初級翻訳・怪人二十面相 第33話

怪人二十面相

今ぼくが折りとった仏像の傷口を、よく調べてください」
明智の確信に満ちた口調に、刑事部長はハッとしたように仏像に近づいて、その傷口を眺め回しました。
すると、どうでしょう。首をもがれ、手を折られたあとの傷口からは、外見の黒ずんだ古めかしい色合いとは似ても似つかない、まだなまなましい白い木口がのぞいていたではありませんか。
奈良時代の彫刻に、こんな新しい材料が使われているはずはありません。
「すると、きみは、この仏像がにせものだというのか」
「そうですとも。あなた方に、もう少し美術眼がありさえすれば、こんな傷口をこしらえてみるまでもなく、ひと目でにせものとわかったはずです。新しい木で模造品を作って、外から塗料を塗って古い仏像のように見せかけたのですよ」模造品専門の職人の手にかけさえすれば、わけなくできるのです。」

明智は、こともなげに説明しました。

「北小路さん、これはいったい、どうしたことでしょう。国立博物館の陳列品が、まっかなにせものだなんて……。」

警視総監が老館長をなじるように言いました。

「あきれました。あきれたことです。」

明智に手をとられて、ぼうぜんとたたずんでいた老博士が、ろうばいしながら、てれかくしのように答えました。

そこへ、さわぎを聞きつけて、三人の館員があわただしく入ってきました。その中のひとりは、古代美術鑑定の専門家で、その方面の係長をつとめている人でしたが、こわれた仏像をひと目見ると、さすがにたちまち気づいてさけびました。

「アッ、これはみんな模造品だ。しかし、へんですね。きのうまでは、たしかにほんものがここにおいてあったのですよ。わたしはきのうの午後、この陳列棚の中へ入ったのですから、まちがいありません。」

「すると、きのうまでほんものだったのが、きょうとつぜん、にせものとかわったというのだね。へんだな、いったい、これはどうしたというのだ。」

総監がキツネにつままれたような表情で、一同を見まわしました。

「まだおわかりになりませんか。つまり、この博物館の中は、すっかり、からっぽになってしまったということですよ。」

明智はこう言いながら、向こうがわの別の陳列棚を指さしました。

「な、なんだって? すると、きみは……。」

刑事部長が、思わずとんきょうな声をたてました。

さいぜんの館員は、明智のことばの意味をさとったのか、ツカツカとその棚の前に近づいて、ガラスに顔をくっつけるようにして、中にかけならべた黒ずんだ仏画を凝視しました。そして、たちまちさけびだすのでした。

「アッ、これも、これも、あれも、館長、館長、この中の絵は、みんなにせものです。一つ残らずにせものです。」

「ほかの棚をしらべてくれたまえ。早く、早く。」

刑事部長のことばを待つまでもなく、三人の館員は、口々に何かわめきながら、気ちがいのように陳列棚から陳列棚へと、のぞきまわりました。

「にせものです。めぼしい美術品は、どれもこれも、すっかり模造品です。」

それから、彼らはころがるように、階下の陳列場へおりていきましたが、しばらくして、もとの二階へもどってきたときには、館員の人数は、十人以上にふえていました。そして、だれもかれも、もうまっかになって憤慨しているのです。

「下も同じことです。のこっているのはつまらないものばかりです。貴重品という貴重品は、すっかりにせものです……。しかし、館長、今もみんなと話したのですが、じつにふしぎというほかはありません。きのうまでは、たしかに、模造品なんて一つもなかったのです。それぞれ受持のものが、その点は自信をもって断言しています。それが、たった一日のうちに、大小百何点という美術品が、まるで魔法のように、にせものにかわってしまったのです。」

館員は、くやしさに地だんだをふむようにしてさけびました。

「明智君、われわれはまたしてもやつのために、まんまとやられたらしいね。」

総監が、沈痛なおももちで名探偵をかえりみました。

「そうです。博物館は、二十面相のために盗奪されたのです。それは、さいしょに申しあげたとおりです。」

大ぜいの中で、明智だけは、少しもとりみだしたところもなく、口もとに微笑さえうかべているのでした。そして、あまりの打撃に、立っている力もないかと見える老館長を、はげますように、しっかりその手をにぎっていました。

種明し

「ですが、わたしどもには、どうもわけがわからないのです。あれだけの美術品を、たった一日のあいだに、にせものとすりかえるなんて、人間わざでできることではありません。まあ、にせもののほうは、まえまえから、美術学生かなんかに化けて観覧に来て、絵図を書いていけば、模造できないことはありませんけれど、それをどうして入れかえたかが問題です。まったくわけがわかりません。」

館員は、まるでむずかしい数学の問題にでもぶっつかったようにしきりに小首をかたむけています。

「きのうの夕方までは、たしかに、みんなほんものだったのだね。」

総監がたずねますと、館員たちは、確信にみちたようすで、「それはもう、けっしてまちがいございません。」と、口をそろえて答えるのです。

「すると、おそらくゆうべの夜中あたりに、どうかして二十面相一味のものが、ここへしのびこんだのかもしれんね。」

「いや、そんなことは、できるはずがございません。表門も裏門も塀のまわりも、大ぜいのおまわりさんが、徹夜で見はっていてくだすったのです。」館内にも、昨夜は館長さんと三人の宿直員がずっと詰めていたのです。
その厳重な見張りの中をくぐって、あのおびただしい美術品をどうして持ち込んだり運び出したりできるというのでしょう。
まったく、人間業では不可能なことです。」

館員は、あくまでそう言い張りました。

「わからん、じつに不思議だ……。しかし、二十面相のやつめ、広言したほど男らしくもなかったな。あらかじめ偽物と置き換えておいて、『さあ、この通り盗んだぞ』というのじゃ、十日の午後四時なんて予告は、まったく無意味ではないか。」

刑事部長は、悔しまぎれにそんなことでも言わずにはいられませんでした。

「ところが、決して無意味ではなかったのですよ。」

明智小五郎が、まるで二十面相を弁護でもするかのように言いました。彼は老館長の北小路博士と、さも仲良しであるかのように、ずっと先ほどから手を握り合ったままなのです。

「ほう、無意味でなかっただと? それは一体、どういうことなんだね。」

警視総監が不思議そうに名探偵の顔を見て尋ねました。

「あれをご覧ください。」

すると明智は窓に近づいて、博物館の裏手の空き地を指さしました。

「ぼくが十二月十日ごろまで待たなければならなかった秘密というのは、あれなのです。」

その空き地には、博物館創立当時からの古い日本建築の宿直室が建っていたのですが、それが不用になったため数日前から取り壊しを始めていました。もうほとんど取り壊しも終わり、古材木や屋根瓦などが、あちこちの山積みにされています。

「古家を取り壊したんだね。しかし、あれと二十面相の事件に一体どんな関係があるというんだ。

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