初級翻訳・おれは二十面相だ 第7話

おれは二十面相だ

もっと小さいときからゾウが大好きで、ゾウのおもちゃもたくさん持っていましたが、この宝物のゾウにくらべたら、みんなつまらないものばかりです。
「ふしぎだ。あいつはなぜ、こんな珍しい宝物に気がつかないのかな。」
北川さんが、ふと変なことを言いだしました。
「あいつって、だれだね。」
恩田さんがたずねます。
「怪人二十面相さ。」
「えっ、なんだって?」
恩田さんは、なにを縁起の悪いことを言いだすのだと、まゆをひそめました。
「あいつは珍しい美術品は、決して見のがさない。じぶんの隠れ家に、盗んだものばかりで立派な美術館を作っているというじゃないか。このあいだも、古代エジプトの巻き物を盗み出したと、新聞にでかでかとのっていた。この恩田家の宝物に気がつかぬとは、あいつもうかつだよ、ハハハ……。」
北川さんは、いやな冗談を言います。
すると、そのときです。
北川さんの笑い声の余韻のように、どこからか、ハハハハ……という声が、かすかに聞こえてきたではありませんか。
その笑い声は、いつまでもやみません。
みんなは、ギョッとした顔を見合わせました。
章太郎君のおかあさんなどは、もうまっさおになっています。
「だれだっ!」
家庭教師の山口青年が、いきなり立っていって、ドアを開いてみました。
しかし、廊下にはだれもいません。
「ハハハハ……。」
かすかな笑い声が、だんだん大きくなってきました。
山口君は、こんどは窓から、暗い庭を見回しました。
そこにも、人影はありません。
「ハハハハ……、捜したってだめだよ。おれの姿は見えないのだ。おれは気がついていたよ。この真珠のことは前から知っていたよ。いずれそのうち、ちょうだいするつもりだ。」
その声は、なにもない空中から響いてきました。
みんなは部屋じゅうをあちこちと見回しましたが、どこにも人の姿はありません。
「あっ、透明人間だ!」
章太郎君が気づいて、とんきょうな声で叫びました。
恩田さんは大急ぎで真珠のゾウを箱の中に入れると、その箱をだきしめて、いきなり廊下へ飛び出して行きました。
家庭教師の山口青年もその後に続きました。
しばらくすると、恩田さんと山口青年は、もとの部屋に帰ってきました。恩田さんは、宝物の箱を地下室の金庫におさめてきました。
金庫の鍵を開けるための暗号は、恩田さん以外には誰も知らないので、ひとまずは安心です。そのうえ、地下室へ降りる入口には厳重に鍵をかけており、その鍵も恩田さんが自分で持っていました。

「そういえば、わたしのそばに、誰か立っているような気がしましたよ。それが透明人間だったのかもしれません」
北川さんがそう言うと、章太郎君のお母さんも言葉を継ぎました。
「ええ、わたしも感じましたわ。わたしのうしろを、誰かがすうっと通り過ぎていったような気がしたんです。ああ、気味がわるい。まだそのあたりにいるんじゃないかしら」

すると、その言葉に応えるように、またしても笑い声が起こりました。
「ハハハハ……ここにいるよ。だが、今日はこのまま帰ることにしよう。またやってくるから、せいぜい用心するがいいぜ」
その声は、だんだんと遠ざかっていき、どこかへ消えてしまいました。

「真珠のゾウを盗むつもりなら、いきなりひっさらって逃げ出せばいいじゃないか。それを、ただ声を聞かせただけで去っていくなんて、おかしな話だ。もしかしたら透明人間と見せかけて、どこかにスピーカーでも隠してあって、声だけ聞かせておどかしたんじゃないだろうか」
北川さんが疑わしそうに言ったので、みんなで部屋の壁から天井、じゅうたんの下まで、隅から隅まで調べましたが、スピーカーのようなものはどこにも仕掛けられていないことが分かりました。

宙に浮く花びん

それから家じゅうが大騒ぎになり、恩田さんはこのことを警察に知らせて、家の周りを見張ってもらうように手配しました。しかし、その晩の夜更けに、章太郎君の寝室で、またしても恐ろしいことが起こったのです。

その部屋は章太郎君の勉強部屋と寝室を兼ねていて、一方の窓際には勉強机や本棚があり、別の隅にベッドが置かれていました。章太郎君は九時ごろにベッドに入りましたが、先ほどの出来事が恐ろしくて、なかなか眠ることができません。長いあいだ寝返りを打っていましたが、やがてうとうとし始めたかと思うと、怖い夢を見てはっとして目が覚める、という状態を繰り返していました。

そうして、何度目かに目を覚ましたときのことです。ベッドから正面に見えている、勉強机の向こうの窓、そこにかかっていた花模様のカーテンが、フワッと動いたような気がしました。
オヤッと思って、章太郎君は目をまんまるにして、その方をじっと見つめました。机の上には、置時計と、きれいな花を生けた紫色のガラスの花びん、それに筆立てなどが置いてあります。置時計の針は、もう十時半を指していました。

見ていると、ガラスの花びんが、じりっと動きました。誰かが手で動かしたような感じです。ギョッとして目がそこへ釘付けになってしまいました。すると、ああ、やはりそうです。花びんがスーッと、こちらへ動いてくるではありませんか。そして机の端まで来ましたが、まだ止まりません。そのままこちらへ進んで机を離れても、下へ落ちることもなく、空中に浮いているのです。

章太郎君はベッドの中で、体がしびれたようになって、動くことができなくなりました。目をほかに向けようとしても、向けることができません。花びんは机を離れて宙に浮いたまま、しばらくユラユラと揺れていましたが、やがて誰かに持ち上げられるように、ツーッと上の方へ昇っていきました。そして、その空中でフワフワと左右に動いているのです。ちょうどそこに大人がいて、花びんを胸のあたりまで持ち上げたような高さでした。

章太郎君には、その人間の姿がうっすらと見えるような気がしました。透き通っているけれど、何やらモヤモヤとした、水でできているような人間の姿です。
花びんはまたスーッと下へ降り、机の上の元の場所に戻って動かなくなりました。しかし、目に見えない人間は、まだそのあたりにいるようです。

すると、どこからか一本の巻きタバコが現れて、空中で横になったまま、じっとしています。目に見えないやつが、口にくわえている格好です。そのタバコには、いつのまにか火がついていました。そして、その赤い火がホタルのようにパッパッと光ったり、うすくなったりして、そのたびに空中からスーッと白い煙が吐き出されるのです。

しばらくすると、人間の顔の高さのあたりが、白い煙でいっぱいになりました。実に、なんとも言えない不気味なありさまです。誰もいないのに、タバコだけが吸われて、煙が吐き出されているのです。二分間ほどタバコは吸い続けられていましたが、やがてスーッと、どこかへ消えてしまいました。

しかし、目に見えないやつは、まだ部屋の中にいるのです。じっとそこに立って、章太郎君の方をにらみつけているような気がします。
水のようにモヤモヤした姿が、じりじりと、こちらへ近づいてくるように思えるのです。
章太郎君は、助けを求めようとしましたが、口が動かなくなってしまって、声を出すことができません。

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