ちょっと、明智役の書きぬきを見せてくれ。すこし、せりふを、かえたいところがあるんだ。」
といって、青年のさしだす脚本の書きぬきをうけとり、ねっしんに読みはじめました。
読者諸君、これはいったい、どうしたことでしょう。
名探偵、明智小五郎が、楽屋の鏡のまえにすわって、まるで役者のように、せりふの書きぬきを読んでいるのです。
明智は、気でもちがったのでしょうか。
いや、このなぞは、諸君が一度、世界劇場のおもてに、まわってみれば、すっかり、とけるのです。
劇場の正面に、大きな看板が出ています。
それには一メートル四方ほどの字で、
『透明怪人』
と、書いてあります。
つまり、世間をさわがせた「透明怪人」の事件を、芝居にしくんで、いま、この世界劇場で、上演しているのです。
その看板の、横のほうには、
名探偵明智小五郎
透明怪人・二役主演
村上時雄
と、大きく書いてあります。
村上時雄というのは、この一座の主役俳優なのです。
そして、その村上が、透明怪人と明智探偵を、はやがわりで演じるわけなのです。
すると、いま楽屋にはいった明智探偵は、じつは村上時雄なのでしょうか。
かれを出むかえた青年は村上の弟子らしいのですが、その弟子が、すこしも、うたがっていないところをみると、これはもう、明智の役にふんした村上に、ちがいありません。
さあ、わからなくなってきました。
拘置所をたずねて、四十面相に面会したのは、たしかに、この明智です。
それが、じつは村上時雄という役者だったとすると、いったい、どういうことに、なるのでしょうか。
さて、もう一度、楽屋のほうにもどります。
明智探偵にふんした村上時雄は、書きぬきを読みおわると、鏡にむかって、ちょっと顔をなおしてから、ひとりで部屋を出て、うすぐらい廊下を、舞台へおりる階段のほうへ、歩いていきます。
ところが、そのとき、みょうなことが、おこりました。
見ると、村上の五メートルほどあとから、小さな人かげが、ソッと尾行しているではありませんか。
それは、さっきの自動車運転助手の、かわいらしい少年です。
村上は、それともしらず、せまい階段を、トントンとおりていきます。
少年は、かげのように、そのあとをつけるのです。
そして、階段を半分ほどおりたとき、少年のふんだ階段の板が、ギーッと大きな音をたてました。
少年はハッとして、立ちどまりましたが、さきにたつ村上は、べつに気づいたようすもありません。
少年は、二度と音をたてないように、用心ぶかく階段をおりて、下の廊下に立ちました。
そして、なおも尾行をつづけようとしていますと、そのとき、とつぜん、むこうをむいて歩いていた村上が、とつぜん、クルッと、こちらをむきました。
逃げだすひまも、なにもありません。
村上はパッと少年にとびかかって、いきなり、そのからだを、だきすくめてしまいました。
「さわぐんじゃない。大きな音をたてると、しめころしてしまうぞ。さあ、白状しろ、きさま、なにものだ。なぜ、おれのあとをつけるんだ。おやッ、きさま、さっきの自動車の助手だな。ハハア、すると、おれがここを出たときから、つけてたんだな。」
明智のふんそうをした村上は、小声で、そんなことを言いながら、少年のからだをグイグイと、階段の下の暗やみの中へ、押していきます。
少年は、されるままになって、ひとことも口をききません。
「フフン、わかったぞ。きさま、明智の助手の小林だな。顔に墨などぬって、ごまかしているが、おれには、ちゃんとわかるんだ。明智のさしずで、おれのあとをつけたんだろう。きさま、それじゃあ、なにもかも知っているなッ。」
村上は、いまにもくいつきそうな、おそろしい顔をして、少年をにらみつけました。
「知っているよ。」少年は、しずかな声で、はじめて口を開きました。
「フーン、それじゃあ、おれの正体も分かっているのか。」
「そうだよ。きみは村上時雄じゃない。いま、拘置所から脱獄してきたばかりの、二十面相、いや、四十面相だッ。」
小林少年は、ズバリと言い放ちました。
それを聞くと、相手はギョッとしたように小林君をつかんでいた手をゆるめましたが、すぐに気をとりなおして、うす気味悪く、ニヤニヤと笑い出しました。
「ウフフフ……えらい、えらい、きみは利口だねえ。探偵の助手にしておくのは惜しいくらいだ。おれも、きみのような弟子がほしくなったよ……。ところで、おれが四十面相だったら、きみはどうしようというんだね。」
そして、明智探偵に扮(ふん)した四十面相の顔が、グーッと小林君の目の前にせまり、両腕が小林君の肩を、おそろしい力でしめつけてきました。
でも、小林君は平気です。
「どうもしないよ。もう、この劇場は警官隊にとりかこまれているんだ。きみは、いまに捕まるばかりだよ。」
「ウヌッ、それじゃ、きさまは……。」
さすがの四十面相も、サッと顔色がかわったようです。
「きみが楽屋にいるあいだに、ぼくが明智先生に電話をかけたんだ。そして、先生からすぐに警察へ連絡したから、いまごろは世界劇場のまわりは、おまわりさんにとりかこまれているはずだよ……。それで、きみ、どうするの? もう、とても逃げられやしないよ。」
そのとき、四十面相はすっかり腹をくくったように見えました。かれはこの危急の場面で、落ち着きはらってニヤニヤと笑い出したのです。そして、大きな手のひらで、小林少年の頭を、さも可愛いと言わんばかりになでています。なんという底知れない怪物でしょう。
「警官隊がこの劇場をとりまいているというのかい。ハハハ……愉快だねえ。おれはこういう冒険が三度の飯よりも好きなんだよ。小林君、見ててごらん。おれはかならず逃げてみせる。見事にやってのけるよ。まあ、ゆっくり見物したまえ。」
「で、どうするの?」
「これから舞台へ出て、芝居をやるのさ。」
明智に扮した四十面相は、小林少年をつきはなすと、そのまま後ろも振り返らずに舞台のほうへ立ち去りました。ちょうどそのとき、「透明怪人」の劇に明智の役が登場する時間がきていたからです。
ああ、なんという大胆不敵さ。警官隊が劇場をかこみ、ジリジリとその包囲網をせばめているというのに、かれは舞台に出て、満員の見物客の前で芝居を演じようというのです。かれは、はたしてこの難局をうまく切り抜ける自信があるのでしょうか。
こうして、全日本を驚かせた、あの世界劇場の大活劇がいよいよ始まろうとしています。
そのとき、世界劇場の客席は、一階も二階も三階も、割れんばかりの満員でした。あれほど世間を騒がせた「透明怪人」の芝居ですから、珍しさにかられた人々がわれもわれもと押し寄せて、毎日、切符売り場には長い行列が続いていたのです。
舞台では「透明怪人」の劇が、最高潮に達していました。場面は、例の大防空壕の中にある、二十面相の隠れ家です。背景には一面に岩窟の書き割りが並び、その真ん中に一つの部屋があり、不思議な形の機械や、化学実験の道具などがところ狭しと並んでいます。
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