初級翻訳・透明怪人 第5話

江戸川 乱歩

きみたちは知るまいが、あの仏像は推古仏といって、百万円の首飾りよりも、もっとねうちのある品物なんだよ。
だが、ぼくはとうとう、あいつを、たしかめることができた。
いままでは、もやのようなものしか見えなかったが、きょうこそは、あいつが、服をぬぐところを見たんだ。
ろう仮面をぬぐところを見たんだ。
そして、その中がからっぽであることを、たしかめたんだ。
しかも、ぼくひとりで見たんじゃない。
きみたちという証人がある。
三人が六つの目で見たんだ。
これはすばらしい記事になるよ。
あすの新聞は、一ページぜんたいを、この記事でうずめるんだ。
こんや、社の写真班が、きみたちの写真をとりにゆくよ。
そして、あすの新聞には、きみたちの勇敢な尾行の話がのるんだ。
ぼくたち三人で、空気男の正体をつきとめたことが、出るんだ。
それじゃ、ひとまず、これでわかれよう。
きみたちのうちで、しんぱいしているといけないからね。
だが、きみたちにも、よくたのんでおくよ。
もし、こんど、あのろう仮面に出あったら、また、うまく尾行してくれたまえ。
そして、行く先をつきとめたら、ぼくに電話するんだよ。
ぼくの名刺を、わたしておくからね。
デパートの怪

 新聞記者がくれた名刺には、「東洋新聞社、社会部、黒川勝一」と印刷してありました。
黒川記者は、少年たちにわかれるとき、ふたりの住所姓名を聞いて、手帳に書きとめました。
そのよく日の東洋新聞は、黒川記者がいったとおり、社会面の大部分が、きのうの記事でうずめられ、島田、木下二少年の写真が大きくのり、ろう仮面の尾行から、洋館のかべの中で、仮面をぬぎ、服をぬいで、消えてしまうまでのことが、地図までいれて、くわしく報ぜられました。
その日は、東京じゅう、どこへ行っても、人の集まるところでは、おそろしい空気男のうわさで、もちきりでした。
科学では説明のできないことが、おこったのです。
まったく目に見えない透明な人間が、東京のどこかに、かくれているのです。
あいては空気のようなやつですから、少しもゆだんができません。
そんなふうに人が集まって、うわさをしているすぐそばに、あの空気男が、ニヤニヤ笑いながら、立ち聞きしているかもしれないのです。
東京じゅうの宝石商が、ガラスだなやショーウィンドーに錠まえをとりつけました。
美術店や骨董屋のショーウィンドーには、高価な品物が見えなくなりました。
みんなどこかへ、かくしてしまったのです。
いちばんこまったのは、銀行でした。
目に見えないやつが、いつはいってくるか、わからないからです。
そして、現金出納係の机の上においてある、さつたばを、スーッと持っていかれるかもしれないからです。
千円さつで百万円ぐらいは、片手で持てるほどの大きさです。
空気男が両手でかかえたら、何千万円だって、持ってゆけるのです。
しかし、あの新聞記事が出てから、一週間ほどは、何ごともなく、すぎさりました。
人々は「あれはうそだったのじゃないか。」と考えるようになりました。
「いくらなんでも、空気のようにすきとおった人間なんて、あるはずがない。
東洋新聞の記者や、あのふたりの少年は、キツネにでも、化かされたのだろう。
そうでなければ、新聞の読者をふやすために、でたらめを書いたのだろう。」と考えるようになりました。
ところが、そうではなかったのです。
空気男は、こんどは、だれも思いもよらないような場所へ、ヒョッコリすがたをあらわしました。
それは日曜日のことでした。
木下少年は、おかあさんといっしょに、日本橋のデパートへ出かけました。
おかあさんが洋服地をお買いになる、おともでした。
木下君は洋服地なんかおもしろくなかったけれど、おかあさんを書籍部へひっぱっていって、本をねだる下心だったのです。
はやくうちを出たので、木下君たちがデパートについたときには、正面の大戸がひらかれて、まもなくでした。
ひろい店内には、まだ人影がまばらにチラホラしているばかりです。
エレベーターにも、らくらくとのれました。
ふたりは三階でおりて、洋服地売場へいそぎました。
いろいろな色のラシャが、滝のように、かけならべてある陳列台のなかほどに、まるい舞台のようなものが、できていて、その上に、さまざまの洋服をきた、男や女や子どもの人形が、うつくしくならんでいました。その人形たちは、鼻が高くて目が大きまるで外国人のようでしたが、肌の色はきつね色で、やっぱり日本人にちがいありませんでした。
人形の台のまわりには、まだ五、六人の客がいるばかりでした。
木下君とおかあさんは、人形のきている服の色やかたちを見ながら、まるい台のまわりをゆっくり歩いていきました。
木下少年は、洋服を見てもちっともおもしろくなかったので、人形の顔ばかりながめていましたが、すると、ハッとするようなものに気づきました。
人形の中に、一つだけ顔のちがうものがあるのです。
ほかのみんなはきつね色をした日本人の顔なのに、その一つだけは、まっ白な肌にうすく赤みのさした、西洋人の男の顔だったのです。
しかも、それはほかの人形とはちがって、すきとおるような、ろうでできていたのです。
木下君は思わず立ちどまって、じっとその人形を見つめました。
それは形のよい燕尾服(えんびふく)を着ていました。
服装はまったくちがいます。
しかし、あの顔は、おお、そっくりです。
骨董屋(こっとうや)のショーウィンドーをのぞいていた、あのろう人形とそっくりなのです。
木下君の両方の目がまんまるに開いて、いまにもまぶたからとびだしそうになりました。
背広を着たひとりの店員が木下少年のそばを通りかかりました。
少年は思わずその人のそでをつかみました。
店員は立ちどまって少年の顔を見ましたが、そのまんまるな目に気づくとギョッとして、キョロキョロと人形のほうをながめました。
「おじさん、あの西洋人のようなろう人形ね、どうして目がないの? 目がなくて、黒い穴があいているの?」
木下君がささやくように言いました。
店員はその人形を見ると、アッと小さいさけび声をたてました。
こんな目のないろう人形はきのうまでそこにいなかったからです。
このデパートには本当のろう人形は一つもないはずだったからです。
その店員はむこうにいたもうひとりの店員を手まねきしました。
そしてふたりは何か小声で話しあっていましたが、やがてひとりが舞台のような台の上にのぼって人形のほうに近づこうとしました。
しかし店員はそのまま一歩もすすむことができないで、まるで自分が人形にでもなったようにたちすくんでしまいました。
燕尾服を着たろう人形が身うごきをしたからです。
アッというさけび声、ガタンという物音、女の人形が二つ大きな音をたててたおれました。
ろう人形がかけだしたのです。
そしてその道に立ちふさがっていた人形がたおされたのです。
ろう人形はおそろしいいきおいで台の上からとびおりると、燕尾服のしっぽをヒラヒラとひるがえして木下君の前をかけぬけ、むこうへ走っていきます。
そこにあつまっていた客のあいだからはワーッというような声がおこりました。

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