
そのときあいつはスイッチの前にいたんだから、そんなにはやく、わたしのそばへ来られるはずがない。
あいつの金色の手がぐっと五メートルも伸びて、箱を取っていたのだろうか。
あいつのからだには、そんなとほうもない仕掛けがあるんだろうか」
山下さんは、あとになって、ふしぎそうにそのことを何度もくりかえすのでした。

怪老人

山下邸の怪事件があってから、三日目の夕方のことです。
井上少年とノロちゃんのふたりが、麹町(こうじまち)にある明智探偵事務所へ、小林少年をさそい出しにやってきました。
小林君が玄関へ出ると、井上少年がこう言いました。
「小林さん、ぼくたち、いま、ふしぎなものを見つけたんだよ。
へんなおじいさんがね、この近くのさびしい通りで、黄金怪人の人形を売っているんだよ。
あいつ、どうも怪しいやつなんだ。
それで、小林さんに一度見てもらおうと思って、さそいに来たんだよ」
小林君は、井上少年からさらにくわしい話を聞いて、やっぱり怪しいやつだと思ったので、そのままふたりといっしょに、そこへ行ってみることにしました。
その場所は事務所から五百メートルほども離れた、人通りの少ないさびしい町でした。
道の両側には大きな屋敷のコンクリート塀が続いており、そのコンクリート塀の前に、ひとりの変なおじいさんが、地面に金色のオモチャをずらりと並べ、そのうちの一つを歩かせてみせているのでした。
そのまわりを、七、八人の近所の子どもたちが取り囲んで、歩くオモチャをいっしんに見つめています。
小林君たち三人手もそのそばへ近づいて、おじいさんの顔と、地面のオモチャとを見比べました。
それはたしかに、あの黄金怪人とそっくりのオモチャでした。
おじいさんの横には白く塗った木の箱が置いてあり、どうやらそこから取り出したらしく、怪人のオモチャが十いくつも地面に立てて並べられており、そのうちの一つを歩かせてみせているのです。
二十センチほどの黄金怪人が、「ジージー」と音をたてながら、地面を歩いているのでした。
「どうだね、うまく歩くだろう。
これは新発明の魔法人形っていうんだ。
ゼンマイじかけじゃないよ。
無線そうじゅうでもない。
もっとふしぎな秘密の仕かけがあるんだ。
どうだ、一つ買わないかね。
安いよ。
一個たったの百円だ」
おじいさんはそんなことを言いながら、ジロジロと子どもたちの顔を見まわすのです。
小さな縞(しま)のハンチング帽をチョンとかぶり、太い黒ぶちのめがねをかけ、鼻の下には白いひげが口をかくして長く垂れ下がっています。
あごひげはありません。
二十年も前にはやったような古い黒い背広を着て、小さな台の上に腰かけているのです。
金色の歩く人形が百円だなんて、とても安いものですから、四人の子どもがそれを買いました。
「うん、それっきりか。
もうあの子たちは、おこづかいを持っていないのだね。
よしよし、またあした、やってくるからね。

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