初級翻訳・智恵の一太郎 第14話

智恵の一太郎

この頃では、毎日一度は高橋さんの顔を見ないでは、気がすまないほどになっていました。
二十三日は、満月の前夜でしたから、よく晴れた空に、ほとんどまんまるな月が、美しく光っていました。
高橋さんと一太郎君は、広いお庭に面した縁側に腰かけて、空の月をながめながら、月というものについて、いろいろなお話をしました。月は自分で光っているのではなく、太陽の光に照らされて光っているということ、地球は太陽のまわりを一年かけて一回りするけれど、月は地球のまわりを一か月足らずで一回りすること、月の世界には空気がないから、生き物などは住んでいないだろうということ、しかし、人間はいつか一度月世界へ旅行してみたいという願いを持っていて、昔からたくさんの人がどうすれば月の世界へ行けるかということを考えてきた話、最近ではロケットというものが発明されて、ゆくゆくはそのロケットに乗って月世界へ飛んでいけるようになるだろうと考えている人もあること、広い広い天の世界の話を聞いていると、一太郎君はなんとも言えない、不思議な気持ちになってくるのでした。
「一太郎君、君は月の大きさを知っているかい」
 高橋さんは、しばらく黙っていたあとで、ふと気がついたように尋ねました。
「いつか先生に教わったけれど、忘れちゃった。
地球よりはずっと小さいのですね」
 一太郎君は、空に銀色に輝いている月を見ながら、答えました。
「うん、もちろん地球より小さいけれど、それでも、直径三千四百何十キロメートルという、でっかいものだよ。
ところでね、一太郎君、一つおもしろい実験をやってみようか」
 高橋さんはなんだか妙な笑顔をして言うのです。
そういう笑い方をする時には、いつでも一太郎君をびっくりさせるような、珍しい話が始まるのでした。
一太郎君はそれを知っているものですから、今夜はどんな話が飛び出してくることかと、待ちかまえるように高橋さんの顔を見つめました。
「本当はそんなでっかいものだけれど、非常に遠くにあるので、こんなに小さく見えるんだね。
で、こうして月を見ていてね、君は、あれをどのくらいの大きさに感じるね。
お盆ぐらいか、洋食皿ぐらいか、それともご飯を食べるお茶碗ぐらいか」
「お盆なんて大きくはないや。
洋食皿よりも小さいや。
僕、洋食皿とお茶碗の間ぐらいだと思いますよ」
「うん、そうだね。
僕にもそのくらいに見えるよ。
ある学者が大勢の人に今のような問いを出して、答を集めてみたところが、一番多い答えは、差しわたし十四センチメートルぐらいというのだったそうだ。
だから、まあ洋食皿とお茶碗の間の大きさなんだね。
さあ、それじゃ一つ、おもしろい実験をしてみよう」
 高橋さんはそう言って、立ち上がったかと思うと、書斎へ駆け込んで、一枚の大きな画用紙を持ち出して来ました。
そして、それをくるくると巻いて、長さ五十センチメートル、直径三センチメートルほどの細長い筒を作りました。
「さあ、これをどちらかの目にあてて、望遠鏡を見るようにして、あの月を見てごらん」
 そこで、一太郎君は、手わたされた紙筒を目にあてて、空の月をじっと見ていましたが、しばらくすると、紙筒を目のほうからはなして、不思議そうな様子で黙りこんでいます。
「はははは……、なんだか変な顔をしているね。
どうだい。
やっぱり茶碗よりも大きく見えたかい」
 高橋さんは、からかうように言うのです。
「妙ですね。
この筒で見ると、一ぺんに月が小さくなっちゃうんですすよ」
「どのくらい小さくなったの、五十銭銀貨ぐらいかい」
「ええ、そのくらいです」
「まちがいないね。
本当に五十銭玉ぐらいに見えるんだね」
「ええ、まちがいありません」
「ようし、それじゃもう一度びっくりさせてあげるよ。
さあ、それを貸してごらん」
 高橋さんはそう言って、紙筒を受け取ると、目にあてるほうはそのままにしておいて、先の方だけを小さく巻き込んで、半分くらいの太さ、つまり直径一センチ半ほどにしました。
根もとが太くて先の細い筒ができたわけです。
「これでのぞいてごらん。
今度はまた、月の大きさが違って見えるはずだよ」
 一太郎君は、言われるままに、その筒の太い方を目にあてて月をのぞきましたが、のぞいたかと思うと、いきなりびっくりしたような声を立てました。
「あれっ、変ですね、また月が小さくなっちゃった。
五銭玉ぐらいですよ」
「不思議だろう。
それじゃね、今度は自分で、紙筒の先の方をだんだん細く巻き込んでごらん。
そして、月がちょうどその穴と同じになるまで、月で穴がいっぱいになるまで、細くしていってごらん」
 一太郎君は両手で紙筒を持って、ぎゅうぎゅうと締めつけながら、先の方だけを細くしていきました。
すると、奇妙なことに、先の穴が小さくなるにつれて、月のほうもだんだん小さくなるような気がするのです。
そして、筒の先の穴と月の大きさとがぴったり同じになった時、紙筒を目からはなして、その先の穴を調べてみますと、なんと驚いたことには、それは直径三ミリメートルあるかなしかの、米粒ほどの小さなものになっていました。
「はははは、驚いたかい。洋食皿と茶碗の間ぐらいだった月が、五十銭玉になり、五銭玉になって、おしまいには米つぶほどに小さくなってしまった。
この画用紙の筒は魔法の眼鏡だね」
「へんだなあ。
画用紙に何か仕掛があるのですか」
「いいや、仕掛なんかありゃしないよ。
これは手品じゃないんだよ。
画用紙の筒なんかなくったって、ちゃんと同じ実験ができるんだからね。
一つやってごらん。
君の右の手を目から五十センチメートルほどはなして、親指と人差指で、月の大きさをはかってごらん。
そうすると、月がどんなに小さいかということがわかるから。
腕を一ぱいにのばしては、五十センチメートルより遠くなるから、肘をまげて、ちょうど五十センチメートルぐらいのところで、やってみるんだ。
この紙筒の長さが、やっぱりそのくらいなんだからね」
 一太郎君は言われるままに、目の前に手をのばして、人差指と親指の間をせばめて、月の大きさをはかってみましたが、すると、二つの指の間が、やはり三ミリメートルほどになるのでした。
「こんどは腕をぐっとのばして、はかってごらん」
 すると、指の間は五、六ミリメートルになって、月の大きさが豌豆ほどに大きくなりました。
「どうだね、ちょっと驚くだろう。
こんど、君の友だちにためしてみるといい。
腕を一ぱいにのばして、指で月の大きさをはかったら、月はどのくらいに見えるだろうって、たずねてみるんだね。
実際にやってみれば、すぐわかるから、やってみない先に、答えさせるんだよ。
たいていの子供は、五十銭玉ぐらいだろうとか、腕時計ぐらいだろうとか答えるよ。
そういうのはまだいい方なんだ。
ひょっとすると、茶碗ぐらいの大きさに見えるなんていう答もとび出してくるよ。
たいへんなちがいだ。
ほんとうは豌豆つぶぐらいなんだからね。
君の友だちにはこれを言いあてる者はまずいないね。
大人だって、うまく答えられる人は少いんだからね。
さあ、これで実験はすんだ。
こんどは僕の方でたずねる番だよ。
いったい、これはどういうわけだろうね。

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