初級翻訳・灰色の巨人 第8話

江戸川 乱歩

これを取りかえすことは、すっぱりあきらめるんだな。
ははははは……! きみは可愛い子どもだ。
おれがかわいがってやるから、まあ、こっちへ来るがいい!」

大男はニュッと巨大な手をのばすと、小林君の服のえりをグッとつかみました。
まるで、子ネコでもぶら下げるかのように小林君をかるがると持ち上げると、のしのしと歩きだしたのです。ざんねんながら、こんな巨人にかかっては、もうどうすることもできません。
大男はそうして、隅田川のほうへおりていきました。
そこは、船のつくところらしく、石の坂道が川の水面と、すれすれのところまで、ひくくなっています。
見ると、そこの水面に、一そうのモーターボートがとまっていました。
大男は小林君をぶらさげたまま、ひょいと、そのボートにのりました。
「さあ、これで、おわかれだ。
宝石もかえさないし、おれのあとをつけることも、できなくしてやる。
つまり、この勝負はおれの勝ちというわけだね」

大男は、そういうと、ボートの中から、手をのばして、小林君のからだを、そっと、岸の石だたみの所へおろしました。
そして、ボートの中にあったステッキのようなもので、ぐっと石だたみをおすと、ボートは岸をはなれてしまったのです。
小林君は、ざんねんでしかたがありません。
このまま負けてしまっては、明智先生にも、もうしわけがないのです。
小林君は、いきなり、大男によびかけました。
「おい、のっぽくん。
きみは懐中電灯を持っているだろうね。
それをつけたまえ。
そして、新聞づつみをひらいて、中の宝石をよくしらべてごらん。
その宝石はみんな、にせものだということが、わかるはずだよ」

大男は、それを聞くと、ギョッとしたように、こちらを見つめました。
そして、いわれたとおり、懐中電灯をつけて、宝石をしらべているようすでしたが、やがて、「ちくしょう」と、したうちをする声が聞こえてきました。
「きのどくだねえ。
きみは明智先生の計略にかかったんだよ。
先生は女中が立聞きしていたことをさとって、大賞堂の主人にぎゃくの手をつかわせたのさ。
金庫のなかの宝石を、にせものと入れかえたようにおもわせて、じつは入れかえなかったのさ。
新聞づつみの方がにせもので、ほんとうの宝石は、みんな、もとの金庫にあるんだよ。
はははは……、どうだい、これでも、きみの方が勝ったといえるだろうかねえ」

小林君は、そういって、さもここちよげに笑うのでした。
しかしこの勝負は、せっかく尾行した巨人に、にげられてしまったのですから、じつは五分五分なのです。
「ちくしょう、おぼえていろ。
このしかえしは、きっとするぞ」
大男のくやしそうな声が、エンジンの音にまじって聞こえてきました。
そしてモーターボートは、隅田川のやみの中へ消えていくのでした。
大賞堂の店にあらわれた一寸法師は、いったいなにものでしょう。
かれはどこからどうして、にげさることができたのでしょう。
また、モーターボートでにげた大男は、はたして、灰色の巨人なのでしょうか。
やがて、それらの秘密のとけるときがきます。
少年探偵団

大賞堂の事件があってから一週間ほどたった、ある日、園井正一君という中学校一年生の少年が、明智探偵事務所へ、助手の小林少年をたずねてきました。
園井少年は、小林君が団長をやっている少年探偵団の団員なのです。
小林君は探偵事務所のじぶんの部屋へ、園井君をとおしました。
小林君の部屋は、三畳ほどのせまい洋室です。
大きな机と本箱と、いすが三つおいてあります。
ふたりは、そのいすにかけて話をしました。
「きみ、青い顔しているよ。
なにか心配ごとでもあるの?」
小林君がたずねますと、園井少年は、
「うん、ひじょうに心配なことがあるんだ。
それで、団長に相談にきたんだよ」
といって、話しはじめました。
「ぼくのおとうさんが、こんばん、にじの宝冠を、十人ほどのお友だちに、見せることになっているんだ。
その宝冠は、戦争のときから今まで、ずっと、いなかに疎開してあったんだが、それをこんど、うちへ持ってかえったんだ。
そして、きょうは、ちょうど、おとうさんの誕生日だもんだから、十人ばかりお客さまがくる。
みんなおとうさんのお友だちだよ。
そのお客さまに、宝冠を見せることになっているんだ」
「にじの宝冠って、なんなの?」
小林君がききますと、園井少年は目をかがやかせて、
「たいへんな宝物だよ。
いまから百何十年まえに、ヨーロッパのある国の女王さまが、かぶっていたという王冠だよ。
ぼくのおじいさまが、フランスの美術商からお買いになったんだって。
ぼくのうちのたからものだよ。
その宝冠には、ダイヤや、ルビーや、サファイアなんかが、たくさんはめこんであるんで、にじのように美しく光るんだ。
だから、にじの宝冠っていうんだよ」
園井君のおうちは、戦争のまえには、ひじょうなお金持ちでしたから、そういう宝物がのこっていたのです。
「ぼくが心配しているわけが、わかるだろう。
ほら、灰色の巨人だよ。
あいつは、宝石ばかり、ねらっているんだね。
だから、こんや、あいつがやってきたら、たいへんだとおもうんだ」」
「だって、こんや、きみのうちで、宝冠を見せることは、お客さまのほかには、だれも、しらないんだろう?」
「しらないはずだとは思うけれど、でも、灰色の巨人はまるで魔法つかいみたいなやつだからさ。
かぎつけて、やってきちゃうかもしれないって心配なんだ。
いや、それよりもね、ぼくはきのうの夕がた、実におそろしいものを見たんだよ。
」
「えっ、おそろしいものって?」
 園井少年は、いかにも怖そうにあたりをきょろきょろと見まわして、
「すごく怖かったんだよ。
まっかな太陽が、坂の上の空にしずみかけていたんだ。
ぼくは坂の下からうえへとのぼっていった。
するとね、その坂のてっぺんの、まっかな太陽のまえに、おっそろしく大きなやつと、赤んぼうみたいな小さなやつが、ふたりならんで立っていたんだ。
ひとりはまるで西郷さんの銅像みたいな、ものすごく大きな男だよ。
そして、もうひとりは、ちっちゃなこびとなんだ。
顔だけがやけに大きくって、からだがあかんぼうみたいに小さいんだよ……。
わかるかい?
大きいほうのやつは、きみが隅田川であったあの灰色の巨人かもしれないんだ。
そして、小さいほうのやつは、あの大賞堂にあらわれた一寸法師かもしれない。
そのふたりが手をつないで、坂のてっぺんに、まっ黒い影のように、ニューッと立っていたんだよ。
ぼくはあまりの気味の悪さにぞっとして、思わずはんたいのほうへかけ出しちゃったんだ。
」
「その坂って、一体どこにあるの?」
「ぼくのおうちの、すぐそばだよ。
ほら、あのキリスト教会のある、あの坂みちさ。
」
「ふうん、それじゃあ、あいつはもう、きみのうちをねらいをつけているのかもしれないね。
」
「ぼくも、それがすごくこわいんだよ。
だからぼく、おとうさんに『こんばん宝冠をお客さまに見せるのはおよしなさい』って言ったんだ。
でも、だめだったんだよ。
みんなにあんなにすごい予告の状を出して、こんや絶対に見せると約束してあるから、いまさらやめることはできないんだってさ。

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